え~~リクですが。
「荒くれノベル」の元ネタは まだまだ払底してないのですけども、ここいらで…書いてみたい、ある意味で「禁断の領域」がアリましてン・・・
イっときますけども、暗いでス・・・せつないし、面白みも薄いかも。ばやいによっちゃ『リクってひでぇ人間じゃんっっ!!』って、ハラ立てる御仁も居るかも(^^;
わたくし 単純に『いいひと』ではございませんので
でネ・・・本編にとっかります前に、どうかみなちゃま方には、今回のクソつまんねぇ「前フリ」にて、最低限での「基礎知識」を少しでも ご理解していただきたいと。
ナンとも なさけないていたらくでございますが、才能無いあだスには、そうでもしないことには 内容をてんで理解できないかもって理由で ええ。
次作のノベルの根源となるのが…『 こども食堂 』です ええ。。。
洗濯ものがはためく 香港とかの細い路地。
周辺に暮らす住民らは よく、路地に家の中らテーブルや椅子を持ちだし、休日のランチだの、早めの夕餉をとります。
食卓の上には アヒルの肉、春巻きや焼売 中華式カステラ等々、家族総出で賑やかしく食事をしています。
上っ面ダケでいうならばそれは、いかにもの『家族的で平和な風景』だけど…実態はマッタク違うのです はい。
香港の細い路地に暮らしているのですから、当然かれらは超大金持ちではありませんよネ? 乱暴に割り切るなら かれらは皆「貧民層」だとも。
で その お互いが貧民層の中に、『差別の感情が 行動として実施されている』それで。。。
要は『オレの家はナ、テメエっちらと違い、チャンとメシ喰えるだけ稼いでるんだヨ!』っていう一種の あてつけの示威行動。。。
同じ通りに住む 廃棄された残飯を漁るしかないってヒトらを否定してはバカにするという 酷く残酷な中華人の性質のひとつだと思います ええ。
西側社会で 食料廃棄率が第一番である 日本、ある意味で誰もが意識の奥で『この日本に暮らすならば まさか飢え死には無いだろう』って 根拠も無くそう思っているようで。
だけど・・・今 この国には、確実に…『飢えている子供』らが存在します 本当です。
しかし、その飢えた子供らは、ひと昔以前での認識の「貧困家庭」だとも断定できません・・・ハナたらして、ボロボロの衣服のコはあまり居ない、携帯電話やスマホを 当たり前に所有してたり、
借家にせよ、雨も漏れない 風呂付の住居に住んでますし、エアコン 自家用車だって親は所有しているって。。。
しかし、その家庭で育つ 子供らの少なからずが 【 飢えている 】・・・コレを指して『先進国型の貧困』と呼ぶのでしょうか?
よく昨今『7人に1人の児・童は なんかしらの貧困に置かれている』と言われてますが、ぶっちゃけ「甘い」と思う。。。
外国援助も大事だが…国内の子供を「まず!」救済すべきでは?
中には、骨折しても医者に通うことができず、曲がったまま骨が治ってしまう子ども。給食が唯一の栄養源であることから、夏休みに激痩せする子どもがいるのです。
もっとも問題は・・・《ひとり親家庭》を見るなら…ナンと! 50%以上の子ども、つまり2人に1人が貧困状態なのだという現実。。。
表には現象として現れないフクザツな「貧困」。。。
エロし君を会長に戴き リクめや八百政も参加している 親睦団体『町内バカ息子同盟』
その活動の一環として、数年前から我々主導で『こども食堂』を運営しています。
リクめも、外国から輸入して、売れる事無く 廃棄するしかなくなった物資等をちょくちょく、会社の了承を得て、こども食堂へと運びます。
ワルいですが、ヒューマニズムの発揮ではナイ、要は…廃棄業者に依頼して、それの処分にカネ払うよりも『安いから』。
『オメエはこどもらにゴミ食わせるってのか?』っと問われるなら、「そぉ思われても まんざらハズレではないかも」っと答えます ええ。
断罪されようとも あえて受けますよ ええ
リク個人としての実感というか、理念として…『こども食堂は 本当に困窮している子供らの 助けにはならんヨ』って、そう思ってますしネ、
こども食堂に通って来るガキも、正直…気に食わんヤなガキが多い・・・卑屈にお礼など述べる必要はナイさ でもだ・・・
おい小僧!関係ない他人にスネて見せてナンの得がある?
根源的問題として…「いただきます」「ごちそうさま」って、最低レベルの 感謝の弁すらマトモに述べられない《ガキ共に》肩入れする気には どうしてもなれないからでス ええ。
ボクちんは、ウチとこ娘ですが、お膳の上に飛び乗って、TV画面のAKBとかの踊りを演じようが怒りません、が…他人様からなにかを頂いた際などに、お礼をしないトキは、テメエでも怖くなるぐらいに「叱り飛ばします」。
リクめが個人的に思ってますのは、子供らひとりひとりが 置かれている、貧しい、裕福ってナ環境は関係ないって思います ええ。
礼儀がワル過ぎてるってコは、ジツのとこ…『生き延びるための《知恵が足りない》』って思う。
反発は上等だ ああ。だけどもテメエは この世に産まれ落ちて、ダレの庇護も受けずに大きくなれるってのか ああ?? ぶっちゃけムリだゾ そんなの。
子供ゆえ当然に、幼いから経験も乏しいし、知恵だってまだまだ足りない、親をはじめとした誰かに「すがって」生きるほかは無いのだ 野生動物と違う「人間のコ」は。
だからヨ…チョロいオトナを騙くらかして、礼儀も正しく、躾の良い子供像ってのを 割り切って『演じて見せろヤ』ってこと♪
どのよな状況でも『損せず得にあやかる』それ考えろって
そぉすりゃ騙されたオトナは喜んで、オメエに甘いキャンデーを余計に多くくれたりするんだ、そんでもって、ハラの中で舌出して嗤ってりゃいいのサ ああ。
こども食堂に来るンだから、今までにツラい思いもしてるだろうヨ それは判る・・・だがナ このおっちゃんは、あくまでも『赤の他人だ』テメエっちの親ではない。
親でも無いこちとらに対して、テメエが受けてきた辛さを スネた態度で表現して ぶっちゃけ どぉすんの?? ハッキリ云ったろか? 『ンなモン知るかヨっ!』だ。
アタマがワルいってか、要は 要領ワル過ぎ! 意味も無い「全日本不幸自慢」なんざヤメて もっと「したたかに」サバイバルしなヨって云いたい。
バカ息子同盟で、この「こども食堂事案」が上程されたトキは、わたいは ゼッタイ反対派の急先鋒でした はい。
『頑張りましたがムリでした』では済まないのだ慈善であろうが…
そんトキ声を大にして叫んだのは・・・『エエか!?キミらは判ってへんやロ?今ワシらがとりかかろうとしている それは《慈善事業》ヤ。けどナ…たとえ 儲けを期待しない慈善事業でも、それはやっぱ《経営》・・・それはゼッタイに失念出来ませんエ?ワシらにそんな資力や、食堂経営に取り組むヒマなんてアルか??』と。。。
ただでさえ時間が足りない毎日ですからネ…
まことにむつかしいと思えます・・・こども食堂は子どもの貧困対策とは無関係、となるだろうか?でも、これも違うと思う。
コレは結局「貧困とは何か」という問いに行きつくって思います。
特定の者ダケでは無理、世の中全体で考えるべきが「貧困問題」
「特に深刻な課題を抱えた子」と聞いて、多くの人がイメージするのは赤信号が まさに今 点滅している子供らだと思います。
経済的に困窮しきって飢えているとか、身体的・精神的に虐待を受けているとか、家と部屋が悲惨な状態になっているとか それを想定しますよネ?
しかし、日本政府および こども食堂運営者サイドが問題にしているのは、赤信号の子だけではなく、黄信号の子を含む層こそが、今後より心配の種なのでして。
究極を言うならば…まだ青信号だけども、今にも黄色へと変わりつつあるって、ンな経済と家庭的状況の子供らこそが救済されない限り、いつまで経っても 貧困問題は「泥縄」でス。
ぶっちゃけそれが「相対的貧困」ということで・・・ それは「餓死してしまう」という水準ではなく、「修学旅行に行けない」「進学できない」という水準を多く含む、それが日本型の貧困の現実ですネ。
黄信号の子は、赤信号の子ほど目立たちません、 自分からも訴えないかもしれないし、社会からも「特に深刻な課題を抱えた子」とは認識されていないだろう。各種制度の対象にもなっていないかもしれない。。。
『自分は対象外だ』と諦めてしまう・・・
本人も親も、こども食堂のような場所に対して「もっと大変な人たちのための場所なんだろう」と誤解している可能性さえあるだろう。
しかし、本人たちには「課題感」があり、そして赤信号のように目立たないがゆえに「チャンと見てもらえていない」という意識もある。
とりあえずメシだけは「有る」マジでヤバかったら『逃げてこい!』
そのような子でも参加できるところ、カバーできるところに、誰にでも開かれたこども食堂のメリットがある…一応はそのよにボクも思うのですが。。。
横浜市内で展開する「こども食堂」は、基本 子供は誰でも無料。付き添いのオトナは 1食 ¥100円徴収してます。
コレぐらいのレベルのもの出したいと思ってますが…
今の基準からするならば ドッチかてぇと「粗末な食事」かも知れません。
物資が払底すると、ンなお菓子類しか出せず『胸が痛い』…
それでも、バカ息子同盟員にも、こども食堂にかかわる者には、テメエの持ち出しで食材等を購入するのは『しちゃならん!』と規定しています はい。
『カネ遣うのじゃなくてアタマ使え』その日 アルだけの食材をなんとかやりくりして、来訪する子供らの栄養が保証される分を賄う。
慈善事業に変わりはございませんが、安易な『おたすけ』それダケでは 99・99%『長くは続かない』・・・
食堂の運営をめぐり、八百政とも一時 深刻な対立を…
生きるためのSOSを発信して、この こども食堂を頼りに訪れるコらにとって、提供するオトナの都合で閉じてしまうのは あまりに残酷であり かる無責任ですからネ。
しかし、今現在進行形の問題として、数々の『コレはいかんヨ…』って問題点が多々あって・・・
それは意外にも…反対勢力とかではなくて、むしろ・・・【 味方の筈の理解者サイド 】それに該当する人々で。。。
1.いきなり子どもをカメラで撮影
なにしやがル!ヤメんかアホっ!!
見学者や取材の対応について十分に気をつけていても、誰にでも起こり得てしまうのがカメラでの撮影です。事前にお断りしていても、いきなりカメラで「パシャリ」と、子どもや参加されている方を撮られる見学者や当日のボランティアさんがよくいらっしゃいます。ココロに響いていなかったのか、単に忘れていただけなのかわかりませんが、どちらにしても写真を撮られる側の気持ちが汲み取られてない気がします。子どもにとっては、「え、誰?何に使うの?」と怖くなったり、見世物のような気分になりますし、そもそも写真を撮られる事自体が嫌な人もいます。
ついあったまきてわたくし…『このコらは 見世物ぢゃねぇゾ アホンダラぁっっ!!』って怒鳴っちゃって、他のスタッフから『リクさんは表現場に立たないで』ってリストラ宣言されまスた(笑)
2.いきなり支援者っぽく話しかけてくる
若けぇの オメエは感情の無いロボット人間か??
よく卒論やゼミの研究でボランティアやフィールドワークに来る学生でよくある事例です。「何に困ってここに来ているんですか?」「何がつらいですか?」「何が大変ですか?」と子どもやその保護者に質問する人がいます。急に知らない人からの同情や哀れみに近い言動、また質問の連続は、支援者と被支援者の立場を明確にしてしまい、気持ちを圧迫させてしまったりすることがあります。相談や辛い気持ちを出すことは、安心できたり、自分を出してもいいと信頼できる人にできるものであって、困っていることを前提に話すことそのものが、「自分は可哀想な存在なんだ」と本人の自尊心を傷つけてしまいます。
『出来もしねぇのに ズカズカ!と土足で入り込んでくるンぢゃねぇヨ この鉄面皮が!!』って、やっぱブチかまし…無期限の禁足処分中のリクでおます(^^;
3.できないことを否定する、批判する
「がんばってボランティアの人が作ってくれたんだから、全部残さず食べなさいよ!」「嫌いな野菜も食べな!」「我慢してじっと食べな!」という言葉もたびたび聞かれます。参加される方や当日のボランティアさんで多いです。子どもたちは日頃から周りの大人に同じような注意を受け続け、嫌な気持ちや『こんな自分はダメなやつなんだ』といった気持ちになっているかも知れません。家や学校で多くのことを我慢や諦めをしなければいけない環境から、やっと自分が出せる場面かもしれないのに、「あれはダメ!」「これはダメ!」と否定されると、どこにも自分が出せなくなってしまいます。しつけも大事ですが、まず否定から入るのではなく、子どもがしようとしていることやその気持ちを汲み取ることが必要です。
『あのヨ…オトナかて、ココロに雨漏りする日だってアルやろが?クチに合わんモノ食べる気になれないトキかてアルわ。子供らに無理強いしてどないすんねん?』って発言し・・・わたくし…遂には『アンタは物ダケ持ってこい、現場に立つな』って、かなり嫌われてますのだ うむうむ。。。
それでも、このよな匿名の善意も多々あり 泣けるよねぇ…
善意だけでは続かない「子ども食堂」様々なボランティアで、よく議論されることですが、改めて整理したいと思います。
「私はこんなに頑張っているのに、他のヒトらは、誰も何もしてくれない!」「なんでそこまでやらないといけないの?」「自分はこんないいことをやっているのに、なんで誰もやってくれないか?」
「子ども食堂」の現場でもよくこのような声を耳にします。ボランティアという善意だからこそ、余裕がなくなった時、うまくいかなくなった時、組織がまわらなくなった時に、爆発する 無理ない気持ちだと思います。
自分が十字架背負った殉教者だと考えたら『持たない』
この状況を組織的な課題として解決しないといけないと思うと同時に、このような考え方をしてしまう今の雰囲気が、今の日本全体の社会の雰囲気と似ていると感じてしまいます。
「今の自分は、みんなみたいに頑張れていないから、子ども食堂に行くと責められる」「自分は、頑張れない人間だから、ここにいる意味なんてないんだ」「ずっと自分は我慢をして生きてきた。頑張っていきてきた。もう生きなくてもいいんじゃないか」
でも…【 違うんだっっ!! 】 頑張っている人に比べ、我慢している人に比べで、限界を迎えた人、子供らもオトナらでも集まるのも「子ども食堂」なんです。
善人で居続けられる人は、ほとんどいないと思います。子どもらも、そのかれらに食事を提供するオトナらも、共に…【 なにがなんでも《善意であらねば!》 】って、巨大にしてジツに重たい十字架を背負わされているって、リクめとしては思う訳で・・・
そして「こんな(道徳に反する)気持ち持ってはいけない」って、自己を罰する気持ちに追い込まれるヒトも少なくない・・・
ね??かくも「善意」って言葉は面倒ですゼ? 誰だって不条理なことをされたらその人を罰したくなる気持ちが生まれると思いますし、誰だって好きな人にパートナーがいても諦めきれない気持ちがあると思います。
24時間中 365日、「善意の気持ち」のみを こども食堂に集まる子供らに表わせられるヒトって居るか? 利用する子供にしても、食事を提供してくれるボランティアらに 演技ではナイ《真の感謝の念を》持ち続けられるものか??
やはり思います…善意ダケでは、今後も「子ども食堂」は長くは続かないと思います。頑張る物差しは、みんなそれぞれでゼンゼン違います。子どもだって、大人だって、困っている時や苦しい時は、その気持ちを一人で溜め込むのではなく、頼れる人に発散することが必要だと思います。
ボランティアの世界では、「正しいこと」が優先されがちですが、みんなの気持ちをお互いに考え合って どうかして!「楽なこと」「心地良いこと」が優先される時代になっても良いのではないかと思います。大人同士がちょっと息苦しい関係や空気を作り出してしまっていては、それはかえって子どもに過度なストレスになっているのではないかと感じるからです。
京都人特有の《うすなさけ》かも知れません ええ、それでもボクちんとしては、ぶっちゃけ…『近所のガキんちょらにメシ喰わせる行為なんざ、ンな大仰にしなくてもエエのとチャウか??』って ついついそう思う。。。
・・・酷く残酷であり、根源的な事象を述べますならば・・・
「こども食堂」を利用する 子供らにせよ、オトナにせよ、かれらが共通で保有する、スゴく曖昧で、ケースバイケースの【 貧しさ 】
それを根本的に問題解決するチカラなどは「こども食堂」にはアリません・・・マッタク以て ボクらは「無力」です ええ・・・
本当に…「貧困問題」という名の巨大な沼の水を ボクらは 底の抜けた柄杓ですくっているような気持になります・・・
この日本で 餓死する子供が出たならば大問題、でも・・・栄養とカロリーさえ与えるならば、問題はそれで解決か??
それはあたかも、抜け落ちてしまった前歯を 接着剤でムリやりに固定し、人前で恥をかくのをやり過ごす行為に近しいかも。。。
唯一…僅かに出来る事は、飢えている子供の おなかを・・・一時的に満たして、それを無理やりに 幸福の一歩であると、お互いに錯覚させているダケかとも。。。
この 重苦しいテーマに取り掛かる事にします はい