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荒くれ文学館 さくらももこ『 メルヘン爺 』

 リクであります
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本日は 昨今 惜しくも鬼籍へと入られた 漫画家「さくらももこ」サン筆による エッセイ集「もものかんづめ」から、
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読者らに多くの論議を呼び 問題作であり、代表作だとも伝えられる 【 メルヘン爺 】を扱わせていただきます。

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 祖父が死んだのは私が高二の時である。
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祖父は全くろくでもないジジィであった。ズルくてイジワルで怠け者で、嫁イビリはするし、母も私も姉も散々な目に遭った。

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     実在の「友蔵」は 好々爺では無かった。。。

そんな祖父のXデーは、五月の爽やかな土曜の夜に突然訪れた。

夜中十二時頃、祖母が「ちょっと来とくんな、ジィさんが息してないよ」と台所から呼んでいる。

私と父と母はビックリして祖父の部屋に行った。

なるほど、祖父は息をしておらず、あんぐり口を開けたまま動かなかった。

あまりのバカ面に、私も父も母も、力が抜けたままなんとなく笑った。
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まもなく医者が来て、祖父の屍をひと目見るなり「これは大往生ですね」と言った。
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死因は幸福の条件の中でも最も大切な要素のひとつである”老衰”であった。


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・・・ぶっちゃけ、事のノッケからこの有様(^^;ボロカスでおます。

人間の尊厳な死の場面をとらまえて、このように《笑ってしまう》っとゆ~ だけんどマルでテメエで《見てきたかのように》…自然と湧き上って来るこの可笑しみが 一瞬で 読み手をガシっと捕らえます 。

知的で上品なユーモアに盛られた、さくらももこ著『もものかんづめ』の一章なのでありますが、

中でもこの 今回の元ネタ「メルヘン翁」が断然面白い。”死”という本来悲しむべき出来事なのにかかわらず、

コレほど冷静に正面から見据え、その上で思いっきし笑い転げています ええ。

そこにはある意味、人間の真実が見え隠れするような不思議な現象があると云えますまいか??

「全くろくでもないジジィであった」と揶揄するが、その裏には実はちゃんと持ち合わせた家族愛と、

『もうこれきり逢えないのだよね・・・』といった 無言の家族愛と、一抹の寂しさが同居した、そんなココロの裏返しでもあるってわたいとしては思えます訳で。。。

・・・だけんど…リアルの実際は、ンな《キレイ事で済まねぇヨっ!!》って「それ」なんでショね・・・

凡百のエッセイとは完全に一線を画する さくらももこサンのエッセイは、《死んだジイさんなんかスキじゃなかった》って大前提を隠さず 堂々とブチかましてル訳で。

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   「傷つく事ダケ 得意な連中」にゃ反吐が出ますわナ(--;

事実として この1編は、集英社連載中に 読者よりかなりの数…『さくらサンって、あんなにも酷い残酷な文章を書くヒトだとは思ってもみなかった!もう2度と読まない!』って…かなりボルテージ高い 抗議・」ブーイングを博した『問題の一篇』であったそうで。。。


ですが・・・その少なくない否定の意見に対して 作者の さくらももこサンは、

《そうですか…としかと受け止めます。でも、ご理解いただけないのは仕方がないとしか申し上げられません》と堂々の表明。

《わたしは回りに起きた事をディフォルメしてバカバカしく伝えることはありが、それを美化すて描く能力が無いのである》とも♪

いやな気分になった方すみません…って述べるものの、発信した自分の作品・意見は けっして撤回も謝罪もしない・・・それこそが芸術家の態度と姿勢であろうと♪
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       ケチつけたって、テメエがさくらももこにゃ成れやせんのだ


 ・・・さくらサン アンタ 荒くれだゼ♪♪


・・・ってか、ココにですネ…わたいは【 発言者・表現者としての確たる《覚悟》 】それをば強烈に感じます訳で、

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       アンチの意見に阿らないお見事な気骨だと思いまス

個人として密かに思っている・・・『もしかして、《さくらももこ》の名は、マンガではなく、《エッセイストとしての技量・才能》で 後世に語り継がれるのではなかろうか??』って考えます その根拠でしてネ。

モチロン 出世作「ちびまる子ちゃん」も 大傑作であるのはテッパンなのでありますが、この「メルヘン爺」は、さくらサンが持つ 天賦の才に、《天才故の狂気がバクハツした》プラスして・・・

人間の《死》とは本来 きわめてダークでもあり、時に陰惨なモノでもあり、同時に同じ家屋で暮らす 身内の人間には、せつな過ぎたりもする。けども・・・
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コレが…歴史上の出来事で、鎌倉時代に 元寇が来襲し、神風も吹いた結果、敵の軍勢を見事に討ち果たした♪ ってな記述となるなら・・・

なんか無性に、晴れ晴れと誇らしげな気持ちになりません?? おそらく当時の現場海域では、ハンパない数の遺体・死体がウジャウジャ漂って、凄惨な図であったろうなのは必然・・・

『当人の悲劇とは、角度を替えた 他人にとっては最高の喜劇である』との言葉もあるように、
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喜劇の基本中の基本、《バナナの皮に滑って転ぶ紳士》、あるヒトにとっての悲劇が、第三者にとっては笑いの原本となる。


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 夜中三時頃、続々と親戚が集まってきた。

こんな大騒ぎにもかかわらず、姉は自室で熟睡している事を思い出したので、私は慌てて起こしに行った。

「ジィさんが死んだよ」と私が言ったとたん、姉はバッタのように飛び起きた。
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「うそっ」と言いつつ、その目は期待と興奮で光輝いていた。
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私は姉の期待をますます高める効果を狙い、「いい? ジィさんの死に顔は、それはそれは面白いよ。口をパカッと開けちゃってさ、ムンクの叫びだよあれは。

でもね、決して笑っちゃダメだよ、なんつったって死んだんだからね、どんなに可笑しくても笑っちゃダメ」としつこく忠告した。
 
姉は恐る恐る祖父の部屋のドアを開け、祖父の顔をチラリと見るなり転がるようにして台所の隅でうずくまり、コオロギのように笑い始めた。
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死に損ないのゴキブリのような姉を台所に残し、私は祖父の部屋へ観察に行った。

誰も泣いている人はいない。ここまで惜しまれずに死ねるというのも、なかなかどうしてできない事である。

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・・・ココまで読みますと 改めて・・・さくらサンは きわめて冷徹な《観察者としての視点》を持ち合わせたスゴいヒトだよなあ・・・って 感嘆するばかりで はい。

さくらサンの姉が 死んでいるジイさんのカオを見て テメエが死ぬって感じで笑い崩れる…ってのは、確実に!!・・・祖父の死を知らせる さくらサンが、

『いい?ゼッタイに笑っちゃダメだよ?』って(^^;予めの 予備知識としての「前説」をばブチかましたせいです うむうむ。。。

リクめも ちびまる子ちゃんのブラックな作風から 作者である さくらももこサン自体が「ぐう聖(ぐうの音も出ないほどの聖人)」ではないと思っていましたが、
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    実在しない「架空の一家団欒」だから描けただろう あの設定

家族を「嫌い」だということをサラッと書く、その当時の社会的な《建て前》をひっくり返す、ある種のタブーをやってのけたことにショックを受けますよね やっぱ。。。


さくらももこサンは後に「家族だからって無理に好きになる必要はない」というようなコメントを残していますが、

ぶっちゃけ リクめもこの意見に賛成です。それはテメエとしての 恋愛だったり あるいはケッコン・・・
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          異なるDNA同士だからこその友愛

思うンですよネ~、恋人やパートナーを「愛せる」ってのは・・・【 同じく暮らす 家族では無いから 】だっって。


それに、同じ家に暮らす家族だからって、自動的に「愛情が」伴うとは限りませんやんか??
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      「骨壺争い」「遺産紛糾」身内がゆえに陥る争そい事

血がつながっている筈のジイさんバアさんから 1つも愛情を受けてなかったせいで、かれらが死んでも さして哀しいともナンも思わない・・・
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世の中には こういったケースは星の数な筈。血のつながりとはトキとして 面倒くさかったりも。。。


なんか…思うのでありますが、社会全体は「家族の愛情」ってのを 無意識的にワザと勘違いしてるンでは?? って、

誰しもが 盲目的に信じ込んでる家族への愛情の その大半は・・・ジツのところ愛情ってよりも、【 愛着 】であり・・・

それであるゆえ、エラいシッパイしても 許してやるって気になるし、助けてやろうって気にもなるのだと。。。

…オノレで痛い思いして産んだ 母親の感情はベツだと思いますが、ひとつ家にイッショに暮らす 家族、そのワルい面とかも含め 全て把握してる、近親s相姦がいかんとぢゃにゃくて、【こんなヤツ!ダレがココロから愛せるかっ!!】って気持ちであるのが ある意味「人間の正体」ではないかしらん・・・

たとえ家族じゃない立場であったとしても、イエ【家族ではナイからこそ!】、赤の他人でしかない恋人・パートナーを真に愛すことが出来て、同時にパートナーの家族をも同じく 愛すことができる それが「愛情」だろうと ええ。

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 【 ヒトの死 】ってのは、本来からして マヌケであり、とてもみっともないモノだとも思います ええ。なんせが 魂の「電池切れ」ですからネ。

その 電池切れ はテメエではどもならん・・・ボコチンいじってよぉが、トイレで用足してル際でも 生き物ですから《死》は唐突に訪れる・・・。

妹から 祖父の死を知らされた 姉さんが 死んでいるジイさんのカオ見て 思わず笑い転げるって それにしてもが、
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断言できます はい、【 ゼッタイに悪意は微塵も無い 】ジイさんの「死に顔」ってのが、前説で知らされてた「それ」よりも、

姉としての 予測を 遥かに上まる《超マヌケなモノ》だったからこその、ごくごくナチュラルなヒトとしての反応だったのだと。


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ジィさんは、死ぬ数年前からボケていたのだが、そのボケ方がどうも怪しい。

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知らんふりして私の貯金箱から金を盗んだり、風呂をのぞこうとしたり、

好物のおかずが出たりすると一度食べたにもかかわらず、「食べてない!」とトボケて食べようとしたりするのだ。

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私は、あれは絶対わざとボケたフリをしていると踏んでいた。

老人問題の〝ボケ〟まで逆手にとって巧みに利用するとは、なんたる不良翁であろうか。

そんなジジィが残した物は、汚いメガネとますます汚い入歯だけであった。
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・・・この世は過酷で、どうしようもなく救いがたいものです はい。。。

ですからさくらももこサンは フィクションのなかで理想の祖父像…【 友蔵 】を描いたのであり、それは《現実の暮らしの中になんか要るわけがない》ってのを 充分に意識した上での、理想の偶像の具現化。。。
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       実在しない架空の存在ゆえ尊い友蔵おじいさん

我々視聴者はフジテレビの日曜夕方にくり広げられるファンタジーという、《創作である安心感》無意識にそれを感じて安らぎを得るのでしょう。

さくらサンにとって、現実に存在してた実の祖父はマジで大嫌いであり、近親憎悪的に最大に嫌悪していた その対象だったんだろうって思います ええ。

ある意味で云うなら…実際はスゲぇイヤなジイさんだった【からこそ!】マンガでの「友蔵」というキャラクターを創造出来たのだとは言えますまいか??

『あの友蔵おじいさんのモデルの自分の祖父をあんな酷い文章書くなんて』と、連載当時拒否反応起こした読者、でもかれらは気付いてないと思う・・・
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人間なんてのは、誰しもが 見えない部分では まことに醜悪な面はそれぞれで抱えています。わたいもそうですし みなちゃまもワリぃけんど 同じであろうと。

さくらサンが マンガでの「友蔵」を いかにもの好々爺として描いたっていうのも・・・おそらくは、さくらサンはココロの中で…

『あ~あ…ウチの実在のジイさんも…ホンのチョっとだけ努力していたなら、マンガっでの友蔵と同様に 皆から愛されたろうにヨ・・』というヒネクレた「供養の一環」なのでは?? と。

本当は真逆であったらしい現実の友蔵に対し ココロの隅で 密かに 線香をあげていた行為なんでは??』と。

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「ジィさんの顔、口を閉じてやらなきゃ、まずいなァ」と誰かが言った。

私は、そのままでも面白いから問題ないと思ったのだが、そういうわけにもいかないらしい。

「白いさらしの布で、ジィさんの頭からアゴにかけて巻きたいのだが、布はあるか」と親類の男が尋ねるので、母と祖母は必死で探したのだが見つからなかった。

深夜なので買いにも行けず、モタモタしているうちに死後硬直が始まってしまいそうだったので、やむをえずありあわせの手ぬぐいで代用する事になった。

この手ぬぐい、町内の盆踊り大会で配られた物であり、豆しぼりに『祭』と赤い字で印刷されていた。

ジィさんは、祭の豆しぼりでほっかむりされ、めでたいんだかめでたくないんだか、さっぱりわからぬいでたちで、おとなしく安置されていた。祖母は、「ジィさんは、いつでも祭だよ」と力なく呟いた。
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私が姉に「ジィさんのくちびるから、祭ばやしが聴こえるねェ」と言ったら、彼女はまた台所のゴキブリになってしまった。


ジイさんは棺桶の中に横たわる姿 それは体をS字にくねらせて、頬に手を重ねるジジィの姿は、周囲をいっぱいの菊の花にも囲まれて、
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それはちょうど 【 夢見るメルヘン少女 】のようであった。


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 ・・・っと、ぶっちゃけ 身も蓋もございません(笑)(^^; そら おねいさんも笑うわナぁ。。。

しっかし(プロですから当たり前ですが)女性のヒトで、ココまで・・・ブラックなテイスト表現を畏れず 書き殴れるヒトって かなり稀有ですよネ?

感心するのは…さくらサンご自身が、ジイさんとの生前の思い出、センチなメランコリーに 1ミリも流れてない事!

読み手への サービス精神の発揮でしょうが、今さっき亡くなったジイさんを【 あくまで笑いをとるが為の《道具》 】って割り切り 徹底的にモノ扱い(^^;

コレは 古典落語のダークな名作「らくだ」や「黄金餅」にも どこか匹敵するテイストがあふれている気がします 《言葉の落語》なんですネ ええ。


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葬儀は お寺へと移り、和尚の読経と木魚に合わせて まだちいさな従妹が、『ぼ~ずが びょう~ぶに じょ~ずに ぼ~ずの えをかいた』と歌いだし・・・

祖母があわててクチをふさいだが、私のココロの中では 延々と その歌がリフレインされていたのだった。

そして私は いよいよ葬式の最後 ハイライトで読まれた 弔辞のすごさに目を見張った。。。
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「友蔵さん あなたは昭和38年より 地区老人会の会長をつとめ、世のため人の為貢献され、こんにち老人会があるのもあなたのおかげ・・・」

弔辞の内容すべてが老人会のことだった《世のため人の為》っていうところが、弔辞を読む人と祖父の《親しくなさ》を如実に表現していると思った。

家へと戻り バアさんが 「わたしあの弔辞には感激しちゃった」と お約束 棒のようにつぶやいた。


ジィさんの戒名の称号は居士であった。死ぬと無条件に仏の弟子になれるというこの世のシステムには改めて驚かされる。

もしジィさんか本当に仏の弟子になってしまったら、インチキはするは酒は飲むわで一日で破門であろう。

それなのに”居士”だ。私が、「立派な戒名もらってヨカッタねえ」と母に言うと、彼女は、

「あたしゃ、生きているうちにいい目に逢えりゃ、居士でもドジでもなんでもいいよ」と言いながら、葬式まんじゅうをパクパク食べ始めた。
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   位牌が少し傾いたような気がした。

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葬儀 読経の際の おこちゃまによる暴走 わたいにも経験がございましてネ・・・

まだ丹後半島の時代 近所の葬儀会場で、幼いからまだ、葬儀の厳粛性も 和尚さんのお経の有難みも てんで判ってませんからネ、

最前列 和尚さんのスグ真後ろに チョコンと腰掛けたホトケさんのひ孫にあたる まだ幼い女のコが・・・和尚さん叩きます ポクポクポク・・・の 木魚の「リズムに合わせて」

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『ここかとおもえば まぁ~たまたあちらぁ うわきなひとぉねぇ~♪』こ…こらっ!!木魚をビートBOXにすナっ!!

で この時点で、列席者の半数は ピクピク!カラダ上下に揺すって耐えているって構図。もはや泣いてルひとなどは居らず…葬式の厳粛性はカンペキに吹っ飛んでしまいました うむうむ。。。
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     マジで腹筋崩壊3秒前でスたわなぁ・・・


…ぶっちゃけ ココまで 突き放したドライタッチな 一見ハードボイルド風 表現のエッセイ、

スゲぇのは そのタッチの目的は 恰好つけでは無く、【大爆笑の前ふり】なんだから まさに驚きで!@@;


突然の訃報があり、我々は その亡骸に遭遇した際『こんないいヒトが・・・早過ぎます』ってナ事述べます。
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でもそれは…【この世を暮らす上での 慣用句】ぶっちゃけ「お約束の一言」でス ええ。


この「メルヘン爺」の ナンともいえない、ダークだけど マジで 稀有な「面白さ」は、
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   「ナミダにくれる」は、葬祭における『付属サービスの一環』かも

1人の人間って生き物が入滅したに過ぎない、驚くべきことでもナンでもない自然の出来事に、

やれ 葬儀屋だ 棺桶だ 死に化粧だ お寺だって、ドコの家でも ほぼほぼ似通った「大騒ぎ」・・・それの【 虚構性 】をピックUPして嘲笑っているって気がするのです ええ。


「葬式とかってなると、もぉおっかしくて 笑いがこみ上げとまらなくなる」って有名なのは 漫画家の蛭子サンでありますが。
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マジでもって、ホント…「葬式」ってのは、考えれば考える程、【爆笑の宝庫】でス ええ。

「喜怒哀楽」、ヒトが暮らし 生きていくうえで味わう 喜んだり 泣いたり 悲しんだりって、

さくらサンはたぶん「その喜怒哀楽、なにが上で なにが下かってのはないんだ。すべてが同列」って考えていたのかも知れませんネ はい。
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        我がチームのショーゴ君の「喜怒哀楽」・・・
         (ぶっちゃけ 変わンねぇぇぇ~~っ!)


 クチ当たりの良い 毒々しさを排した(女性)エッセイが主流の昨今、これじゃ~本も売れなくなる訳だってナマイキですが思います。

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     あらためまして、さくら先生の ご冥福をお祈りいたします

タマにゃあ この手の 毒々しさを覚悟の上で 思いっきりハラ下してデトックスって♪ さよう…出版文化とは お手軽サプリメントではナイのでございますだお はい~~


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      みなちゃま よいご連休を ♪

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弁士が変われば。。。

「もものかんづめ」は前に(91年すぐに)買って持っていて、
今回のお題の「メルヘン爺」も当然読んでいた・・・のですが。。。

今回 荒くれ文学館でとりあげていただいて、読み進めるにつれ・・・
なんと!!ワタシの読解力は いかにも乏しく ある部分の面しか見ていなかったが よくよ~くわかりましたわ。

本当に! 弁士が代わると こうも!内容が濃く伝わるのか! 結末わかってるのに、知らない話を読んでいるみたいで。。。

ワタシも この作品を自分の親族をくそみそに扱うなんて!!って憤って抗議した読者らは、
『人生の…深い部分を全然見ていないわねぇ』って思いましたね。
さくら先生は「プロなんだから」 ご自身や身の回りに起きた ご不幸であろうと、
それを膨らませ 読み手の大笑いへと昇華させる、それが出来てこそ 芸として「本物」。

 ぶっちゃけ・・・身内を美化 神格化した文章ほど「見苦しい」ものはありませんよね~~(^^;

No title

 ついうっかりと、途中まで気づきませんで。
てっきり リクさんのノベルだろうって早トチリもいいとこでした(恥)

さすがというか、ちびまる子ちゃんを創った人だけのことは有りますね!
超冷静な観察力と、良い意味での ひとの悪さ(へんな表現w)が入り乱れた カオスともよべる文章の運び。
思いますが「さくらももこ文体」は、出版でも放送媒体でも 今の「お笑い」に相当の影響を与えている気がします。

No title

ちびまる子ちゃん や、ジブリ作品の、「想ひ出ぽろぽろ」とかってのは、
本来 ある特定の年代層 とくに女性を対象として作られた、ある意味での「カルト作品」なのですよね。

それが 日曜夕方 「笑点」→「ちびまる子ちゃん」→「サザエさん」って 国民的ルーティンを確立したのは不思議とも呼べるかも。

実在の ともぞーじいさんが 実はとってもイヤなおじいさんで 作者は大嫌いだったとカムアウトする潔さから このハナシの面白さは花開いていると思います。
全体の空気に 病気で寝込んでいる訳ではないのに、なぜか?『やっと…死んだかジイさんは』って、
残った家族のみんなが ホっとしている感じがひしひしと迫ってきて、いけないなあとは感じつつ…ついつい笑ってしまいますよね♪

我が家の「メルヘン爺」・・・

小生 感じますに、古典落語の「野ざらし」「らくだ」「黄金餅」のような、
露見するなら まごう事なき犯罪っていった 毒こそありませんが、

このハナシは、作者が高校2年、17歳の少女が、最大に黒い念を抱きながらの 爆笑ハードボイルドだと思う次第で。

このハナシに出てくるほどの悪意は持ってませんでしたが(笑)小生も 父親がホント「ふとしたはずみで あっ!オヤジ息してない!!」って、
逝去した際には やたらドタバタ、泣いてるヒマなんてないぐらい、思い返すならば トホホそのものの 思い出がつのります。

それが…亡くなったのが 12月の「28日」・・・そう!御用納めの日の夜の事で!! @@;
てっきり、ヂライアイスで保って 正月3日明けに通夜・葬儀って思ってたなら・・・

市役所の人間が、『明日 29日の正午ごろ、本年最終として《焼き場》おさえられるけどどうします?』って。
で、それからこそが「一大事」。。。この晩のうちに お通夜終わらせないとってんで(笑)
近在の親戚らに電話かけまくり 無理言って集まってもらうって。通夜の儀式が始まったのが 午後の11時半って(^^;

みんな年の仕事は終わってるので、お通夜は夜通しの「飲み会」になり、
酒が足りなくなって、祭壇の酒まで盗むように飲んじゃって ま~~坊さんが怒る事怒る事(^^;
ベロベロで全員 祭壇のロウソクが倒れたの気付かず、あやうく・・・ホトケさんが 焼き場不要です になるとこだったと お粗末(笑)

似すぎて怖い(笑

さくらさんの「この本」は呼んだことは無いのですが、「ちびまる子ちゃん」の初期の頃の話と今回の「リクさんの解説」で何となく思っていたことが、納得出来た気がします。

描写や観察の視点が何とも冷静で、ブラックぎみなんですよね。小学生の視点じゃ無いですよね(笑

ウチの父親の葬儀も似たような感じで、、、
喪主は母親にしてもらいましたが、手配・交渉・決定を裏で取り仕切ってました。
死ぬ数時間前に、式場と坊さんの仮押さえ、
死に装束&遺影の事前準備、
式場のプラン決定(値切りも)
地域代表との打ち合わせ
枕経の際に「録音」してタイミング良くお経を表示できるように「動画編集」→初七日の間は、ノートパソコンで動画を流し、親戚で唱える。

大変なのが、各種行政機関への届け出、銀行・保険とか、、、1週間のお休みもらっても全然処理出来ないんだもん!

お家に連れて帰るでしょ?
元、本体の横の辺りが冷たいんですよね。
「あっ、ココにいるんだね?」お茶を出して「召し上がれ」って言うと、「フルフル」震えるんですよね。
「ああ、飲んでるんだなぁ~」って思った。

それから、霊感が弱くなった気がする。
冷静すぎって怖い~~~(てへっ!

肉親が亡くなった時、哀しみよりも「もう、面倒を見なくて済む」と思いホッとした事を覚えています。
伊丹十三監督の映画「お葬式」
訃報を受け、実家に戻るドタバタ。
お通夜の準備の和気あいあいとした雰囲気。
親戚同士のぶっちゃけ話。
死者を悼む雰囲気とは、ちょっと違う。
お寺さんが到着した途端の緊張感。
どれもお葬式あるある。

さくらサンが、爺さんの死様を克明に覚えてるって事は、爺さんにずっと寄り添ってた証拠ですね。

葬儀の思い出。
お坊さんのお経を聴きながら眠ってしまった。
お経の「阿耨多羅三藐三菩提」のくだりで、「おっ!レインボーマン出てくるか?」と思ってしまった

Re: ちゃー子さんへ

 ちゃー子さん いつもありがとうございます♪

> 「もものかんづめ」は前に(91年すぐに)買って持っていて、
> 今回のお題の「メルヘン爺」も当然読んでいた・・・のですが。。。

ナマイキでおますが…発表当初には《その文章の本当の価値》が 十分には世間が理解してなくて、
かなりの年数が経って 初めて! 時代が文章に追いつくという現象はよくよくアリますよネ ええ。

ボクちん自身 さくらセンセがご逝去されて、実家の本棚に 姉が買った「もものかんづめ」を
ふむふむ…と呼んでいるうち、『わ!なんじゃこれ スゲぇっっ!!』@@; って、「メルヘン爺」をめっけたのでしてネ。
>
> 今回 荒くれ文学館でとりあげていただいて、読み進めるにつれ・・・
> なんと!!ワタシの読解力は いかにも乏しく ある部分の面しか見ていなかったが よくよ~くわかりましたわ。

> ワタシも この作品を自分の親族をくそみそに扱うなんて!!って憤って抗議した読者らは、
> 『人生の…深い部分を全然見ていないわねぇ』って思いましたね。

『ただただモンクを著名人につけたくて』・・・タカの目で それのお題を漁ってルってイヤな連中は居ますわナ うむうむ。
読んで イヤな気分になったならば、シンプル…『2度と読まなきゃイイじゃん!』
ワザワザッテメエがイヤな気分になったレポートなんざ ダレが読みたいかい! カン違いすんなアホだよネ。

> さくら先生は「プロなんだから」 ご自身や身の回りに起きた ご不幸であろうと、
> それを膨らませ 読み手の大笑いへと昇華させる、それが出来てこそ 芸として「本物」。

これもナマイキですが、自分の身内を題材にして 読者を楽しませるって作業、それって、作家・発言者の「業(ごう)」だと思います はい。
「うちのじいさんは 絵に描いたくそじいだった」という表現・・・
でもネ 思うのです・・・おバカではない読者ならば、この身も蓋もない表現の【行間に滲む想い】を 感じとらなきゃネ。
ジイさんの事を ただクソミソにケナしてるダケじゃあないです この一篇は。
むしろ 死んだジイさんが完全無欠に イイ人であったなら、この大名作は成立すらしないのですからネ ええ。

>  ぶっちゃけ・・・身内を美化 神格化した文章ほど「見苦しい」ものはありませんよね~~(^^;

ってか、そ~ゆ~テメエの身内自慢するよな御仁は ココの場には 来ませんからご安心を いひいひ♪

Re: タキさんへ

 タキさん いつもありがとうございます♪

> さすがというか、ちびまる子ちゃんを創った人だけのことは有りますね!
> 超冷静な観察力と、良い意味での ひとの悪さ(へんな表現w)が入り乱れた カオスともよべる文章の運び。

そこの部分こそが さくらももこファンを長年 引き付けて離さない部分でしょうね ええ。
少女期に起きたモチーフを オトナとなったさくらセンセが、1つのフィルターを通して再編集して仕上げる、
ある意味でコレは、証拠の写真や 文書を基にして、社会小説を書く作業にも似てませんかねぇ?
笑いを呼ぶための文章なんですけど、仕上げるまでの段階は 意外に超シリアスな作業だったのでないかしらん うむうむ。

> 思いますが「さくらももこ文体」は、出版でも放送媒体でも 今の「お笑い」に相当の影響を与えている気がします。

はいはい わたいもそれ思いますよ」ネ。
さくらセンセは ビートたけし、さんま タモリっていうよりも、ボクちんとしては、むしろ《伊集院 光》のテイストに近い感じがしたりします。
さくらセンセ自身も ダレだかの お笑いの部分の影響を受けている筈なんですが、
それがどのような系譜となっているのか??残念ですが、そこまで探るヒマはござんせんので(^^; 世の評論家諸氏にまかせますか。。。

Re: 大黒の住人(♀)さんへ

 大黒の住人(♀)さん いつもありがとうございます♪

> ちびまる子ちゃん や、ジブリ作品の、「想ひ出ぽろぽろ」とかってのは、
> 本来 ある特定の年代層 とくに女性を対象として作られた、ある意味での「カルト作品」なのですよね。

世の広告代理店のタクティクスはバカにおなりませんからネ。
あの「踊るポンポコリン」の大ヒットで 従来なら 一部で熱狂 大衆は無関心ってパターンのTVアニメが国民低番組にまで昇華したのですよネ。
ウチとこの姉は 不惑半ばなんですけどネ、「もものかんづめ」読んで、『作者の感覚が ワタシよりも一回り上って感じ』って言ってましたしね。
POPカルチャーでは本来なく、ドッチかってぇならば「マイナーカルチャー」なんですよね さくら作品のテイストは。
『子供の視点で オトナたちをシニカルに観ている』って手法は、ウーディ・アレンによる『ラジオ・デイズ』で踏襲されてますが、
案外さくらセンセが》影響を受けているのは そのへんかなあ??

> 実在の ともぞーじいさんが 実はとってもイヤなおじいさんで 作者は大嫌いだったとカムアウトする潔さから このハナシの面白さは花開いていると思います。

そ~そ~♪ 《死んだジイさん》が より光り輝く条件は、それが「イイ爺さん」ではダメなんだ うん。
大嫌いで エゲつないぐらいケチでスケベで意地汚いって、ンなジイさんで「あってこそ!」ある意味で【 死に甲斐 】が確立する♪(ヒデぇことイってますナ わたくし)(^^;

Re: 長生きの秘訣さんへ

 長生きの秘訣さん いつもありがとうございます♪

> このハナシは、作者が高校2年、17歳の少女が、最大に黒い念を抱きながらの 爆笑ハードボイルドだと思う次第で。

ぶっちゃけ 16世紀のヨーロッパだったら、「禁書」になってまっせ この本は いひいひ♪

> このハナシに出てくるほどの悪意は持ってませんでしたが(笑)小生も 父親がホント「ふとしたはずみで あっ!オヤジ息してない!!」って、
> 逝去した際には やたらドタバタ、泣いてるヒマなんてないぐらい、思い返すならば トホホそのものの 思い出がつのります。
> それが…亡くなったのが 12月の「28日」・・・そう!御用納めの日の夜の事で!! @@;

 ・・・わぁ…時節柄的な タームスケジュールとしても いかにものドタバタが脳裏に浮かびますわねぇ。。。
でも・・・スゴいというか、「お見事な散り際」それを実践なさった お父様ですね ええ。
御用納めの28日の午後に亡くなったって、それって 誰一人 仕事を休んだりせずに済むコレ以上ナイ お見事な旅立ちの設定です はい。

> で、それからこそが「一大事」。。。この晩のうちに お通夜終わらせないとってんで(笑)
> 近在の親戚らに電話かけまくり 無理言って集まってもらうって。通夜の儀式が始まったのが 午後の11時半って(^^;>
> みんな年の仕事は終わってるので、お通夜は夜通しの「飲み会」になり、
> 酒が足りなくなって、祭壇の酒まで盗むように飲んじゃって ま~~坊さんが怒る事怒る事

「この例」に殆どセイムセイムな 通夜・葬儀をば 経験してますから なんだか良く理解できます 当日の雰囲気が。
ぶっちゃけ『寝ちゃったらアウト』なんですよネ?怒涛の飲み会の勢いで、」なんとか出棺まで『全力疾走するっきゃない!』(笑)
おもろいモンで 通夜の酒席ってのは ナンでか??普段五合しか飲めないヒトが 一升の目ちゃうから不思議でおます うむうむ。。。

Re: 菊川鈴音さまへ

 菊川鈴音さん いつもありがとうございます♪

> 描写や観察の視点が何とも冷静で、ブラックぎみなんですよね。小学生の視点じゃ無いですよね(笑

「オトナとなった今だから」書けるテイストだと思うンですよん ええ この作品はネ。
比較するのもナマイキですが(^^; 丹後半島時代のなつかしハナシの 少年期リクめだって、
幼いからって けっして!!純粋でも素朴でもなく、オトナらには気付いてないフリをして、その在り様をシニカルに捉えては 嘲笑っていたって、まさに悪魔的なガキでもあったし(^^;

> 死ぬ数時間前に、式場と坊さんの仮押さえ、
> 死に装束&遺影の事前準備、
> 式場のプラン決定(値切りも)
> 地域代表との打ち合わせ

ホント・・・枕詞として『死は突然に』…の筈なくせに、ぶっちゃけ そのウラ側では・・・
上記のような『各所の手配』・・・でもその行動は…『●●さん 死んじゃダメ!しっかりして!!』って呼びかけとは・・・
180度 真逆な(^^;至極冷静・冷徹な準備行動で。ヒトの葬儀の「虚構性」はその時点から既にスタートしてルんですよね~~。

> 大変なのが、各種行政機関への届け出、銀行・保険とか、、、1週間のお休みもらっても全然処理出来ないんだもん!

うむうむ 同意×100000!! 
中でも アレ…「年金事務所への届け出と処理」ナンで??あんなにも時間がかかり 面倒なままなんやろか??(--;
銀行なんぞも・・・だいたいにおいて、遺族が『預金 引き出すってダケならよくなくない?』って思いませんでしたか??
月のローン等 引き落としは当人死んでも出来てルくせに、
ウチとこの祖父のばやいは 額はさほどでもなかったのですけど、所謂『相続放棄書類』ネ、その主権者の署名とハンが必要になったのでありますが・・・
ぶっちゃけ・・・中の 1人が チト放浪癖のあるヒトで「現在行方不明」って(笑)(^^;ありゃタイヘンやったわいなぁ。。。

> 「あっ、ココにいるんだね?」お茶を出して「召し上がれ」って言うと、「フルフル」震えるんですよね。
> 「ああ、飲んでるんだなぁ~」って思った。

ウチもありましたデ 同様なことが。。。
お寺に遺体を移す前に、コイン所のヒトや親しい友人とかが 棺に納められたジイさん 見に来るわけわけ、
で…お世辞含んだ「慣用句」で(笑)『ああ!惜しいヒトを!』とかナミダ浮かべてそのヒト呟きますなら・・・
ナニも存在してない中空から・・・『いや…気ぃ遣わんといてエエからエエから』なんか ラジオから聴こえるよな声が・・・
打鍵度それって わたいしか聴こえてないようで。。。
『天国でユックリしてくんなはれ』ってなら 『はいはい!アンタも養生せなアカンえ』って。。。【 ジイさんがしゃべってる 】・・・
八百政なんかは(アイツは無神論者) 「2,3日寝てないゆえの それ幻聴だヨ」ってんですが、でも「有る」ナンたって身内なんだからネ うんうん。

Re: アツシさんへ

 アツシさん いつもありがとうございます♪

> 肉親が亡くなった時、哀しみよりも「もう、面倒を見なくて済む」と思いホッとした事を覚えています。

その「ホっとした」感情を いかにも非情と捉えるのか・・・でもネ、ボクは思うんですよ ええ。

その ホっとしたって、気持ちが生まれます背景には、かつては元気だった そのヒトが寝付いたり、病により苦しんだりって、
ご病気の当人だって いかにも「まことに遺憾に思う」であろうし 苦しくもせつなくもあるって思う。
そして鬼籍に入られる・・・『ああ もうこの人が、苦しむ事も無くなったし、可能性の殆どない慰め(状態へのウソ)をクチにする必要もなくなった』
ボクはネ アツシさんの そのホっとしたのは、おそらくは そういた感情が交錯した結果ではないかなあ?って。心配ない♪アナタはけっして非情なんかではないから(^^)


> 伊丹十三監督の映画「お葬式」
> 訃報を受け、実家に戻るドタバタ。
> お通夜の準備の和気あいあいとした雰囲気。
> 親戚同士のぶっちゃけ話。
> 死者を悼む雰囲気とは、ちょっと違う。
> お寺さんが到着した途端の緊張感。
> どれもお葬式あるある。

有りそうでなかった ある意味「映画の隙間産業」があの映画でしたよネ。
佐野アサオさん演じるオジサンの しょうもない健康自慢ハナシに 台所の女性陣が「あ~~あ…」ってガックリするところが個人的には面白かったです はい。

やはり 昨今ご逝去された 菅井きんサンの 葬儀最後の挨拶 アレはお芝居とはいえ、迫るものを感じましたネ ええ。

> さくらサンが、爺さんの死様を克明に覚えてるって事は、爺さんにずっと寄り添ってた証拠ですね。

まさに「そこ!!」なんですよ ええ。
『身内の不幸を ナンて表現!!』ってケチつけるヤツらにゃ そのへんの「ヒトとしての機微」が判ってない・・・
たとえ「大嫌い」であろうとも、さくらサンは ともに1つの家で 嫌いなジイさんと暮らし、息をしていたと。

作家の 今東光が、いつも自分の前に立ちふさがり 認められず否定ばかりされていた 実母が死んだとき・・・
『死んだぞ 死んだぞ!!』って、町内をバンザイしながら練り歩き、オマケに花火まで打ち上げようとして(笑)
ハラ立てた奥さんに 花火を水ビショビショされてしまったって逸話。
これを 放蕩息子の無法行為って切り捨てるのは ぶっちゃけ「つまらん」・・・

『どうして?? そのような キチガイめいた様相を周囲に見せつけたのか??』黙ってナミダ流してりゃ 世間は孝行息子だって云うだろユニ。。。
ココんところに、1つの まことに屈折した 身内への愛情の想い それが内在してるって わたいは思える「ンですよん ええ。


> 葬儀の思い出。 お坊さんのお経を聴きながら眠ってしまった。
> お経の「阿耨多羅三藐三菩提」のくだりで、「おっ!レインボーマン出てくるか?」と思ってしまった

般若経そのものが 旧い インド語でもありますからネ。「包丁人味平」で料理を志した少年が少なくないように、
レインボーマンで 初めて 般若心経ってのと出会ったヒトは意外に多いのかも♪

年寄りのたわごと

爺様が死んだのはボクが小学4年生の頃だった
「爺さんは50歳なるともう隠居してぶらぶらしてしよったったい」と親父はボクが高校の頃吐き捨てるように言うのを何度か聞いた頃がある
信心深かった祖母は当時雨後の竹の子のように勃興していた新興宗教に必ずボクを連れて出かけて行った
ボクはなぜか宗教の儀式みたいなものが大好きで、退屈するどころかいつも喜々としていた
一方の祖父はと言えば、家賃の上がりを小遣いに、当時大盛況だった貝塚競輪につれて行っていたが、一緒に美味しいものをたべてさせて貰った記憶もなく、ただただ退屈なものだった
ボクを連れての物見遊山外出の口実に、していただけだったに違いない


ある朝祖父が朝食に起きてこないことから、誰か起こしに行って初めて『息しとら』んことが判明
祖母のときは涙が出て仕方なかったが、祖父のときはなぜか少しも悲しくはなかった
逝ってくれてホッとしたという雰囲気が、家の中に隈なく行き渡っていたことは間違いない

当時は歳を取れば角が取れ、いつもにこにこして寛大さの権化のようになるっていう風説がまことしやかに囁かれていたご時世
自分でもこの歳(69歳)になれば、「ええっ」とばかり一種の恐れを感じてしまうもの
もう本当に後がない!!
10年後にはこの世から消えてしまっていても何ら不自然なことはないところまで来てしまった
いくら歳を重ねても仏教で言うところの『智慧』を身につけるのは並大抵のことではない
しかし、いくらなんでも、このまま『阿呆』のままでは死にとうはないというのが本音
結局、お前は何年ヨガをやってきたら気が済むんかい?
師のSri Chinmoy や、他の聖賢Krishnamurti や Sadhguru みたいになるには後何回生まれ変われば良いのやら・

Re: 年寄りのたわごと

 Pierrot le fouさん いつもありがとうございます♪

 ぶっちゃけ・・・アンサーにチト困る内容でおますねえ なはは!(^^;

> ある朝祖父が朝食に起きてこないことから、誰か起こしに行って初めて『息しとら』んことが判明
> 祖母のときは涙が出て仕方なかったが、祖父のときはなぜか少しも悲しくはなかった
> 逝ってくれてホッとしたという雰囲気が、家の中に隈なく行き渡っていたことは間違いない

ウチとこでもそうでしたし、菊川サン アツシさん での事例でもその傾向があるっていうか、
「じいさんが逝く」って事象は、なんか 家の女性が逝くってよりも どこか『アッサリ サッパリしてる』そうは思いませんか??
わたくし元来『地球はオンナで回ってる』って そう思ってますし、オトコってのは どんだけかブイブイいわせてよ~とも、
一生そのものが機械仕掛けとでもいうのか、きっと ♂のテメエでは子供産み出せないせつなさから、その分 この世で とにかく「なんかしたい!」それでもってガチ走るだけの存在なのかも。。。

> 当時は歳を取れば角が取れ、いつもにこにこして寛大さの権化のようになるっていう風説がまことしやかに囁かれていたご時世
> 自分でもこの歳(69歳)になれば、「ええっ」とばかり一種の恐れを感じてしまうもの
> もう本当に後がない!!
> 10年後にはこの世から消えてしまっていても何ら不自然なことはないところまで来てしまった

ただねぇ ピエロさん?? 1つ自覚しなければいけない「事実」がアルのですよん ええ。
それは・・・ピエロさん世代(リクめのオヤジも同じ範疇ですけど)は 云うならば【ROCK爺ぃ世代】

 【 ビートルズを聴いて老人になる初めての世代 】それだと。。。

コレは 単なる英国の1ミュージシャングループがどうのこうのではナイって思います ええ。
それまで 広沢虎造や田畑義夫を聴いてた世代の「老人」とは 生きるための価値観が従来とは一線を画するものであってしかるべきで。

69 微妙っちゃ微妙ですよネ。。でもナマイキな言い方ですが…【 年齢で 歳よりぶっちゃアカンやろが?? 】っとも思う。
港の 水先案内人 火ダルマ親方も 72なんですが『いつまでこの前期老人をコキ使えば気が済むんだっ!!イイ加減引退させやがれ!!』ってボヤきながら頑張ってますし(^^;

> いくら歳を重ねても仏教で言うところの『智慧』を身につけるのは並大抵のことではない
> しかし、いくらなんでも、このまま『阿呆』のままでは死にとうはないというのが本音
> 師のSri Chinmoy や、他の聖賢Krishnamurti や Sadhguru みたいになるには後何回生まれ変われば良いのやら・

更に若造がナマイキいわせてもらいますさかいネ…【 そぅそぅ結論に辿り着けないところにこそ 人生…生きている機微が在る 】それだって!
『楽譜が読めなきゃ ドラムは叩けないか??』・・・『違げぇヨ トイレとイッショ、使用法のマニュアル読めなくたって 用は足せるべが』


 ジャンゴ・ラインハルト は、《楽譜がいっさい読めなかった》でも彼はギター奏者として神の域までを極めました ええ。

 https://www.youtube.com/watch?v=UedDZcGgvoE
プロフィール

港のリク

Author:港のリク
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港で働く ジツはとっても気の荒い(?)アンちゃん・・・ですが、産まれついてのホルモン分解異常の関係で♂なのにEカップの胸の持ち主 という混沌としているわたしです。

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