アンタ ま~たまたやらなはったンやネ・・・「懲りないヒト」ってのは ぶっちゃけアンタの為の言葉とチャウか??
エラい冷たいよーやけど、『いっそ キレイにクタバった方がよかったンとチャウんかい?』って気持ち。
今 イッショに暮らしてる いちお~奥さん?? 正味なハナシ あんまし迷惑ばっかかけるなヤ。義理の仲でも お子さん、娘サンもおられるのやから、アンタが「それ」では報われませんってば。
でも 老けましたナ アンタ。若作りもほどほどにしときヤ、いつまでもカッコで年齢はごまかせまへんエ、それって、内臓関連の弱体化なんやから、どもなりませんって。
驚いたかって? まあネ、さもありなん・・っとは思ってたけど、さすがに。
うん?ウチとこの お母ンか? 元気にしてはんデ それは心配ないです。まだ今回のことは 情報とどめてるから安心しぃヤ。
な 『 とうさん 』・・・
ナマイキ言わせて貰うけど、『いい加減 気づけよ現実に』・・・
アンタは テメエでは 夢を追っているツモリなんやろーけど、ぶっちゃけ それって ただただ「現実から目を背けている」それやデ。
時代・・・そう 時代や。残酷やけど、もはやその「時代」がアンタのことなんぞ もう必要としてへんのやから潔くアキラメなさいって。
もはや「そんな時代じゃない」のだヨ うん・・
音楽もナ、かつてのアナログ方式が 電子楽器と共に 一挙にデジタル化へと移行して、
ぶっちゃけ ドレだけの数のバンドマンや、スタジオミュージシャンが職失ったかって 知らないアンタな訳があらへんやろが?
シンセ&PCで殆どが済んじゃう「時代」・・・
せつないけど「仕方ない」 今の時代に、かつてアンタなんかがリキ入れて頑張ってたころの時代のような 数々の『名曲』は 今の時代無いし 期待もできない。
でもそれは仕方ないって・・「おふくろの味」が、21世紀の今、「カレーライス」「ナポリタン」「ハンバーグ」ってなってるって、それなんかがイイ例じゃんか。
今の時間軸で生きている 若いコらには、たとえ深みに欠ける薄っぺらなPOPサウンドだって、彼らには生涯の青春ソングなのだから。
若いコたちの【流行】をムゲに否定したとて・・
DAT・MD・CDとなり 音楽もナマ音と サンプリングの違いが耳ではわからないグレードになったって みんな喜んだのも束の間、
ぶっちゃけ 今の とくに若い連中が積極的に聴く音楽の主流は「配信」・・・16ビットまでになった音質のグレードが、半分の8ビットのレベルでしかない そんな音楽素材にみな満足してるんやからナ。
8ビットだろうが、昔の時代より進化発展した「8ビット」であるなら、それを卑下する必要も、誹謗する理由も無いって わたいは少なくともそう思うヨ。
思うのやけど、良い悪いじゃあない・・「それも時代の選択と意思」なんやってネ。昔を懐かしがってばかりいても、ナンも生まれやせえへんデ。
とうさん アンタ、記憶を辿れば辿るほど、ぶっちゃけ・・ロクデモない父親でしたわナ(笑)それの息子 わたいも相当にロクデナシやけど。
1つの「仕事」それに、懸命にしがみついて働いた経験ってナイやろ??いつも なにかっちゃ~ヘ理屈つけて そう『逃げてばっかり』・・・。
アンタ 同志社大やろ?ん?中退とチャイますやろ、アンタのばやいは「除籍」でス(笑)ぶっちゃけ 高卒でっせ学歴。
京都の中心地で「ええしの坊(ぼん)」で産まれたアンタが、70年安保にかかわってドロップアウト・・・な??ぶっちゃけ それすらが「言い訳」なんやろ?ガッコから落ちこぼれた事への。
ほんで、オンナにモテrるためにはじめた グループサウンズから、3流のバンドマンになり、関西で あの 福岡風太はんと知り合って。デイランⅡとか、「春一番コンサート」の開催に携わって。
ほんで、その頃 ウチとこの お母ンと知り合ったのやったよナ? 世捨て人みたいなバンドマンと ヒッピーかぶれのネーチャンがくっついたと・・・。
とうさん、アンタ、1枚のレコードもCDも、自分名義では出せなかったのだけは残念ですナ。
『日本人による 日本人のための フォーク&ロック』って、謳いモンクはリッパやったけど、仕事といったなら、その殆どが キャバレーやアルサロで、演歌歌手のバック演奏だったよネ。
わたいもバンド活動したからわかります・・あの、「楽屋」・・あの いわく独特の しみったれた感じと、もの哀しくて貧乏たらしさはイヤなものだ。人間性をクサられますって。
あんなとこに「美学」はない。だけど・・成功には程遠かったけどサ、とうさんアンタも、仮にも『芸』で生きていたンだから それはそれで幸せだったといえるかもネ♪
姉ちゃんが産まれて、さすがに生活に困窮、お母ンの実家である 丹後の宮津へと マスオさん状態で まさに「都おち」したのがアンタ。ほんでわたいも産まれたと。
1つだけ・・・アンタに同情するならば、イッペンでも大都会で暮らした経験のある人間には、あの・・丹後のド田舎は ぶっちゃけ「牢獄」ヤ・・・
知られてませんが「丹後」は一年の三ヶ月は雪国同様
イワサキのおっちゃんとこ・・そう 通天閣脇 ジャンジャン横丁ンとこの親戚ナ、あっこによく預けられてたわたいとしてもが、あの賑やかで活気のある大阪の風景をイッペンでも感じると、
コッチ 丹後へと帰ってくるなら ぶっちゃけ その「落差」ってモンに幼くも絶望した うん・・・。『ココは 見えない牢獄ヤ』って思った。
絶望的な その【落差】
産まれてより成人するまで 繁華街で育ちなはったアンタには、ぶっちゃけ さぞかしや毎日が囚人になったような気分だったのでしょうナ それはわかります はい。
でも マジで 酷かったですわナ・・ナニを? って・・決まってますやん、アンタの「浮気」ですがナ。
いったい・・・ドレくらいの数の地元のオナゴ衆らと関係したんでっか?おそらくアンタご自身がわからしまへんでショ?
貯金して買った初デジカメ、最初の写真が「両親の夫婦喧嘩」(--;
正直 イヤでした・・・。ウチとこの実家も、田舎とはいえ、街の中心地の繁華街の一角でしたやん?
学校とかか帰りの道で、なんか知らんオバちゃんなんかが、訳ありな目で『アンタ・・●●はんの息子さんやろ?』って、いわく独特の声と態度で呼び止められるのが ぶっちゃけイヤでイヤで・・・。
覚えときヤ?わかりますンやデ、子供にはナ・・・その 呼び止めるオバちゃんの 目の動かし方、かすかにせせら笑う 唇のゆがみ方1つで・・『わたいナ、アンタんとこの おとうちゃんと、ナイショで*****してますんやデ♪』って、一種 「無言の恫喝」・・・。
子供だけど イヤ・・・「子供ゆえに」、そういう微妙な雰囲気には敏感なの、今更 恨み言など言いませんが、当時のわたいをどんだけ傷つけていたか 知らんやろアンタ。
それに とても気になることもあった。
この女房に不満持っちゃバチ当たりまっせ
マザコンではありませんが、わたいは昔から今でも、ウチとこ お母さんは美しくて、キレイやと信じてた。とうさんかて それに異存はナイよネ?
でも とうさんが 地元付近で浮気する女性ってのの その殆どが・・・
正味なところ、ウチとこの お母ンよりもズ~っと ハッキリいって「ブス」。カオの作りってよりも、なんというか・・スサんでるというか、イジケてはるとゆ~か、正直『ドコがイイのやろ このオバハンの?』って・・
ガキの時分のわたいからしても クビひねらざるを得ないような、「カスみてえなオナゴ」らで・・・。
な?・・そろそろエエやろ? 本音吐かない??とうさん アンタ・・ああした行動って、アレは『母さんへのコンプレックスの解消行動』だったンやろ?違うか??
美貌を持ち、才能もある、ダレからも好かれ、生活リョクも自分なんかよりズ~っと上回る能力に富んだ テメエの女房に対する 歪んだコンプレックス・・・
だからだろ?・・・女房より 遥かにグレード下回る「つまらんオンナ」逆に『だからこそ』相手より上だってゆ~自尊心を保てる 押し倒して「なかせる」・・そのヒトらと浮気するって行為で、抱えてはる「負のココロ」を慰めていた そうですやろ?
可憐に咲く「エリカ」 花言葉は【 孤独 】
な?オナゴみたいにしか観えないわたいやけども(笑)ぶっちゃけ アンタの種から産まれた「息子」でっせ わたいは。わからいでかって!ナメたらあきまへん♪
わからいでか!ワシャ アンタの息子やデ
いっとくけど 今更謝る必要などはありまへんエ、当時の とうさん、アナタは完全に、『ココロの病気』だったんだ。少なくとも息子であるわたいに アナタを責める気にはならないからネ。
でもナ・・とうさん・・・それって ぶっちゃけ いっちゃんムナしい リベンジであり、マスターベーションすらならない「後ろ向きの行動」やったネ、とうさんアナタはネ【自分の影を踏んでいただけ】なんだヨ うん・・・
残酷な言い方やけど、アンタのした 「それ」って、イジメっ子が、さらにテメエより弱い存在のネコとかを虐待するってな行為となんら代わりません。ある種の「負の連鎖」でス。
正直にいいなさいって。・・・浮気してますアンタ自身が、ぶっちゃけ ひとっつも!!愉しくもナンともなかったのでショが??
あの「おんなたち」も、今なら許せる気がします はい
で、わたいの神奈川への進学とほぼ同時に、とうさんと お母ンの離婚が成立して。それでわたいらも離れたのやけども、
いっぺん・・大阪 高槻の京都ホテルのロビーで会いましたやん そう、あの日。
ぶっちゃけ 今の歳となったわたいにならば「わかる」・・・。ぶっちゃけ テレ隠しと いたたまれなさですやろ?
わたいと目線が合ったとうさん、「ニヤ」って笑いましたナ?当時の若かったわたい、それ見て 思わず「キレた」・・・。
あんトキは モノも言わずに とうさんに、ドロップキックかましてスイマセンでしたナ(笑)
わたいら イッペン火がついたならケダモノ同士でもあっから、互いに『このクソ親父が!!』『やかまし!そんなオカマみたいになってまった息子生んだ覚えはナイわい!!』って、しばしボコりあって(^^;
・・ったなら、タイミング悪く(?)ぶっちゃけ「その日」ってのが、京都ホテルで 新聞騒がせた『一大 捕り物』があって・・・
憶えてはります?そう・・連合赤軍の、かの「重信房子」・・・あのヒトが変装して 潜伏してた先ってのが あの京都ホテルで(笑)
ナ、ナンで??そんなタイミングでっ!?@@;
その逮捕劇が行われてる 目の前で、わたしら親子が取っ組み合いしてるモンだから たちまち わたいらも公安警察にとっ捕まっちゃって(^^;
それからベツベツに、黒い警察のワゴン車の中で取り調べうけて(笑)そのドサクサでとうさんとは「それっきり」になってしまって 思い出すなら それが残念でしたデ ええ。
30分後に 説諭の上 釈放(笑)
な? とうさん・・・ぶっちゃけ もうイイでしょう??
このままジジいにフケ込む必要もないけどサ、そろそろイイのとチャイますか?『周囲から逃げずに 自分らしく生きたらどう??』
脅かすようで申し訳ないけど、今のアンタ、ぶっちゃけ 相当にカラダ病んでます。単なる飲みすぎとはチャイまっせ、吐血してブッ倒れた今回。
逃げ回るのももうヤメときなさいって!テメエのカラダの状況から逃げようたって、そないな訳いきませんのはアンタかてわかってますやろ?
音楽のほうのイベントも・・ぶっちゃけイイ機会ヤ、潔く引退しなさいってば。
さっきも言いましたが、もう アンタの席などは時代が必要としてないのですワ。せつなくとも それが「現実」、
生まれたころからデジタル音源の若いコらに、アナログ時代のダイヤトーンの音質の良さを説いても それって意味はナイって、わたいは思うヨ・・・。
それに・・・ホント、ワルいけど・・とうさん・・・
アンタには 致命的欠点・・・【 才能が欠けていた・・・ 】
あれでショ?? ぶっちゃけ・・なによりもアンタが「逃げたかった」動機は【その事実から】なんでショ?
とうさん・・アナタの「芸術」には【深み】・・それが無い・・
いいよ 泣きたいなら泣きなさいって。息子やんかわたいは。ナニをカッコつける必要なんぞありますのん?
でもナ、コレはいっておきたい・・・
才能には欠けているアンタでしたが・・・この「リク」って これまた才能のない(笑)息子ですが、
このリクめにとって、とうさん、アンタは「ジツに優秀な 伯楽」でしたデ お世辞でもナンでもなくネ。
アンタが幼かったわたいに コレを読め コレを聴け と、提示してくれはった 本や音楽は、今でもわたいの【ココロの宝物】なんですから ええ・・・。
思いますが、とうさん自身そないに考えていたかは 正直わかりませんがネ、とうさんはわたいに『早くオトナになれ』って、教え込みたかった・・・そうなんじゃないかなあ? って・・・
地元にも、地元のコドモ社会にも馴染めず、クシャクシャした想いにズ~っと陥っている 幼いリクを身近で見るにつけ、
『そこから脱するには、オマエ自身がみんなより もっと一段上の意識に登るしかオマエの悩みの解決方法はナイのだ』ってこと、それ 教えたかった ・・・ そうだよネ? とうさん。。。
でも・・12歳のガキんちょに ディランの「I Shall Be Released」を日本語訳させて、『オマエの想像リョクはその程度かっ!?』って(笑)ガチで怒る とうさんは、ぶっちゃけ キチガイにしか思えませんでしたが♪
また・・また 逢おうよ。とうさんのみではない。思うならわたい自身だって、 とうさんから「逃げていた」・・・。
うん お母ン にはしばらくダマっておくから 心配要らない。姉ちゃんにはどないしますか??
・・ああ、ウチとこの「家名」は、姉ちゃんの子供 男子2名おるけん、アイツらが継いでいけばナンも問題あらへん。とうさん シンパイ要らへんエ♪
ボクは・・・うん 家族は好きだヨ、だけど・・・チョっとだけ・・【自由で生きたいんだ】・・・。
そろそろ・・イイだろ??とにかくも21世紀まで保ったんだからサ、血だの家系だのって そんなのから解放されたって・・・
責任から逃れるンじゃない、お母ンが、この先弱ったり ボケたりしても、施設なんかにゃ行かせはしません だから安心してくれ。
ワシはネ・・ナニになりたいって、ナニにも拘束されず、自由にドコでも行ける・・【風になりたかったんだ】うん・・・。
とうさんアンタの「血」を このわたいかて十二分に受け継いでル リッパにわたいかてロクデナシや ははは。
アンタの息子のワシや「おバカ」では負けてへん(笑)
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父さんへの手紙 作詞/曲 早川義夫
昔 父さんが母さんとデイトした時 氷屋の前で父さんが言ったセリフ
私は外で待っていますから あなただけ食べて来なさい
そんなおかしな父さんが 僕は困るけど好きだよ
同じ血が流れている
ねえ父さん、お元気ですか あれから僕は歌を歌ってます
自分の中の手に負えぬ部分や 行き場のない悲しみや思いを
何一つわかってないけど 美しいものをつかみたくて
父さんにも聴いてもらいたくて
ねえ父さん 箱根奥湯元にいい温泉があるんだ
ねえ父さん 月を見ながら一緒に温まろうよ
相も変わらず僕は偏屈なので 人と同じ気持ちになれない
父さんの墓参りにも行かず ぼんやりと窓を眺めてます
暗い土の中に父さんが 眠っているわけはない
それぞれの心の中さ
ねえ父さん あらゆる儀式はわざとらしく
無駄で 滑稽なものだね ねえ父さん
どうしたら僕は素直になれるのでしょうか
ねえ父さん もっと打ち解けて
しみじみと語り笑い合いたかった ねえ父さん
また母さんと一緒に花火を見ようね
https://www.youtube.com/watch?v=xWwuOj1X2do