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荒くれ文学館 異色作。。。

 リクでありますが。今回の「荒くれ文学館」、チト趣が異なるとゆ~か、
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内容自体が「面白く 興味深い」それでして、いつものよに わたい如きがチャチャ入れて回るよりも、原本として、手付かずの記述を愉しむのが正しいと理解しているものですが。


ただ・・・少しダケ、「注釈」ってのを加えた方が、エエのとチャウやろか? とも考え、余計な蛇足を加えてみることにいたします はい。

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  (本日のお題) 三遊亭金馬『 昔の言葉と悪口 』

3代目の 三遊亭金馬です。本名加藤専太郎

生年月日 1894年10月25日 没年月日 1964年11月8日(70歳没)

出身地 東京府(現・東京都墨田区)

師匠 初代 三遊亭圓歌 活動期間 1913年 - 1964年

得意ネタに「孝行糖」…孝行糖 孝行糖 孝行糖の本来はぁ うるの古米に寒ざらし チャンチキチンスケテンテン♪
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     「居酒屋」…「へえい、できますものは、けんちん、おしたし、鱈昆布、あんこうのようなもの、鰤(ぶり)にお芋に酢蛸でございます、へえーい。」「じゃあその《ようなもの》一人前持ってこい!」

昭和の 20年代~30年代にかけての『ラジオ寄席』全盛時代の 当代きっての人気者にして、文化人の安藤鶴夫や久保田万太郎とも交友が深かった落語家師匠で。

同業者には辛口の 立川談志も「良い意味として 大衆的落語の最高峰」と評し、古今亭志ん朝も金馬のその口調の素晴らしさを、「志ん生、金馬とこう並べると、わたしなんか好みからいくと志ん生なんですけど(自分の実父)、本当にお手本にすべきはやはり金馬なんですね。だからたまにテープを聞いたりすると、「ああ、こういうふうにしゃべれないもんかなあ」と思いますね」と江國滋に語っている。さら「に新宿末広亭」の大旦那と呼ばれた北村銀太郎は「昭和の大物」として、文楽・志ん生と並べて金馬の名を挙げています。

この「作品」、おそらくは 金馬師匠の 問わず語りを書き起こしした短編であると思われます。

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 現在、各大学に落語研究会というものがあり、中学・高校の教科書にも江戸小咄がのっている。近頃落語の寄席へ若いお客が多くくるようになった。誠に喜ばしいことだ。ぼくは一般のお客から「落語はどういうところがお好きでおいでになりますか」とアンケートの投書をいただいた。そのなかに「昔の言葉が覚えられるから」というのが多くあった。
 われわれ商売人の若い咄家が聞いてもすでにわからなくなった言葉がある。土地の名前もわれわれはうっかり昔の町名をいって自動車の運ちゃんに聞きかえされる。
「妻恋坂」「湯島大根畑」「切り通し」。万世橋から上野までが「御成街道」。「筋違すじかい」「講武所こうぶしょ」。現万世橋が「眼鏡橋」。「御隠殿ごいんでん」「喰違くいちがい」「鉄砲洲」「お玉ヶ池」「新堀端」「大根河岸」「竹河岸」「白魚河岸」「竈へっつい河岸」。「ヤッチャ場」も「青果市場」と改名した。
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 ついうっかり「二足三文だよ」といってしまう。これも下駄の鼻緒が二足分三文で買えた時代の言葉であるから、今は通用しないがついうっかり喋ってしまう。ためしに古い咄家が高座で使っている昔のことばを調べてみた。
「俺がいおうと思っていたがお株をとられてしまった」(先にやられて)
「いかなこっても」(何がなんでも)
「権助の話は裏がかえらねえ」(二度目にやることができない)

 権助とは何ですかと聞きかえされて、作男で台所で働いている男だ。台所とは何です、勝手、といってやっとわかった。
 昔の悪口には面白いのがずいぶんある。

 今は恐妻家、女天下というが、昔は「からすの昆布巻」(かかあまかれだ)
「ずいぶん歩いたがまだよほど遠方なのかね」
「なーに、台屋のお鉢だ」(じき底、すぐ底)
 吉原の料理屋からとる飯櫃めしびつは上げ底になっていた。いちいち説明をつけると長くなるが、現代人にはぴったりこない。

「怠け者の節句働き」
 五節句といって、一年に節句と名のついた休日が五つあった。一月、三月、五月、七月、九月である。三月三日の上巳じょうみと五月五日の端午たんごは誰でも知っているが、現在休日は五月五日の子供の日だけになった。
 相撲も四股名しこなのつくまでは苗字だの入門した月日で呼びだされる。行司が、
「片や三月二日、こなた五月の四日、互いに見合ってセックマイセックマイ」
 昔、この五節句に仕事をしているような者は、不断は「引窓の紐」(くすぶってブラブラしている)といった。現在では引窓という物がなくなった。
 都内を歩き廻って見ても鯉幟のぼりなぞ少なくなった。我々子供時分は三間、五間という長さの鯉幟りと吹き流しを自慢で屋根へ上げた。真鯉という黒い鯉の下へ緋鯉を追掛け鯉として必ず上げた。
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江戸っ子は五月さつきの鯉の吹き流し
     口先ばかりで腹わたはなし
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 ・・・で、『 要するに《駄ジャレ》かよ 』ってなら・・・ズバリ!「その通り」で。

ってか、お江戸の当時って、他の世界の国と比較しても、「江戸」って名が付く地点は、今の行政区割りからすっと、北なら「本郷三丁目」東大の 通称「赤門」そのあたりまでがリミット、江戸城から 西ならば、四谷の三丁目付近まで、それ以外はひっくるめて皆【 郊外 】。
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ンな ごくごく狭小な面積のエリアに 最高で800マン人近くも 人間が住んでたってンですからアナタ、

ど~考えても、江戸以外の地方から、「寄せ集めの寄り合い所帯」だったにちげえねぇわけわけヨ。

『てやんでぇ こちとら江戸っ子でえ!』たって・・よくよく聞くなら『・・・茨城の水戸だっぺ』って、そ~ゆ~地方出身者が、多くを占めていたのに疑いようはございません はい。
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        歴史上でも類がない「各地方の坩堝」だった お江戸

そうすると・・・イチイチ『オメエ、出身ドコよ??』って、不躾には聞けませんから、掛け値なしで本物の江戸っ子として・・・

上記のような駄洒落と考えオチのクイズめいたギャグ、それをして『この洒落が判る奴は とりあえず 田舎者の野暮な人間ではなかろう』って、

「選別と警戒・自衛」の手段の1つとして、江戸っ子らによる こういった「地口 悪口」がおおいに飛び交ったと推察できるのでして ええ。
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 実にうまい表現だ。 少し意気ごんで喋ると、

「五月の空じゃあるめえし、そう大きな声をだすない」 なぞといわれる。

「竹屋の火事みたいにポンポンいうない」
 昔は子供に大きな夢を持たせるというので、正月の凧上げ、五月の鯉幟りと大空を見せたものだという。

「今夜ひと晩泊めてくれねえか」「駄目だよ、家は狭いし、蒲団が一枚しかねえんだ」
「いいよ柏餅で寝るよ」

まろび寝のわれは蒲団に柏餅
     かわいというてさすりてもなし

「北国の雷としよう」(きたなりゴロゴロ)
「百で買った馬みたいにどこでもゴロゴロ寝るなよ」
 百というと一銭だからおそらく玩具の馬のことだろう。

「蒲団が短いから足だけでるよ」「蒲団が短いのじゃねえ、お前が半鐘泥棒だからだ」
 明治時代まではどこの町内にも火の見櫓やぐらというほどでなくとも、高い梯子がかかった火事を知らせる半鐘があったもので、背丈の高い人を「半鐘泥棒」とも「京間」ともいったものだ。
 江戸時代から東京は六尺を一間としてあるが、京都だけは六尺三寸から六尺五寸を一間としてあって、俗にまのびのしたことを「寸のび」とも「京間」ともいった。

「鰻の寝床じゃあるめえし、そんな細長い寝床はない」
 入口が狭く奥行きの深いことをいう。

 子供時分、本所、深川あたりでは蛙が鳴いたものだ。遊んでいて夕方になると、
「あばよ、しばよ、金杉よ」
「蛙が鳴くからカエロ」
 なんといって友達と別れた。子供の遊びも今とは違う。今のお好み焼きは昔子供の「文字焼」。これも「モンジヤキ」といって、冬の子供の社交場で、店先へ友達が、
「おくれ」と入ってくると、なかにいる子供が、「おくれ(暮)が済んだらお正月」 といってからかった。

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その 旧いゆえに 一時期 時代から取り残され 絶滅した筈の「もんじゃ焼き」が・・・
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最新では、日本においでになります 外人観光客が『もっとも寄ってみたいFoodの店』ってんでっからわからんものでおます。。。

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「お庭の簾すだれ」で(よしにしましょう)となる。(植物の《葦(よし)》でス)

 食物の洒落だけを並べて見ると、
「甘酒屋の荷物」で、片方だけ熱い。片思いの恋

「宵越しの天ぷら」揚げっぱなし
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「そば屋の湯桶ゆとう」で、横から口をだすな

「お角力すもうの煎餅せんべい」お手上がりだ

「夏の牡丹餅」ござって(腐って)いる

「金魚のおかず」で、煮ても焼いても食えない

「しゃぶりからしの金平糖」角がとれて丸い
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「鰯いわし煮た鍋」どうもあの二人はくさい仲だ

「木挽の弁当」きにかかる

「やかんの蛸」手も足もでない

「蛸の天ぷら」あげ足をとるな

「おでん屋のはんぺん」そんなにふくれるな

「南部の鮭」で、鼻曲りだね

「お歳暮の鮭」ぶら下がっている

「水瓶へ落ちた飯粒」白くブクブクふくれている

「あいつの話は白犬の尻尾だ」おもしろいよ

「落語を聞いても伊勢屋のおつけ」で実が入らない

・・・コレはチト説明が要りますのぢゃ・・「伊勢屋」ってのはですネ、江戸の当時に実際に存在した店舗等を指したワルクチではなくて、
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          現代でなら「鈴木商店」「佐藤商店」ですわナ。。

江戸市中に多いものとして『火事 喧嘩 伊勢屋 稲荷に犬のフン』と呼ばれるほど『伊勢屋』と名乗る店舗が多かったンだって1つの証拠で、

要は、『 unknown 』、「ドコって、ンな野暮は云わねぇ 匿名ってことヨ」奉公人を多く抱えた 伊勢屋、お店(たな)で出されるおみおつけはオコも決まって 具が貧弱だって戯れ言葉です はい。


「あいつときたら煮過ぎたうどんだ」箸にも棒にもかからない

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      ぶっちゃけ…現代とあまりに遊離してね??

 ・・・しっかし、ぶっちゃけ『さすがに古過ぎる』ギャグの視点ってのが。。。

おそらくはもはや 大正時代生まれのヒトかて 上記の如くの 言い回しなどしないやろって思えますよネ うむうむ。
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なんか とんねるず の番組での『細かすぎて伝わらない物真似選手権』みてぇな気がするってか(^^;

「それ」俄かに聞いたとしても、事の真意を完全に理解するのに あまりにも時間を要して ぶっちゃけ 疲れちゃいますよネ??

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「いざりのお尻だ」すれきっている

「蝉の小便」ずうずうしい

「いくら塗っても午蒡の白和えだ」白く塗っても地が黒い

「空店の恵比寿様」一人でニコニコしている

「雨の夜の火事」ポーッとしている

「春の夕暮」くれそうでくれない

「秋の夕暮」くれぬうちからほしがある

「あひるの卵」で、やりっぱなしでかえさない

「新しい煙管きせる」つまらねえなあ

「いかけ屋の天秤」ですぎている

「石垣の蟹」穴を探す。これは競輪競馬にも使えそうだ

「忙しいせり呉服」大層背負ってるねえ

「牛と狐」こんなところへはモウコンモウコン

「牛のよだれ」だらだら長く続く

「行徳の爼まないた、浦安の爼」馬鹿ですれてる。これは夏目漱石の警句

「柄の取れた肥柄杓こえひしゃく」手のつけてがない

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ココいらの項にもなりますと、平成生まれとかの人間は 根底から理解不能ですやろって思いますわナ ええ。
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「いかけ屋」なんて商売 多分聞いたことも見たこともナイでしょうって思う。まだホームセンターとかが無かった時代、貴重な生活道具、鍋だのヤカンあのが穴が開いたなら、

その修理に登場するのが「いかけ屋」でした はい。リクめが育った地域は マジでド田舎でしたから、幼いころの記憶で 80過ぎたヨボヨボのジイさんが、定期的に町内巡回してましたが、

それでももはや 頼む家などなくなってて、家の祖父なんかは、『いかけ屋の商売も、世の中変わって 完全に時代遅れ、用無しになってるわナ さびしぃナ』って呟いてました はい。

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「おくや・け・こ」まぬけにふぬけ 「角兵衛の太鼓」万事胸にある

「火事場の纏まとい」振られ通し、振られながら熱くなる
「鍛冶屋の向槌」トンチンカンで相槌を打つ 「かけた硯すずり」することができない
「経師屋」はりにきている 「九州の入口だ」もじ(門司ネ)もじしている
「下駄屋の煤払すすはらい」はがでてる 「小娘紙袋」じき破れる
「コロップ抜き」ひねくれてる 「乞食の虱しらみ」口で殺す
「五月の桜」葉ばかりさまだ 「山桜だよ」はなよりはが先へ出ている
「材木屋の泥棒」きどってる 「桜に鶯」きが違う
「七月の槍」ぼんやりするな 「上手な易者」当てられどうし
「天神様の脇差し」そっくりかえってる 「天狗の干し物」はなへかける
「唐人のおしり」からっけつだ 「日ましの種」めがでねえ
「坊主の鉢巻」(つるつるすべって)しまりがねえ
「谷中の不作」しょうがねえ(昔は台東区谷中あたりが、生姜の本場であった)
「菜葉のこやし」掛けごえばかり(現在三河島が昔は摘菜の本場)
 まだあるが、迷子の鳳凰で、きりがない(鳳凰は桐にとまる)
 

古きをたずねて新しきを知るというが、昔の言葉を少し直すと、現在使える洒落になる。また現在使っている言葉が何年か後には古典語となる。新しい悪口に、

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        ぶっちゃけ…それには少なからず疑問が。。。

・・・しかし、果たしてそうなんだろうか??って疑問が。。。

この所謂『考えオチ』って世界は、思うのでありますが、『テレビジョン登場以前の笑いの感性』それでわにゃかろ~か?って。
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      テレビジョン登場以前の『まったした時間軸の時代』

金馬師匠が綴ります 「これら」、素直に「面白い」・・とは思う確かに。

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「缶切りのない缶詰」話の底を割る
「ヤソ教の屋根」トンガラかるな
 お使いにきた人にお小使いを、「地下鉄の切符だ」やらなくってよい(※戦前の地下鉄切符は下車時の回収無)
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「ぼくの喋っていることは十時過ぎの電車だ」押しも押されもしない

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思うのでありますが・・・人間の社会ってのは、『イヤだ!』ってイっても、次第次第に 進歩を続けるモンでっからネ、
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それに付帯して「時代性」ってのから解放されないって思うのですネ。しかし、同時に「普遍性」ってのも確かに在って。

日常の「暮らし」において、マンションに住む現代の我々と、江戸時代の 長屋暮らしの 当時の庶民との暮らし、2つを比較しても、

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        このよな部分は、日本、この先もズっと変わらないって思う

電化製品とかを抜きに考えるなら、案外と・・『たいした相違はない』とも呼べはしないか??お米炊いて サカナ食べますし、冬はコタツでヌクヌクするし。

しかしだ・・上記の「缶切りだ」「キリスト教だ」「電車だ」って、近代文明の「利器」が謳われますなら、ぶっちゃけ【 途端に 】…『なんか…ダサいやん。。』って、
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    最先端の流行ほど、のちの『笑いものの対象』になりやすいって

ンな気持ちが湧いてくるのは どぼちてだろぉ~??


>「葛西かさいの火事」くそやけ、やけくそだ …コレなんか まだまだ、ハマの港では通用するギャグでもあるんですネ ええ。
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昔は「おわい船」ってのが有って、都市部で発生する 排泄物をネ、集めては 海の 港部分でも 遠洋でもない、「絶妙のポイント」に 撒いて処理したの。

今聞くと「うげげ!」ですが、当時は それによって、東京湾の海水が 栄養的に活性化され、プランクトンの発生で、海苔の養殖や、カキやアサリって、貝類のウマいのが獲れたわけわけ。

ほんで、その 汲み取り作業に従事する人間、浦安近辺のヒトが多かったせいで『葛西(かさい)衆』って呼んでた。「ウン●屋」って呼ぶより「葛西衆」の方が粋じゃん♪


三遊亭金馬は 大衆的な新作落語が とても上手だったって識者は書き残してますが、でもやっぱ・・「近代」を 取り扱う新作落語は、その賞味期限は思いのほか「短命」なんだと思うのですネ。

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          『笑い=落語』が基軸だった時代…

たぶん、この短編を描いた当時には、「世のお笑い」ってのが、落語を基軸に、ズっと先の世でも、そのラインは不動だろうって、金馬師匠は考えていたフシも感じられますが・・・

あに図らず・・・かつて TVでも落語家が占めていた席、今 その座には「よしもと」を軸とした お笑い芸人が席巻してるにおは 言うまでもない現実。
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サンシャイン池崎にせよ アキラ100%にせよ、かれらの「芸(いちお~:笑)」落語として比較スライドするならば・・・「登場して いきなり!最後のオチ、《落とし》」それをTVっていう視覚メディアで 瞬間芸としてブチかましてるんだと。

正統古典落語の観点からすれば、邪道も邪道「超邪道」ですよネ? でも、廃れるスピードも速い分、現代の暮らしにマッチした「わかりやすさ」も確かに在る。。。

「今の お笑いの風潮・方向性」が、良いのか??・・・って、事については、文化芸能の論議で、とてもココのよな場で語れません。

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だけんど・・・マジなハナシとして…『ご隠居いるかい?』『おや 八っつぁん お入りよ』ってナ、やり取りなんてのは、もはやドコ探しても 無いのでありまして。。。

今回取り上げた『昔の言葉と悪口』ってのは、《もはや無くなった過去の世界》=《落語の高座でのみ語られる その世界 限定での符丁》それになっているのだと思うのですネ。
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       『サザエさん』が、今は無き昭和の家庭像なように


『けっこ~毛だらけ 猫灰だらけ♪』ご存知 寅さん、「男はつらいよ」主人公 車寅次郎 劇中で「タンカ売」その口上は まさに今回の「それ」に合致しますが、

でも、以前 ビートたけしサンが、寅さん映画を評論して、わたいも それ読んでハっとした経験アルのでおますが・・・

曰く…『寅さん映画ってのは、要は すべてが《幻想の産物》なんだ。現代の日本であんな、テキ屋稼業であちこちをフラフラ生きてる人間など1人も居ない。滅びた階層なんだ。で、あの寅さんを取り巻く《下町》ってのも幻想・・あんな映画で描かれた下町なんてドコにも無い、本物の下町ってのは、もっともっと 悲惨で皆ギスギスして 毎日生きてるんだ。あの映画は監督の山田洋次が描いた 存在しない《メルヘン》の映像化なんだよな』と。。。
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         寅さん映画とは【幻想】の産物だったのだと。。。

せつない気分になりますが、おおいに当たっていると思う。。生活様式は 江戸時代と この平成ではそんなにも変わっていなくても・・・

でも、「文化」ってなるなら、かつて落語に描かれた風俗・社会はドコにも無い。それを今 追及したところで三文の価値も無く。

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     この連中の「覚悟の無い軽薄さ」が嫌れぇでスた…

わたいも、大学の頃 落研…落語研究会の連中が、サークル内での会話で『てへへ♪兄さん オツでゲスね♪』なんてイってるの聞いて『バカじゃなかろかコイツら??』って思ったッス。《時計の針を巻き戻したところで再び過去になどなるか!》過ぎ去った過去に幻想を抱いてばっかってのは、ンなのは「若い年寄り」でしかないス。《今》を生きれないまま アって間に一生終わっちまうゼ??


この三遊亭金馬師匠の全文を眺めても、2つ3つはニヤリと出来るのですが、ぶっちゃけ お世辞にも 抱腹絶倒とはいかない・・・なんせが「時代遅れ」それに尽きますから。。。

ただ・・矛盾するようですけども、こういった まったりした ひと時代以前の笑いの記録も『記憶していくべきだ』とも思うのですネ ええ。

現代生活の上で もはや 用無しとなった「それら」でも、今後で「一周回った」思わぬ面白さ、それが再評価をされないとも限らないと・・でもそれは主張するのではなく、後世のヒトらに委ねるしかない。。。
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        そ~でないと、能狂言・文楽も保存する意味が無くなる…

 ・・まことにもってナマイキですが・・・当世きっての名人 三遊亭金馬「ですらも」・・・

この「時代性による 1つの流行の《終焉》」それについては、ご自身が標榜するラインを過信していたとゆ~・・・
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  ひとつの『シッパイの記録』その きわめて皮肉な意味での、作品でわにゃかろ~か? と。。。

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        世の流行虚ろい易く、評論いたし難きでおます~


プロフィール

港のリク

Author:港のリク
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港で働く ジツはとっても気の荒い(?)アンちゃん・・・ですが、産まれついてのホルモン分解異常の関係で♂なのにEカップの胸の持ち主 という混沌としているわたしです。

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