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正直…隠しときたい 先祖の所業の巻(^^;

リクでおますが
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   前回の続きのよ~な、そでもナイよ~な。。

 興味ない方には 申し訳ありません、前回記事の 続きとなるのでありますが。

ウチとこ父方 本家の、その「ルーツ」ってなりますルと、『清和源氏』であるのだと。。。

しかし・・この 清和源氏には 多くの謎 、ってか、ぶっちゃけ『謎だらけの系図』なのでもアリましてネ。。。
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        『存在そのものからして疑義がアル』ってゆ~学説すら有って。。

だいたい 日本人の家系の祖を尋ねると、清和源氏と答えるケースが一番多いンですナ はい。
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   ぶっちゃけ…先祖に「清和源氏」出てきたら 疑った方がイイかも

清和源氏とは、第56代天皇清和天皇を祖とした一族であり、直系の子孫として最も有名な人物は源頼朝で。

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後に征夷大将軍となり、幕府を起こした足利尊氏、徳川家康はいずれも源氏出身を名のっていたと。(ただし、徳川家康は自称源氏であり、源氏の一族から系図を買い、適当に作ったというのが定説である。)源氏出身でなければ、将軍になれない、すなわち幕府を起こすことができないとも言われていてたそうで、(平氏出身の北条氏、自称平氏の織田信長、摂関家に養子になった豊臣秀吉らは実力がありながら将軍になっていない。)
 
また、中国最後の王朝である清は清和天皇から取ったという説も伝わってて(さすがにコレは・・・)成吉思汗イコール源義経であり、その一族の元王朝の末裔と名のっていた愛親覚羅一族(清の皇帝一族)も清和天皇の末裔ということになる。清の第6代皇帝乾隆帝(清の黄金時代の皇帝)が、「朕の姓は源義経の裔なり。その先は清和に出ず。故に国を清と号す。」と記したって、例の 日本3大珍説の1つとしてカウントされてますのは ご存知の通り。

 
っと・・・このように清和源氏は名門中の名門でありますルが、その祖についてはきわめて謎が多く、それらを解明すると…どの結論においても・・【 清和源氏の祖は清和天皇であるということは、真っ赤な嘘 】ってなるのでありまして ええ。

(1)清和天皇-陽成夫皇-元平親王-経基王-源満仲-頼信
(2)清和天皇-貞純親王-経基王-源満仲-頼信-頼義-義家-義親-為義 -義朝-頼朝

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(1)は源氏の始祖頼信が1046年に記したものであり、清和源氏というよりは、陽成源氏と言った方が適してまししネ。

(2)は源氏の大成者頼朝が1182年に記したものであり、こちらの系図が一般的に知られている清和源氏のもので、江戸時代までは(1)の系図は知られてなく、(2)のみが知られておりまして、1900年に(1)の系図が暴露され、2つの系図が存在し、果たしてどちらが正しいのかということになったと。

清和天皇、貞純親王、経基王の生没年から判断してこの3人が親子であるのは、不自然であることから、(1)の系図に対しての支持が強まっているようで。


しかしでス、なぜ陽成源氏を清和源氏にすり変える必要があったのだろうか?? って まずもっての「大疑問」が・・・。

陽成天皇は素行が悪く、途中で退位させられた天皇であった。ライバルであった平氏が英明であり桓武天皇を始祖にしていることから、源氏側は系図上の天皇を1代繰り上げて、英明であったと言われる清和天皇を始祖とし、陽成天皇からは切り離したと思われる。

この操作は源氏と平氏の争いが始まったあたり(1100年以降)に行われたと推測できる。頼信が発表したころは、源氏は貴族の家来に過ぎず、そこまで配慮する必要はなかったから陽成源氏でかまわなかったと考えられる。
 
また、もう1つの謎として、経基王と源満仲がはたして本当の親子だったかどうかにおおいに疑問が残る。比較的信憑性が高い『尊卑分派』によると、経基王は 917年生まれで、満仲は 912年生まれである。子が父より5年も早く生まれている。このことか経基王は源満仲の実の父ではなく、源満仲以降の源氏は清和源氏説、陽成源氏説にかかわらず、源氏は天皇ないしは経基王の血脈をひいていないことになる。
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    ぶっちゃけ…史実そのものが曖昧なんだから、家系図それの信憑性は??

おそらく・・・、やり手であった満仲が天皇の孫にあたる年下の経基王に接近して、その血筋の価値に目をつけて、養子になったものと思われ、この前後に、経基王が源氏賜姓となり、満仲も源氏姓となったはずである。この2人は摂関家の政敵を陥れるために、密告をすることによって地位を得た。満仲の三男であった頼信は武士として基礎を作り頼義、義家によって源氏の東国における地位を不動のものとした。これ以降源氏が繁栄し、名門中の名門となるが、その出身は明らかでないことは確かだとも。


 っと・・・ココの場には似合わない(笑)コ難しい事 ホザきまスたが、1言で言い切るってなら・・・

  【 家系図…特に 地位と名誉の有る家系図ほど 信じるには値しない 】ってそれに尽きましてン ええ。。。

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  ンな、「家系」で悦に入るって、ンなさもしき生き物ぢゃにゃいのだ!

実際問題…『ウチの家系には 皇族の血が入ってる』ってケースは、数え出したなら『キリが無い』のだそ~~で。。。

ウチとこの 京都の本家なんかも「まさにそれ!」、日本書紀や古事記の時代の事象とかには ゼンゼン絡んですらいない・・・完全なる『後付け』。。

要は「制度主義」それの弊害とも考えられます。当時、朝廷や京都の公家、天皇家筋から『嫁を貰う』ってなりますとネ・・・

マッタクもっての「馬の骨」でしかない ンな人間が、財力や 持ってる軍事リョクなんかで お姫を奪い去るってのはチトばかり、外聞が良くないから、

『皇族と婚姻をして当然の家系』・・・早いハナシ、それをば デッチあげる必要があったわけわけヨ うむうむ。。。

さいわいってか、その真偽にすら疑問があるけど、武家社会よりの「源氏」や「平家」って、皇族の外郭にあたります、一種のブランドがあったもんで、

ややこしいのは 全部「そっち」で、コレさぁ・・・現代なら『戸籍ロンダリング』そのものだゼ? うううむ(--;

っと、かように 古代から中世の 日本社会の「戸籍その由来」ってのには、良く言えば「鷹揚」…ワルく云やあ「チョ~いい加減」なんだワ はい。


ンな訳で、その 信用ならない家系図・・・ぶっちゃけ「それを」根拠に、我がルーツを探るってのも どうなんだ?? っとは思うのでありますが・・・
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       たとえ 信用するに問題あろうとも…

でも・・冒険小説にも近しい 楽しみも有りましてン♪ 遺された 宝島の地図ってのが たいていはガセであり インチキで。

だけんど、その 予めインチキって判ってル インチキ地図の中に、『真実へと導く《鍵を読み解く》』それがあって♪
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         好奇心と冒険心、ヒトにはそれ必要だ♪


ウチとこの 先祖ですが、「甲斐の 武田信玄」それの家臣であった時代があると・・・。

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生え抜きの家臣ではございませんようで、要は 滋賀の彦根から やや東の地区を 縄張りにしていた地方豪族だったようで、

200名ぐらいの 自家の手勢を連れて、武田家に召し抱えられたようで、持ち込みの兵隊としても、200名は中隊規模でっからネ、ペーペーの足軽では無く、「食客」的な身分だったとも考えられます ええ。
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         ドンパチ「出入り」で雇われた用心棒的勢力ね

 ほんで、いよいよの「核心」・・・皇室の筋より 嫁を娶ったって、それへと入るのでありますが・・・。

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制度として「臣籍降下」って言ったそうで。、皇族の人が姓を与えられて家臣の身分に下り、皇族ではなくなる、というものです はい。
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どうも 背景には、当時の 応仁の乱あたりの時代、「天皇家の経済的 落魄ぶり」それが大きく起因してたようでもあって。。。

わたいはそのへん知識薄いのでっけど、なんか 相当に逼迫していたらしいって。

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なんせが、「誰も 貢物持ってこない」・・・当時の 京都の街ってのは、今で例えるなら、中東のイラク、市街戦がドンパチ行われてます、国内でもイチバンの危険地帯でもあったゆえ、巻き込まれちゃ怖いから、ダレも上洛しないもんで『さてさて 困った・・・』

じゃあ??・・・どぼちて? 天皇家としての 生活費や固定費をば捻出したか??

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要は・・・「人身売買」ッス ええ。。テメエとこで産まれた、特に『娘を』…地方の カネ持ってル大名とかへ嫁がせては、その「結納代」で喰ってたと・・・。

上記しました臣籍降下って制度で、『どぉ~せ 消えちゃう筋だからイイやぁ♪』っとばかり・・(--;一時期 めったやたらに 実質『売り飛ばした』と・・・


だがココでも疑問・・・ぶっちゃけ『そんなに子供の数が本当に居たンか?』ってのと、『女児ばかりが生まれてきてルようだけど それホンマかいナ??』って。。。


ね?ココまで書くと お読みの みなちゃまにもお判りだろうっって思います。『野郎…《集め》やがったナ 売り飛ばす娘を』ってことで。。。
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       ってコレ…『闇オークション』やんか・・(><)

なんせが 今のよな 血液検査もDNA検査も存在しない時代・・・たとえ 落ちぶれ果てようとも、天皇家は国内で最大の《家元であり 鑑定家である》って大きな事実・・・

送り出す天皇家が「ワシとこの娘ぢゃ!」って言い張るなら、ぶっちゃけ「まんま通っちゃう」って ンなロクデモないとしか呼べない時代(^^;
 

 ンで、その「ひとりの娘」が、武田信玄の側室の1人として 送り出されたらしい。

賢明な信玄は、おそらくは 天皇家側のサル芝居…このインチキのカラクリ、チャンと見抜いていたって思いますナ。ホントに天皇の血を受け継いだ娘ではなかんべえ っと。

でも、《もしかして 本当の娘である確率も捨てきれない》・・・そんだもんで 信玄は、側室で嫁いできた娘さんを あえて、側室扱いとせずに、「養女」って立場にしたのですと(古文書によると)

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ぶっちゃけ・・イッペン以上は 手ぇ出して いひいひ♪な行為したかもしんないス(笑)(^^;でも欲しいのは 天皇家の権威であり、愛情ではござんせんしネ。

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       かくも「権威」とは、ヒトをばクルわせるのか?

で 結果ど~なるか??・・・チト許せん所業ですが…1人の人間の存在としては《要らないコ》ですから・・家臣らとか呼びつけた信玄公『よしっ!天皇家の血筋の養女、オメエに嫁にヤルわ喜べ♪』人権もフェミニズムもあったモンじゃないハナシに @@;
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    リーマン社会の、社長・会長のお下がり愛人嫁にするって…


で・・・出所は 地方の豪族(イコールで夜盗集団)の頭目に過ぎない我が先祖、ヒョンな事から、天皇家のお姫様を妻に娶るって 相成ったと お立合い。
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          せめて…『愛は存在してた』って、そう思いたい。。。


武田家には 息子 7名 「武田太郎義信→自害」「武田勝頼」「海野信親→出家(お坊さんになる)」「武田信之→夭逝(ようせい;幼くして死んでしまうこと)」「仁科盛信→戦死」「葛山信貞→殺害」「武田信清→米沢武田家へ転出」って・・

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      旧態の「白兵戦」から、近代「銃火器戦」へと移行した伝説的戦闘

ウチとこ先祖ですが、信玄公 入滅後、後継いだ 勝頼に付き合い、天正3年5月21日(1575年6月29日)有名な合戦『長篠の戦』に参戦し、多分…戦死したか?《首》が挙がらないまま、要は「生死不明」っとなり、当時の以後の記録から抹消されたのでありますが。
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      本来、武家の妻なら 夫の後を追うところですが…

この時点でバラけてしまう・・《筈だったが》・・・奥方である 自称天皇家の血筋の娘は、産まれていた子供、男子2名を連れて《チャッカリ逃げていた》って(^^;さすが我が先祖♪
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      ある意味『逃げてくれたから』今リクが居ます(^^;


どうも・・嫁に出される際の約束、《いよいよヤバくなったら、京都へ帰ってこい》って、それを頼りに 京都へとやっとこ 辿り着いたようなんですが・・・

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ぶっちゃけ・・・公家の世界の『身勝手極まる 朝令暮改』・・・その約束は反故とされ・・《臣籍降下で もはやアンタはウチとこの家系の者やおへん》って・・門の中へ入れてもくれずに・・(--;


しかぁ~しっっ!! ぶっちゃけ 子供抱えた『母は強し』だ♪ 奥方は『ンな物言いで通ると思うかアホっっ!!』って、
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      そだそだ!子供抱えてンだ 頑張れおっかさん♪

完全に 開き直り、門の前にて、「ハンスト」敢行したらしいって いひいひ♪ 人通りも多い京の市中、道行くヒトらは、『あのヒト、元は天皇はんとこの姫サンやて。なんぞモメとるらしぃ~デ』ってウワサとなり、

なによりも体裁と世間体を重んじる朝廷、さすがに放置も出来んって、奥方に『先の 応仁の乱 で、一面焼け野原になった場所、そこに再復興の公共事業の計画アリますから、アンタの住まいも造ったるワ。そこに住めばよろしい』っと 権利勝ち取ったと♪

戦国時代の始まりは応仁の乱、終わりは織田信長が足利義昭を京から放逐した元亀4年(1573年)ということになり、豊臣秀吉により全国統一が完成した1590年まで、そして 徳川家康が幕府を開き、豊臣家を滅ぼした1615年までが、日本におけます『戦国時代』それなんですが。

戦国の世も終わり、いよいよ…ウチとこ 父方の本家の 京都市中での歴史が正式に始まるわけわけんのでアリますルが・・・。
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        今のリク総本家、基盤の完成に至ったと。。。


で・・・次に出てくるってのが・・・ぶっちゃけ…『ナニをヤって喰ってたんだ??』って疑問で。。。

スクラップ&ビルドで、まんまと手にした♪「住処」それはイイですが、当たり前でっけど、『なんかしなくちゃ生きてけない・・・』。

ほんでネ、遺されてます文献等によるなら・・・今の京の場所で暮らし始めた先祖は、正直…ドチラの側からのアプローチなのか?それ判然としないのですけど、

当時の時代で 日本有数の文化人にして才人【 本阿弥光悦 】と知り合ったのだと 遺されてます文献は「語る」。。。
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     本阿弥光悦 「日本三大書家」当代きっての文化人で

本阿弥光悦 氏の後押しあったらしく、先祖は 戦乱も収まり、どんどんと復興を見せ始めた京の街で、『美術・骨董屋を展開』しましたようで。


 でだ・・・いよいよのヤバいとも呼べます部分をばブチかまさせていただくのですがネ・・・

骨董屋をば展開し、京都の街で 職を得た我が先祖・・・コレが案外と…『エゲつないショーバイ』も していたよ~でもあり。。。

骨董屋ってのは、ウマいこと「当たるなら」、案外と効率も良く 奉公人を抱える必要も無い、ノンキで気楽な商売ッス ええ。

ナンたって、扱う「モノが」生鮮品とか食物とかでもない、抱えてますストックも 腐ったりする心配が無い♪
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店開けてても、絶えずお客様がいらっしゃいますってな感じでは無くて、仕事してるよか、暇をコイてる時間が圧倒的に長い、勤労意欲が限りなく薄い(笑)基本 遊び人の 本家には「うってつけ♪」の仕事で。

だけんど・・1つ モノの売買が成立するってならば、ぶっちゃけ『利幅がデカい』。。仮に 300マン円で売れるモノだとするならば、実質…その半分、150マンは 儲けですから ええ。

1年を通して、その価格帯のモノとかが、「年に4つぐらい」売れますなら、あとは遊んで、寝て暮らせるって ンな仕事。。。


戦乱の世を過ぎて、元禄時代頃には、京都の裕福な商家や 寺院とかに、けっこ~な数の骨董とか売って、財を築いたらしい 家ですが。

でも・・時代が 天保の終わり頃へと差し掛かると、時代の趨勢とは無関係にも思えます 骨董屋にも「受難の時代」ってのに遭遇し・・・


文献によると、当時の時代風潮が 「骨董どころやおまへんがナ」って風に、美術工芸品とかの市場が 一挙に「萎んだ」と。

唐の白磁の陶器やら、壺だの花瓶だのってのがゼンゼン売れ なくなり・・・その替わりとして訪れたのが『 刀剣のブーム 』。。。

だもんで、先祖も、食っていくため、そっちの領域へと方針を切り替えた様なのですが ええ。。。

徳川の治世となって、鎌倉時代末期までの 所謂「古刀」、それらは急に価値が無くなり 二束三文と化していたそうなんでおますが、

武士層に留まらず、商人も百姓層も 時代のキナ臭い雰囲気を敏感にキャッチして、再び『良い 銘刀を!』って、そのニーズが高まって。


ただ・・そうなっても、刀剣類の場合、今の時代と違い 『ドコに行けば ダレがその銘刀持ってるか?』なんて情報がゼンゼン掴めない 掴みようが無い時代・・・

でも、それに「かかわらず」・・ウチとこの骨董屋では、「備州長船祐定」だの、「正宗入道」やら、「福岡一文字」とかって、マニア垂涎のアイテムっを よくよく売っていたのですと。。。

中でも、コレも古文書信じる限りでは、幕末期にかけては、新選組の近藤勇で有名「虎徹」、『虎徹欲しいンなら あっこヤ!』って、かなりに儲けなはった気配が。。。

しかし・・・ウチとこ先祖は、骨董界でも、殊 刀剣類に関しては あくまで後発組だった筈で・・・「どぼちて??」銘刀 虎徹なんぞをゲット出来るルートを発掘したのか?? てんでそれが判りません はい。

古来より、『虎徹を見かけたなら ニセモノと思え』ってナ言葉が有りましたように、

なんっか・・・ウチとこ先祖も【 理解した上でニセモノ売ってた 】って、ンな気配が感じられてならない うむうむ(--;


一般的な日本語では贋作(がんさく)と言いますが、鑑賞会や鑑定会など刀の集まりで使われる言葉では「偽物(ぎぶつ)」と言いましてネ、刀剣の なんちゃって品は。


ただ・・コレの構造にも なっかなか、コ難しいルールってのか?取り決め事が存在してまして刀剣には・・・
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「写し と 贋作+レプリカ」という線引きになりまス はい。本物であるものと本物ではないもの。。。

「写し」の山姥切国広は「九州宮崎県出身の国広が作りました」と 刀身部分の茎に書いてあって、実際に国広が作ったものなののでアリますが、「本物であるもの」として 正々堂々 流通するって、訳わからん現象が。。。

贋作が多いことで有名な虎徹で言うと、値札に「長曽祢虎徹」と書いてあるもののうち、江戸時代に生きていた長曽祢興里という人が作ったものだけが「本物であるもの」。それ以外は全て「本物ではないもの」です。楽天市場やAmazonで売っている「虎徹の模擬刀」が本物でないことは言うまでもありません。
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        出たっ!ココでも『刻印頼み』ブランド主義でおます(--;

先祖を庇う気持ちはありませんが、ぶっちゃけ 先祖が【ドコまで?】、偽物の販売と斡旋にかかわっていたのかは 判りませんままで。。。


ったらネ・・・本家の蔵の中に遺る 膨大な資料、その中からリクちゃまですが、チトばっか…『シャレになんないモノ』見っけちゃいましてン ええ。。。


本家先祖の 当時の当主と、鍛冶平(細田直光)と言う御仁との間で往復した「書簡」。。。

「それ」ですが、ぶっちゃけ かなり無造作に ドサっと置いてありました。
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       鍛 今でも、幕末の刀鍛冶として名声は有ります

おそらくは、『後世の子孫が読んだって この意味は判らんやろ♪』って、多寡をくくってた感があります ええ。

事実 ダレも気付かれなかった・・・。ですが、わたいなんぞは単なるアホアホに過ぎませんが(^^;


ただ・・・習い事の1つとして『抜刀術(居合道)』をばカジっておりまして はい。それの お稽古の一環として、
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     まさか、末裔のアホが、「禁断の秘密」嗅ぎつけるとは…

鍛冶平(細田直光)の その名前には記憶があったとゆ~1つの「発見」。


ジツのとこ・・・この 鍛冶平(細田直光)ってヒトですが・・ほぼほぼ『贋作専門の刀鍛冶職人』なのでして!! @@;

虎徹の贋作は、巧妙にも思えて、でも案外と 大胆とゆ~か、やっつけ仕事的な大胆さがアリましたよ~でネ・・・


「手口」はホント大胆・・・『形状的問題として 虎徹と非常に似た刀剣を持ってくる』そこから始まってて・・・

幕末期に応用されたのは、虎徹とカタチがよく似てます「源 清磨」(コレも凡刀ではない、かなりの銘刀なんですが)室町後期の刀。
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      向かって左が「虎徹」 右が「清麿」 ま、日本刀だから、
      正直…『ドレも似てる』って土台が」アルのでおますが。。。


で・・・よく聞いてけれヤ・・・スゲえぞお!贋作の手口・・・刀剣の 茎の部分へ…『虎徹 押し型』って、

予め、「フォント」ですわナ、字体をコピった【 型打ち付けて 】@@; 『はい~~ 虎徹いっちょあがりぃ~♪』って(笑)(^^;

あのネ・・・俄かには 信じられないでしょ~が、これってマジなんス・・・この 偽物の銘を切る専門の鍛冶がいたくらい。
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        「新選組血風録」によれば、近藤勇の虎徹も・・・
      価格(30両)からしてバッタ物である可能性が高いと…


なんかサ・・・ナニも刀剣にかかわらないス・・ぶっちゃけ この世に存在する『すべてのブランド品』・・それの信憑性と、ブランド追い求める行為、そのモチベーション自体がアホらしくなっちゃいますよネ~~(><)

要するに・・『真贋見極める能力 ダレも持ってない』。。偽造職人と骨董屋がグルになって…そららしき「鑑定書」着せるってなら、殆どがそれで「通っちゃう」って世界。。。

とにかく 先祖が、この 鍛なにがしと、文書のやり取りが在ったって事は・・・単なる時候の挨拶だとは思えなくて・・・

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遺ってます 江戸時代の手紙、なんせが古いし、達筆な草書体なもんで、全文を読み理解は出来てないのでありますが、時は 文久2年から3年にかけてなのでありますルが・・

ぶっちゃけ 当時の当主先祖も、鍛なにがしも いっちゃん活動が密だった時代に当たる時期でおます。

『先日にての貴殿の力作、予期したでござる以上に 依頼者は欣喜雀躍を示し、思うておる以上に 大商ゐとなり申したでござる旨、改めて 深く貴殿に感謝の意 申し候と共に、その技量の程 感嘆するでござる思ゐにてござりんする。』

要は・・・『やぁ~♪こないだのアンタの仕事、思った以上にクライアント喜んじゃってサ~♪予想した以上に高値で売れたゼ いひいひ♪あんがとねぃ♪アンタはえらいっっ!』って(笑)(^^;

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    時代劇の「越後屋」けっして笑えない【我が先祖】(--;

 ・・・あの世とやらで・・きっと先祖は『ヤバっ!!バレちゃったか 子孫に・・(蒼)』ぶっちゃけそれなんぢゃネ??(--;

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   わたいの『お金ダイスキ♪』はもしかして遺伝なのか?(^^;

しかし・・・つくづく・・『ヒトって弱い』って、そう思います はい。。。

果たしての価値がアルかも判然としない「権威」それの価値にひたすら拘り・・・

でもって…ぶっちゃけ、『その価値と権威すらを 他人の評価に丸投げする しかない』。。。

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       所詮『鑑定』とは、他人が下す権威への盲従って云えます はい

ね?? なんか…哀れとゆ~か、いじましく ビクビクしながら一生を終わるしかない「無残な生き物」であるとも。。。


案外と ロクデモねぇわなぁ・・ウチとこの ご先祖も(^^; はい わたいは そんな家系の末裔でおます とほほのほぉ~~

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      やっぱよぉ…人間は最終的に『裸一貫』だゼって♪


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期待してた以上に

 マジで 面白かったです!情報量としても一級で♪

リクさんは本当 上手だねぇ。。。読み手の心を引っ張って、引き付け 興味をそそらせるスキル はんばないですな。
学校時代 日本史とかで習ってて、今も 頭の片隅に存在するだけど、全体が とっ散らかってて、整理もついてない その状態が、
リクさんの文章 読んでいるうちに、その散らかった情報、知識が 一瞬でシュっと「立つ」♪

NHK夜の 歴史番組も、スキャンダルネタを畏れず、とことん追求して欲しいって願う 冬忍草です。

持ち主当人 心の問題

 母親方の実家 その親類筋の家に、問題の(?)
甲冑師・長曽禰興里(ながそね おきさと)の刀工時代の入道名のひとつ、要するに「虎徹」があったそうで。

でも、その虎徹の日本刀ですが、本文にもありました「写し」というもので、
正確な意味でではありませんけど、「コピー品」ではなく、「限りなくクローン品」ていう前提のもとで所有していtくぁのですってヨ。

クルマでいうなら、A・ヒトラーの愛車 1939年型メルセデス・ベンツ「770K グロッサー オープンツアラー」v-448
スーパーチャージャー付き7.7リッター直列8気筒エンジンは最高出力230hpって それを、現代のテクノロジーで甦えさせるのと一緒なのかも。

写しの虎徹でも、相当額の価値がついていたらしく、その家 銀行から融資受ける際の担保となったり、
最終的に、第三者へ かなりの高値で売却されたと聞いてますが。日本刀は 美術工芸品として寵愛されるだけなら良いのですが、なんといっても 人斬り包丁だから。

でも、「銘刀」は、実際の戦闘や いくさでは、使うと 造りが繊細だから、曲がっちゃったりして 使い勝手はよくなかったって聞いてますわよネ。
子連れ狼の 拝一刀が使用していた あのゴツい(なんていうんだっけ?」ああいうのが実戦向きなのですかねえ??v-431

今 自分が存在してる事

21世紀の 平成の時代に暮らす わたしら「子孫が」、
生きていくのでさえもが とてつもなく大変であったろう時代に生きていた、ご先祖 無碍に否定は出来ないだろうとも思いますよねー。
当然というか、リクさんにも そういった気持ちは十分に感じているだろうって思います。

読んでいて とても数奇な運命に翻弄されたのだなあ。。って、思いましたが でもそれと同時に、
『今 自分らが生きているって その事自体が、数奇な運命で、幸運にも代を重ねられた結果』だとも思います。
「生死を分けた あの瞬間…」っていうのだって、ホンの少し、ちょっとした匙加減によって、運命が分かれるのでしょうから。

刀剣類の斡旋事業については

正直なところ、自分もそれほどには詳しくもなんでもないので、あまり決めつけた事は言えないけども。

「欲しがるマニアの心理」っていうのはさ、要するに権威者による お墨付きが欲しい。
ある意味では、その刀の 本当の真贋などは 二の次で、『夢に価格を支払う』それですよ。
武士が存在した昔の時代だって、銘刀を買ったからといって、それで人とか襲って、斬りまくってた訳はないし。

虎徹の名がついた偽物の刀剣であろうと、リクさんの先祖は、セコい寸借詐欺や、悪どい不動産詐欺とかとは違って、
虎徹をが「とにかく欲しい!」っていう人へ、『その夢叶えましょう』それをしていたって考えられないかな?

刀剣類ってさあ、変わらない、変化しないようにも見えて、使わずに放置しっぱなしだと、
ドンドン、錆びたり、劣化していくのですよねえ。。。
昔ですが、友人の蔵の中にあった、100年以上も放置していた 先祖代々の秘蔵の日本刀って、それ見たのですが、
じっさい「それ」…無残にも 赤錆だらけの、「鉄の残骸」でしたよ ええ。
おそらくは…同じ江戸時代でも、初期の頃と幕末では200数十年も経ってるでしょう?
きっと虎徹なんてのは『タマ数』として、室町から安土桃山時代の頃の まともな逸品なんか もはや残ってなかったろうって そう思うのですがねぇ。。

No title

うちは母親が自分とこは源氏と平家どっちもだ、祖母筋が平家で、平家筋のほうは近衛兵にもなってる人がいるって言ってましたけど。
父方は苗字通りなら藤原氏なんですよね。
でも、その苗字は、藤原氏の流れ以外にも、四つか五つくらいは別の流れもあって…
要は辿って行けば藤原氏以外の豪族とかまあいろんなルーツから同じ苗字を名乗っていると…
他の苗字もそういうの多いですよね。

父は 「ブリ時ストンの一族とか茶道の家元とかじゃない限り家柄がどうとか関係ない!」 と言いきる(^^;
母の実家も、祖母と本家筋のおり合い悪く、祖父に跡取りの権限があったのに、それを放って、家を出てきちゃった…てかんじだし、
家系図とか一切所持して無いんですよねえ。

だから正直よくわからない。
なにか将来不都合がありますかねえ?
結婚する相手方のご実家がウルサイ家だとなんかあるかも?
まあ、特に問題はないだろうと。

某番組で「足利尊氏の末裔」って触れ込みで出てきた【カウンターガール希望 脚お尻に自信あります!】って【苗字が足利】の女の子…
どこまでマジなんだか(笑)
あほクサ…_(:3 」∠)_

まあ、昔は階級社会で、そうやってちょっとでも自分の家はほんとはいい筋の家なんだ!って元気やプライドを保とうとしたんじゃないかな?

まことに興味深い♪

「新選組血風録」で、近藤の虎徹の真偽の章、あれで 世間一般にも、日本刀の信憑性に火が付いたともいえますね。

でも、なるほどねぇ。。。どんな銘刀だろうと、後付け作業で、「化けちゃう」事は 案外に可能だったのですね。
でも、近藤自身は、生涯、自分の持っている刀は 本物の虎徹だって信じて疑わなかったようで(池田谷事件後の手紙の記述とかで)
要は『信仰』えすよね?持ち主の当人が、とくに新選組の隊士のように 常に緊張、命のやり取りを強いられる職務だった場合はとくに、
実際の戦闘で、『これは斬れる。本物の銘刀だ!』って、気持ちが固まるなら、たとえ現代の精密検査の結果がどうであれ、
その当人の中では少なくとも、その刀剣は「間違いない本物」 小生は思いますが、「すべての道具」っていうのは それで『いいんじゃない??』って、そう思えます。

剣同士での斬り合いなんてのは、勝負を分けるのは、完全に互いの技量ですしね、日本刀が「斬れる」というのも、じつは刀身の部分では無く、
完成品の刀剣に「刃(やいば)」それを接合した いうならばカミソリ部分が敵を真っ二つにするのですから。

実際に 剣を使わざるを得ない 武士層の人間ほど、その銘刀を欲する心理というのは、
単にブランド志向というよりもむしろ、『この剣さえあればオレは無事だ』っていう、今でいうならば一種の「心の安心保険」だったような気も。
リクさんのご先祖が、名うての偽造職人とタッグ組んでたと仮定しても・・・でも、下地となった 源清麿って刀剣、あれだって、疑いようも無い『銘刀です!』
二束三文の 凡刀を 偽っては儲けていたのとは ちょっと次元が異なると 小生は思います。ぶっちゃけ、『ロゴが変わっただけ』であって、
ご先祖の「目利き」…オリジナル虎徹と 機能的にはなんら変わらない物を目利きの能力でチョイス出来る、そのスキルは『本物すら上回っていた』のかも。

 けっして ご先祖の事は 引け目に思う必要などなかろうって 思いますよ リクさん。

正宗、村正、虎徹、兼定、菊一文字、同田貫……

刀は、使えば刃こぼれするし、血や脂でほっときゃ錆びるし。
手入れすれば身は痩せるし。
名刀の持主たちは、本物は神社に奉納したり、どっかに仕舞って、写しを腰に帯びてたのではないかなぁ。
戦国時代、幕末、刀は、一部の人の実用品だったはず。
土方歳三は、自分の刀には拘ったけど、武器としては、
「これからは、洋式軍隊。最新の銃器!」
と、戊辰戦争の後半では、洋式歩兵を率いて、常勝将軍とまでなった。

ご先祖のバックに光悦さんですか。
光悦の折り紙付きなら高く売れるでしょうね。羨ましい。

親戚の家に、白鞘の刀がありまして、触らせては貰えなかったけど、茎に銘は在ったのか、無銘か。
銘も偽造あるそうですね。

先祖代々、殿様に使える身。
よくぞ、切腹打首、お家取潰しなどに合わず、現在まで続いて下さいました。
先祖の苦労に感謝します。
間違っても、家系を鼻にかけちゃいかんですな。

リクさんのご先祖も、子孫繁栄の為、伸るか反るかの大博打をうったのだと思います。

Re: 冬忍草さんへ

 冬忍草さん いつもありがとうございます♪

>学校時代 日本史とかで習ってて、今も 頭の片隅に存在するだけど、全体が とっ散らかってて、整理もついてない

はいはい「そのこと」こそが、日本の基礎学校教育におけます、おおいなる「無駄」なんでございますのネ。
歴史 とくにテメエの国の歴史っていうのはだ・・年号ばっか それダケ暗記して『どうなる??』
大事なのは・・『どういう時代環境だったか??』歴史の 過去と、その後の未来とかと、スライドしながら 実態を掴まないことには、1文の価値もない(--;

> NHK夜の 歴史番組も、スキャンダルネタを畏れず、とことん追求して欲しいって願う 冬忍草です。

奇麗事ばっかで 過去の人間の営みは 語れませんよネ?
思わず 目を覆いたくなる、耳を塞ぎたくもなる、戦国の世なんてのは まさしくもっての「修羅の時代」で。
『なんとか・・』国としての「体裁を」最低限度 整えられるようになったのは 明治期以後。。。
まあ ボクちんですが、先祖のエグい所業を発見し、絶望にくれるってナ か弱き生き物でもないし♪
人間全体の方向性が 現在よりも進化していくとするならば、きっと 未来の子孫に 今を生きる我々だって、呆れられるだろうって。
自分だけが 上から目線で 過去を評論するだけってのは 意味も無いし『カッコ悪い』って思います はい。

Re: JJさまへ

>  母親方の実家 その親類筋の家に、問題の(?)
> 甲冑師・長曽禰興里(ながそね おきさと)の刀工時代の入道名のひとつ、要するに「虎徹」
> でも、その虎徹の日本刀ですが、本文にもありました「写し」というもので、
> 正確な意味でではありませんけど、「コピー品」ではなく、「限りなくクローン品」ていう前提のもとで所有して

ほほぉ、「写し」ですかヤ。出来の良い写しは、オリジナルよりも むしろ価値が生じるばやいも珍しくないのだお。
最近のテクノロジーで、エコー による 非破壊検査だとネ、今も残存する 昔 名刀とかも、刀身の鋼鉄部分の内部構成がわかるからネー。
テクノロジーも無い時代に、モノホンの刀と 寸分変わらない刀 造り出しちゃってた 当時の刀鍛冶はグ.スゴいやね~~。
>
> クルマでいうなら、A・ヒトラーの愛車 1939年型メルセデス・ベンツ「770K グロッサー オープンツアラー」
> スーパーチャージャー付き7.7リッター直列8気筒エンジンは最高出力230hpって 

うむうむ マニアックやねぇ(^^;
チミのご実家のみなさん、全員かなりのCarキチやけんネ。T型フォード、TOYOTA2000GT保有してたって、なっかなかのマニア。

> でも、「銘刀」は、実際の戦闘や いくさでは、使うと 造りが繊細だから、曲がっちゃったりして 使い勝手はよくなかったって聞いてますわよネ。
> 子連れ狼の 拝一刀が使用していた あのゴツい(なんていうんだっけ?」ああいうのが実戦向きなのですかねえ??

うん 「胴田貫」正国ネ。たしか 据え物斬りで、罪人の死体(うげげ!)貫き・・台座すら斬っちゃって、地面の 田んぼに突き刺さったって伝説からの由来。
胴田貫って、とにかく長くて頑丈で でもけっして名刀ではにゃいわけわけヨ。薩摩の示現流ってのに うってつけだって事で。
示現流は とにかくファーストアタック…相手ウィ討つこむ事のみで成立した剣法でサ、防御なんてゼンゼン無い訳。
幕末から明治にかけて、直新陰流 榊原健吉って「最後の剣豪」が、胴田貫使い、明治天皇の前で 桃山時代の「明珍の兜」叩き割ったって これ事実。
その意味においては 胴田貫は、世界7イチの 貫通リョクの刀剣だとも呼べるかもネ。

Re: ちゃー子さんへ

 ちゃー子さん いつもありがとうございます♪

> 21世紀の 平成の時代に暮らす わたしら、 生きていくのでさえもが とてつもなく大変であったろう時代に生きていた、ご先祖 無碍に否定は出来ないだろうとも思いますよねー。

それは確かですよねぇ・・。けっして比較論では論じきれないって思う。
今の時代だと「情報が在る」ってダケで、危険な目に遭遇するのは 相当防げますものネ。

> とても数奇な運命に翻弄されたのだなあ。。って、思いましたが

だけんど ボクちん 思いますには・・・「ああいった」幾多の苦労や 経験をしてきた ご先祖と、今存在しているボクらが、
果たして…『どんだけの遺伝や相似』それがアルのかなあ??って。。。
マッタクの他人では無いにせよ、ジツの両親と言えども、子供の全DNAとの 遺伝・掃除は 僅か「3%」なんだワ ええ。。。
むしろ、血は繋がっていない ダチとか多いボクちんなどは、盲目的 テメエの出身 「血」と、家柄にこだわるのは『なんか…意味なくなくネ??』って そう思うのでして はい。

Re: サンシャインさんへ

 サンシャインさん いつもありがとうございます♪

> 「欲しがるマニアの心理」っていうのはさ、要するに権威者による お墨付きが欲しい。
> ある意味では、その刀の 本当の真贋などは 二の次で、『夢に価格を支払う』それです

まぁ、そういった顧客ニーズが存在する事で 先祖がしてました 骨董屋なんつ~のは すべてが成立している訳で フクザツな気分がします はいー
でも 思うンですよね~~・・たとえ 国宝級の評価を与えられてても、ズっと秘蔵され 世間の日の目を見ません そんな「名品」と・・・
凡庸な評価しかなくとも、社会のみんなに重宝され 日々使わている道具・・・はたして ドッチが「モノとして幸福だろうか??」って。

> リクさんの先祖は、セコい寸借詐欺や、悪どい不動産詐欺とかとは違って、
> 虎徹をが「とにかく欲しい!」っていう人へ、『その夢叶えましょう』それをしていたって考えられないかな?

お気遣い痛み入りますが(笑)(^^;
でも やっぱ・・・『ワルいショーバイ』ですよねぇ うむうむ。

> 昔ですが、友人の蔵の中にあった、100年以上も放置していた 先祖代々の秘蔵の日本刀って、それ見たのですが、
> じっさい「それ」…無残にも 赤錆だらけの、「鉄の残骸」でしたよ ええ。
> きっと虎徹なんてのは『タマ数』として、室町から安土桃山時代の頃の まともな逸品なんか もはや残ってなかったろうって そう思うのですがねぇ。。

徳川家光の時代ごろまでなんか、古戦場付近の農家のおっかさんなんかが、(たぶん 先祖が古戦場で拾った?)価値もわからないまま、正宗の短刀で ダイコン斬ってた(^^;って逸話も有りますから ええ。
大がかりな合戦のたんびに、多くの価値ある刀剣類は消え去り、次の需要期が始まるって、当時の経済活性とも呼べますね。
刀の「銘」とか関係なくいうならば、魚市場で生マグロたたっ切ってる あのマグロ包丁がいっちゃん切地抜群ですよん ええ。毎日始終 研いでるし。

Re: しょう子さんへ

 しょう子さん いつもありがとうございます♪

> うちは母親が自分とこは源氏と平家どっちもだ、祖母筋が平家で、平家筋のほうは近衛兵にもなってる人がいるって言ってましたけど。
> 父方は苗字通りなら藤原氏なんですよね。

武家社会の構造というのって遡る程に より近しい とでも云うか、
要は お百姓や 商人でない階層ではない武家は、源氏も平家も どこかの部分で 入り混じってたり 統合されたりって繰り返している気がしますよネ。

> でも、その苗字は、藤原氏の流れ以外にも、四つか五つくらいは別の流れもあって…
> 要は辿って行けば藤原氏以外の豪族とかまあいろんなルーツから同じ苗字を名乗っていると…
> 他の苗字もそういうの多いですよね。

ウチとこでも 母方は 熊野の出で 神社系のシャーマんとも関連深いですし、かつ 石山本願寺系の武将 鈴木(雑賀)孫市の腹心の部下だった人物で。
父方の 清和源氏とは ゼッタイに相性が良くないカップル(笑)(^^;あの ハデな夫婦喧嘩は 血のなせる業か?(^^;
「苗字」ってのは、要は…『どこどこに 仕える身でござりますル』って、一種の名刺なのネ。その証拠に 天皇さんや皇太子には苗字在りません これホントなんだお。。。名乗る上のヒトが存在してないから。


> 父は 「ブリ時ストンの一族とか茶道の家元とかじゃない限り家柄がどうとか関係ない!」 と言いきる(^^;
> 家系図とか一切所持して無いんですよねえ。

ってかネ・・ぶっちゃけ今回の 隠れた「趣旨」なのでおますが・・・
『家系図とは 幻想の塊により存在している』って 冷徹なル事実で。。。
たとえ 高貴な血が入っている人間でも、今へと続く 何代か前には・・・飢え死にしたり コジキになったよな【先祖だって居てなんの不思議はない】って事。。。
殆どの家系図では、そういった「都合の悪い真実」それは大抵 当たり前で【省かれてる】。。。
少しでも世間に通りが良い、ンな筋ダケを大仰にピックUPしてるってのが「家系図」ですから ええ。


> なにか将来不都合がありますかねえ?
> 結婚する相手方のご実家がウルサイ家だとなんかあるかも?

断言します。。ンな『くだらんモンを重要視する家』 そんなのは お湯ぶっかけて『コッチから 願い下げでぇっっ!!』って ケツまくっちゃいなはれ いひいひ♪
さらに イったれ!!『じゃなにか??アンタン家は《家柄》とケッコンしてきた家なんか??』

> 某番組で「足利尊氏の末裔」って触れ込みで出てきた【カウンターガール希望 脚お尻に自信あります!】って【苗字が足利】の女の子…
> まあ、昔は階級社会で、そうやってちょっとでも自分の家はほんとはいい筋の家なんだ!って元気やプライドを保とうとしたんじゃないかな?

でもねぇ・・・「誇るべきモノが 家柄ダケ」って、ンな人生ぐらい 「つまらん」ものはござんせんゼ?
ハマの港界隈でも、平家の子孫だって言い張る「オデン屋の屋台のオヤジ」居るし(笑)さらには「勅使河原さん」って、東大出て 今は横浜公園 テントで暮らすホームレスのおっちゃっも居てたり(^^;
ヒトとして 生きる価値観や 幸福の基準は違っていますでしょうけど、大事なのは・・・輪廻とかと無関係として この世に生まれて 一生江尾「どのように生きるか?」畏れでわにゃかろぉ~か??

Re: 長生きの秘訣さんへ

 長生きの秘訣さん いつもありがとうございます♪

> 「新選組血風録」で、近藤の虎徹の真偽の章、あれで 世間一般にも、日本刀の信憑性に火が付いたとも
> でも、なるほどねぇ。。。どんな銘刀だろうと、後付け作業で、「化けちゃう」事は 案外に可能だったのですね。

実際問題として、破壊や分化して調査も出来ませんし 日本刀は。「銘」を根拠に真贋を決めるしか無かった時代の産物ですわなぁ。
江戸時代 特に江戸の街だと 大火や地震被害とが多かったせいも有って、所謂 「古刀」鎌倉 室町 桃山時代の刀剣類が相当数 消失したりって、
幕末期に起きたという 刀剣ブームは、要は《無い物ねだり》なんですわナ うむうむ。

> でも、近藤自身は、生涯、自分の持っている刀は 本物の虎徹だって信じて疑わなかったようで

ぶっちゃけ その「持ち主当人の信仰」それこそが「最強」であり、かつ どんな凡刀だと仮定しても、最高の銘刀として伝えられるって思います はい。
斬り合いを「生き延びた」武士なり剣豪が、居てこそ 名刀だっていう一種の神話が生まれるのであって、
所有し それを駆使する 使い手のスキルが伴っていませんと、どのような名刀を所有しようとも 命の保証はないって事、案外伝わってません はい。

> リクさんのご先祖が、名うての偽造職人とタッグ組んでたと仮定しても・・・でも、下地となった 源清麿って刀剣、あれだって、疑いようも無い『銘刀です!』
> 二束三文の 凡刀を 偽っては儲けていたのとは ちょっと次元が異なると 小生は思います。ぶっちゃけ、『ロゴが変わっただけ』であって、

ってか・・・先祖が悪人だったか 違うか って事については・・・ぶっちゃけ《確たる証拠が乏しい》それでして ええ。。。
本来の「得意版」の扱い項目は 香炉だったり、屏風類だったようですから 先祖してました骨董業は。
京都の父方本家、継ぐ気などは てんでござりませヌわたいですが(^^;
でも…なんかしらの責任の一端がナイとは申せませんもので」・・・こういった ご先祖の「クロ歴史」についても 逃げないで 知っておかねば って思ってます はい。

Re: アツシさんへ

 アツシさん いつもありがとうございます♪

>刀は、使えば刃こぼれするし、血や脂でほっときゃ錆びるし。手入れすれば身は痩せるし。
>名刀の持主たちは、本物は神社に奉納したり、どっかに仕舞って、写しを腰に帯びてたのではないかなぁ。

なんか、少なくとも「家宝」ってなるぐらいの刀剣にもなりますと、『いっぺんでも使っちゃったら 価値は半減』って、
実際の戦いの場に使用される可能性は 極めて低かったそうで。。それ考えますと・・・名刀ほど、世間知らない 箱入りの坊ちゃんに過ぎないってこれまたの「皮肉」で。

居合の師匠のお宅で、祖父の方が実際に、満州とか中国の土地で 転戦し使用してたって、「軍刀」それ見せて貰ったのですが・・・
ぶっちゃけ 美術工芸の視点でいうならば 「凡刀」そのものですが、ぶっちゃけ まぁ~~エグいというか、禍々しきモノでそれは・・・
要は 実際の戦地で、『人を斬った刀』ってのは、独特の 凶悪さがつきまとってますホント。
人が人を斬るって、ンなクルった行為の 空恐ろしさが 刀身にこびりついてて怖かったです ええ。
本来そのような日本刀に やったら価値だのを追求したって、日本刀を取り巻く文化には チト異様なものを感じるのですね ええ。

>ご先祖のバックに光悦さんですか。光悦の折り紙付きなら高く売れるでしょうね。羨ましい。

でも、その光悦も 京都と皇室や公家の権威を最大に利用し『テメエという存在を売り込む』それにかけての天才だったという説もあって。。。
光悦が仮に 九州当たりの出身ならば、歴史に名を残すっていうことも無かった可能性が。
ウチとこの先祖は どのようにして、光悦にコネを得たかが 興味あるとこでおます ええ。

>先祖代々、殿様に使える身。よくぞ、切腹打首、お家取潰しなどに合わず、現在まで続いて下さいました。リクさんのご先祖も、子孫繁栄の為、伸るか反るかの大博打をうったのだと思います

でも、『京都へ戻って来ちゃう』って点に、なんか・・・打算めいたものを感じてしまいますよねぇ うむうむ。。。
どっかの地方の田舎で 百姓でもやって 地道に暮らすって その発想が無いところが いかにも我が家の血筋ってか(笑)(^^;
ある意味 田舎を嫌って ブランドとしての ハマの港へ出て来ちゃった このわたいにも、先祖同様「歌舞伎者の血」が混じっているのかも。。。
プロフィール

港のリク

Author:港のリク
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港で働く ジツはとっても気の荒い(?)アンちゃん・・・ですが、産まれついてのホルモン分解異常の関係で♂なのにEカップの胸の持ち主 という混沌としているわたしです。

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