リクであります
いつにも増して『エロは無い』(笑)(^^;
え~~本日は、前よりの「宿題」ってことで・・・
マジ本当の意味での『ヒネクレ怪談』でございます。ぶっちゃけ むしろ「否定論」ってんですからコレがまた!!(^^;
こんなわたいでっけど・・・も~20年近くも、「このこと」ワリにマジに考えてきた事でしてネ。
いわく・・・【 水子は存在しないヨ! 】ってこと。。。
ンな エログでナニやっとんじゃアホンダラ!ってお思いでしょ~が(^^;
も~とっくに みなちゃまには、わたいが変人だってのは お判りだと思いますので いひいひ♪このアホめが わぁわぁ云ってルのをアキレつつも眺めてヤっておくんなさい♪
【 水子の祟りは恐ろしい霊障である。墜胎や流産した水子の霊は生まれてくるはずだった親のもとに取りすがる。そうしなければ、彼岸と此岸との間でさまよったまま、いつまで経っても成仏することができないからだ。取りすがる場所は産んでくれるはずだった母親の体になる。そして「お母さ~ん」と泣き叫びながら、様々な霊障や祟りを起こすのだ。いつまでも成仏できない場合は母親の体を完全に殺してしまうこともある。 】
って・・・ぶっちゃけコレはですネ~~・・細木数子氏の著書『六星占術の極意』の中で、水子について書かれている部分の要約なのでありましてン。
「水子の祟り」について他で言われていることも大体同じようなもので、例えば阿含宗の桐山氏は「解脱供養して成仏させ、霊界に送り届けてやらなければ、不成仏霊として、その怨念はいつまでも消滅しない」と述べてますわナ うむうむ・・・
だけどもコレは声を大にして『 言いたい 』・・・【 そんなものはすべて《ニセモノだぞ! 】って。
自称霊能力者・・カラクリはチープなモンでス
ぶっちゃけ あまり、オカルトを根っからは信じておりません このリクめではありますが・・・
今現在の「科学レベル」では、この世のすべての超常現象をば解明できない・・・。その「歯がゆさ」の中で、人間の超能力、霊能力ってのも 一応は《有る》といたしましょう概念上。
だけどネ・・・ココみなちゃま忘れてはあきませんデ・・ぶっちゃけ『霊能力と《金儲け》は本来、ゼンゼン違うフィールドのものである』って厳然たる事実。。。
この際でっからいっちゃいますネ。あのですネ・・1円でもカネ取りやがる《霊能力者》には【そんな能力なんか無い】ですから これホント。
逆に言いますとネ・・『(そんな能力なんか)《無い》からこそ 平気で続けてられる 』のでありまして はい。
ウチとこの親戚で、大阪に住む 叔母なんか、いくら疑義の目で見ても、『やっぱこのヒトは(霊能力)アルかも・・』って認めざるを得ないヒトいますが、
否定しきれない『ある種のチカラ』持ってます はい
モチロン 1銭もとらないス。すべてはボランティアとゆ~か「当人の 持ち出し」
ですけどネ、当人いわく『他人様の《因果》にウカツにかかわると ヘタしたなら命失いかねない』って言のとおり・・
叔母ですが、今までに 内科系 かなり深刻なレベルの手術を「8回!」もしてます はい。ある意味で「そんなにも 危ない行為」
とてもぢゃにゃいが、リクちゃまはテメエの命惜しいですから(^^; ンなあぶねぇ~作業のための修行なんざする度胸はござんせん(マジ)
失念してはいけません大事なこと・・・『自身の《霊能力》を売り物にメシ食ってる連中は信用に値しない』ってこと。
残念ですが、コレは お寺の坊さんとかって それにもバッチリ!!適用出来るので よくよく注意が必要です。
一例でっけど、「浄土真宗」の寺院では、『水子供養に儀式』なんて項目ございません(リクん家は浄土真宗ではなく 臨済宗です)
案外と知られてませんが(ってより 寺の坊主でも知らんのが多いッス)
「水子」って、ジツはそれ『みずこ』ではなくて 古式によるなら『すいじ』って読みます。「水子(すいじ)」とは戒名の下に付ける位号の一つで、死産や赤子の頃に夭折した者に対して付けられるもので、キチンとした呼び名すら知らない先生方(笑)がもっともらしく言うこと自体が嘘くさいって思わないッスか♪
供養のために水子地蔵をまつる風習は江戸時代からありましたのですがネ、
「水子が祟る」という信仰が全国に広まって一般化したのは、驚いてはあきまへん・・・ジツは【 70年代になってから以後 】!!なのでして うむうむ。
ちなみに高田衛氏の『江戸の悪霊祓い師』(筑摩書房)によれば、江戸時代において、おそらく最初に水子供養を行ったのは浄土宗の祐天上人だってことで。彼は当時、堕胎で苦しむ母親たちを救済するために、人としての扱いを受けていなかった水子にスポットを当て、供養の対象とした と。
ぶっちゃけ それは何のためか?? はい!答えは簡単・・ぶっちゃけ「今現在ほど」カネ目当てではありませんが、
少なくとも、祐天ってボーズが、『それにより供養のお布施ゲットを目論んだ』それは否定できない・・・。
ほんでネ、日本の70年代以降に、この 《阿含宗》は まさにこの時期に急成長をとげ、本覚寺グループも前身の訪問販売会社時代に「水子菩薩」の販売を手がけて業績を急速に伸ばしたのでございまして・・・。
やったら火イ使えばイイって思ってやがル・・・
いっときまっけど、この一連の物言いは リクめの「妄想」ではございませんでネ、
わたいは大学当時 所属していたゼミの卒論で、まさにこの『新興宗教(明治以降にスタート) および 新宗教(終戦後以降にスタート)新新宗教(1970年代以降にスタート)における財政研究』って、
その当時はわかりませんでしたが、故イチハラや、公安のクロサキなんぞに言わせると『メッチャメチャあぶない激ヤバな研究だ』そうなのですが(^^;
それに基づいて コレをば書いております はい。
その後 全員!お縄になってて 大笑い♪
とにかく 怪しげなる宗教ビジネスや霊感商法ってのは、「祟り」とセットで利用されるまでは、仏になるために成仏を目的にした「ノンビリした形態」でしかなかった。
それが いつの間にか・・『水子は祟る』って、ヒトの恐怖心や過去の罪悪感をMAXに付け込む 完全なる【脅迫商法】として機能しちゃってます はい。
で・・・そうなるとだヨ・・・みなちゃまも思いませんか??
『そのようなボロいショーバイ、拝み屋や寺のボーズばかりに独占させておくか??』って 1つの命題・・・。
も~~おわかりですネ?ぶっちゃけ「水子の霊」なんぞ売り物にカネ集めている団体や組織のウラ側には、【 闇の勢力 】が蠢いていますのぢゃヨ うむうむ・・・
そんな連中に1円でも支払うって行為は、ワルい勢力を肥え太らせるダケ!! バッカらし~ぢゃあ~りませんかって!
騙されるヒトに罪はないが、結果と・・として、非合法組織やカルト集団の資金を支えるってジツにもって皮肉なことにも通じる訳で(--;
中にはネ、闇勢力の連中のダイレクト経営の宗教法人(もどき)だってリッパに存在してます。ネットでもいくらも出てます。
ナメんなヨ・・こちとら20年勉強してんのヤ
胡散臭いとこほど 見分けは簡単♪ やれ『祟られる』『すべてのウマくいかない原因は水子』って徹底したトーン、最後はきまって『最終的にはアナタ死にます』って。
・・・ふ~ん・・じゃあ逆に聞こうヤないか・・この世にオギャ~と産まれてヨ、最終的に【死なないって人間が居るのかヨ?】ってことッス。
100%当たる予言『アナタは死ぬ いつか』(笑)
ヒトだけじゃなく この世の「生き物」は 必ず死を迎えるってのが いわば大自然の法則なんだワ、それが早いかチョイとだけ遅いかの差だけッス。
それだけじゃないス、日本の「産業界」も この《ボロい構図》に飛びつきやがった・・・
秩父の紫雲山地蔵寺の初代住職、橋本徹馬氏(1890-1990)は、水子供養ブームの仕掛け人と言われているのでありますが、
この人物、総理大臣経験者 佐藤栄作の相談相手だったてのを『売りに』・・・
この橋本氏の地蔵寺は、近年の水子寺の元祖。「水子の祟り」と「お祓い」を売り物に、あっという間に1万体の水子地蔵を売りつくしたといいます。
また、この頃から各地の石材店が水子観音や地蔵の販売に乗り出すようになり、これとタイアップする寺院も急増した。「水子を成仏させるために」供養しなさい、というわけだ。
要は 水子の供養費用ってダケやおまへん、「物質」としての、やれ地蔵やら 供養塔だのって、目に見えるカタチでの利権が発動した訳だ お立会い・・
この動き・・・ぶっちゃけ 町の墓石屋のオヤジのみが喜んで利権を独占したって思いますか??
「水子供養」・・江戸時代以前には一般的ではなかった。そもそも民間の風習では、「7歳以下の子どもは人間の子と考えず、まだ神の子であるという考え方があり、死んでも仏にはならない」(『大百科事典』)と考えられており、「仏としてのあつかいをせずに、すみやかな再生を願って」(『仏教事典』)していたのですから。
この本覚寺では、「家族や子孫が幸せになることはとうてい望めない。水子の霊障は長い期間経過してもその威力は衰えず、いつまでも何らかの不幸をもたらす恐ろしい霊障」だと説いてますわナ。
「きゃつら」はチカラ技で脅しかけてきやがった・・・
あ~~あ 救いがナイじゃん(--; こりゃあ・・『ひひひ♪ オレっちにかかわった以上 この先も骨までシャブらせて貰うからヨ♪』って 公言してるのとイッショじゃん。
テレビなどでも霊能力者などが「水子の祟り」とよく言っている。実に恐ろしい祟りとして世間でも有名でっけどネ、ズっと昔からある話だと思っている人も多いかもしれない。
ところが、この「水子が祟って母親や家族を苦しめる」という考えは、1970年代に、いわゆる新・新宗教が考えて広めたものなんでしてネ・・ジツは歴史が浅く、確かな根拠なんて「ナニも無い」のであります はい。
ぶっちゃけ「こんなもの」何万体あろ~が『単なる石』!!
さて、このように「水子の祟り」は近代に一般化した話にすぎない。しかしこの話は霊感商法とも関係が深いため、鑑定などで水子の話を持ち出されて、他言もしていないのに当たった経験をお持ちの人も多いよ~なのですがネ・・
ところがこれには理由が考えられるのでございますだお。ぶっちゃけ もともと水子の話は当たる確率が高いのだ。うむうむ・・・
2002年3月に日本放送出版協会から出された、『NHK日本人の性行動・性意識』というデータブックによれば、「これまでに中絶を経験したことがありますか」という問いに対し、20代と30代では約30パーセント、40代では35パーセント、50代と60代では約50パーセントが、中絶を1回以上経験していると回答したという「事実」・・・
これは宗教は超越、むしろ「社会経済の問題」なのです はい・・
これは20代から40代では約3人に1人が、50代以上では実に2人に1人が中絶経験者になることを示しています。
要は・・・水子の話を持ち出せば、それなりの確率で当たることがよくわかるって断言しても過言では無いっていえますまいか??
また相談者の先祖までさかのぼる鑑定方法をとる場合、さらに高い確率で中絶経験者を見つけ出すことが可能だと考えられる。
むしろ親戚中を探して一人も経験者がいない、ということの方が珍しいかもしれませんわナ。
「良い悪い」って2元論で 割り切れる問題ではナイってリクめは思います はい。
今生に女性として産まれた人間にとって「そうせざるを得なかった」って・・・いうならば「負の歴史」なのですからコレは・・・。
国や人種さえ超えた 女性全体の問題でもある・・
そうなれば、あとは「水子の祟り」を持ち出すのみ。知られるはずがないと思われることを当てられたのだから、さぞ驚くはずですよね?不安に駆られて不幸の原因は祟りのせいだと思い込ませることも、きっとできるに違いない。
祟り」に怯える前によく考えてほしい。体調が悪くなったり、人間関係が悪化したりしたのは本当に祟りのせいだろうか??って・・・
中絶が原因で体が不調になることはあるし、人間関係がぎくしゃくしてしまうことだってあるはずだ。霊能者の話に、「そういえば・・・」と思いを巡らす余裕があるならば、その間に他の原因を考えてみるのも悪くないのではないだろうか。
水子を供養したい、という気持ちはよくわかる。真摯な気持ちで供養を行っている人は多くいる。しかし「祟りが怖い」とか、「人生が上手くいかないのは水子が元凶だから」というような理由で供養するのなら、供養される側は嬉しくなどないのではないかと思う。
水子は先祖の祟りと同じくらい、悩める人間が背負うことが出来ない「うまくいかない原因」を背負わされてきた。
ヒトの「恐怖の概念」に付け込んだ【 商売 】
いい加減、この「不幸しか生み出さない轍」から解放させるべきだって リクめ真剣に思うのであります はい。
6.曖昧な条件付きの成就(1)
(その4)で使用した例では、霊能者は、水子やそれが引き寄せてしまった霊が、交通事故という災いを引き起こすと主張していた。
依頼人はその言葉を信じてしまったわけだが、当然、その対処方法について、霊能者に伺いを立てることになる。
次に、インチキ霊能者が、どのような対処方法を提示してくるのかを見てみたい。以下は、(その4)で使用した例の続きである。
※会話の前に付いている(霊)は霊能者、(依)は依頼人。
子供が交通事故にあうかもしれないと言われた依頼人は不安になり、霊能者に対処方法を尋ねると次のような答えが返って来た。
(霊)「今、あなたに取り憑いている水子は、あなたに縁があって、あなたに頼って来ている水子だから、あなた自身が何とかしなければいけないわ。」
(依)「はい・・・でも、どうすれば?」
(霊)「あなたの家に御仏壇はあるかしら。無ければ神棚でもいいわ。私が書いたお札にその水子の霊を宿らせるから、そのお札を仏壇、または、神棚に置いて、この御経を毎日唱えなさい。
ただ、唱えるだけじゃダメよ。ちゃんと、水子が成仏できるよう誠心誠意願いながら唱えるのよ。
あと、毎朝1回、お水とお菓子を供えてあげてね。それで、あなたの誠意が水子に届くと、水子は満足して、神様が迎えに来てくれるわ。」
(依)「はい。分かりました。」
(霊)「それと、お子さんが外に出る時は、お子さんの背中に手をあてながら、『神様、どうかうちの子供を守って下さい』と祈るようにして。
結局、子供を守るのは母の愛なの。あなたの愛の強さに呼応して神様が力を貸してくれるわ。」
水子の祟りは恐ろしい霊障である。墜胎や流産した水子の霊は生まれてくるはずだった親のもとに取りすがる。そうしなければ、彼岸と此岸との間でさまよったまま、いつまで経っても成仏することができないからだ と・・・
取りすがる場所は産んでくれるはずだった母親の体になる。そして「お母さ~ん」と泣き叫びながら、様々な霊障や祟りを起こすのだ。いつまでも成仏できない場合は母親の体を完全に殺してしまうこともある と・・・
ココで気付かにゃあきまへんデ!!
この例にあるように、インチキ霊能者の対処方法は基本的に、次のような特徴を持つことになりますのだ・・・
①.対応策は依頼人にとらせる
②.曖昧な条件を付ける
まず、「①.対応策は依頼人にとらせる」である。
すごい霊能者であるのなら、取り憑いている霊など簡単に成仏させてくれればいいものを、決してそのようなことはしない。
何だかんだと理由を付けて、依頼人本人に対応策を実施させようとするのであるが、上記の例では以下の理由が示されている。(ただし、依頼者だけでなく、霊能者も一部対応策を実施する場合もあるが、その場合は、依頼者の役割の重要性が強調されることになる)
「あなたに取り憑いている水子は、あなたに縁があって、あなたに頼って来ている水子だから、あなた自身が何とかしなければいけないわ」
「結局、子供を守るのは母の愛なの」
このように、依頼人に対応策をとらせる理由は簡単で、次の通りでス
○霊能者に霊能力などないから
○もし、指示通りの対応策を実施して問題が解決しない場合、依頼人の責任にする為
○対応策に必要なモノを買わせたいから
「水子が成仏できるよう誠心誠意願いながら唱えるのよ」「結局、子供を守るのは母の愛なの」「誠心誠意」など、いったい、どこまで真剣に願えば、条件をクリアしたことになるのか不明で曖昧ですわナ(--;
仮に 本人はまじめに、かつ、真剣に、「誠心誠意」願おうとしていても、毎日行っていれば、当然、MAXの状態は維持できずに、気が緩む日も出てくる。
よって、霊能者の指示通りに依頼人が対応策を実施して、子供に交通事故が起きた場合、「あなたの誠心誠意さが足りなかったからです!」と言って、その責任を依頼人に押し付けることが可能になるのである。
また、「母の愛」の方は、明確に条件として提示されているわけではなく、このように言っておくことによって、交通事故が起きた場合は、「あなたの母としての愛が足りなかったからです!」と主張できることになりますわナ?
こちらも、どの程度の「母の愛」なら、守れたのか不明で曖昧な為になせる技じゃありませんかっての!!
【愛】ってのはぶっちゃけ「概念」でしかないのであり、
けっして方程式は成立し得ない領域でございます
一方、交通事故が起きなければ、「私の指示した通り、誠心誠意願ったからよ」、「私の言った通り、母の愛が子供を守ることになったでしょ」と言えばいいことになる。
なっ?? このように、「曖昧な条件」さえ付けておけば、どう転んでも、霊能者の都合の良いように、その条件を使用できるのでございますのだ!
こんなのを自慢しても意味ないですが(^^;こ~までも「具体的に指摘できる」ってのは、ぶっちゃけ このリクめが ある程度ヤバい世界を知っている人間だからでありますのヨ・・・
わたいも ある意味リッパ(?)に《ワル》でありますが、少なくとも、ヒトの恐怖心や後悔の念に付込んでゼニ儲けるて作業を「善し」っとする気持ちはございません。
ナメないでいただきたい、 わたいにはそれだけは揺るぎのない【美学】がございますから はい。
乞食したってヨ「ミジメな生き方」は御免だ!
このリクめが仮に 銀行強盗に押し入ったとしても(ありそ~で怖いですが:笑)
ぶっちゃけ その際に銀行に居合わせた利用客のサイフからカネ奪う なんて真似だけはしないッス、クソも味噌もイッショにはしねぇゼ ワシはヨ♪
ほんで 次に・・・「水子は存在し得ない」ってことを 科学の視点から論じてまいりましょ~~!
こういった問題の「すべての大原点」に匹敵する事象なのですが・・ぶっちゃけ 【 《魂》ってなによ?? 】って、世界のダレにも説明できない大命題。
すいません 特定の宗教や信仰等 お持ちの方 チト静観してらしてくらはいネ?このセクションでは すべての「信仰対象」をば除去して進みますので。
その「魂」ですがネ・・・ぶっちゃけ「いったい、どの《時点で》人間としての魂となりえるのか?」って大きな「大疑問」が・・・。
母親の胎内で、受精したまさに「その瞬間」だって説からはじまり、「3ヵ月後」「6ヶ月」「7ヶ月」「分娩の段階に入ってからである」等々 いろんな説が飛び交ってますのは まごうことなき「事実」。
ぶっちゃけ 要するに・・『 ダレも正確には定義するのは不可能な領域の問題 』それに間違いござんせんわナ?
「神は存在するのか?」ってな 根源的ともいえます大命題を誰一人 証拠物件を提示して説明が不可能なように。
わたくしリクめ個人は、宗教団体は信じてませんが一切、かといって・・ごく個人的には神仏の存在を「それなりに」信じてたりします はい。
その「信じるココロ」ってのは、けっして「科学的ではない」ですよネ?わかっております はい。
ペットのワンちゃんかてリッパに「信仰心」アルのでして
ぶっちゃけ それって【 虚構 】であります。例えば、映画館で映画を見ている時、自分は主人公になったり、登場人物に感情移入して泣いたりする。映画館の中でも現実を保っていれば、主人公にはならないし、感動して泣くことも無いだろう。
けど、それは映画の本質ではなくなりますわナ? やくざ映画を見た人は家に帰るまで肩で風を切って歩いたりするけど、これなんてまさしく現実と虚構の混同(笑)。
ぶっちゃけ全ての藝術・舞台は「虚構」でス
また、演劇やオペラも非日常的空間という舞台を設定して虚構を演じて見せている。ぶっちゃけ そんなのをすべて否定していたなら、この世の殆どの娯楽は成立しませんわナ うむうむ。
「水子の霊」=「魂」が、『有るのだ!』って力説するならば、その「物的な確証」で世の中に説明しない限りは、『存在するもの』としての定義は「永遠に不可能」それになんら変わりがないのです うむうむ。
だけんど、言いましたよ~に、個人個人がココロの中に「虚構」として「有る」「有る・・かも知れない」って思っているのは、まったくもって「自由」だと思いますね♪
肝要なことは、『その概念は《虚構》である』って事実を失念しないでいる「冷静なココロ」でス。いっちゃん危険なのは、虚構と現実を混同し 区別が曖昧になっちまうことですのだ。
ブログ上にて 水子が『ジツのところ存在しない』ってのを カンペキに立証するのには限界がアルのでおますが・・・
最近の「生命科学」「受精科学」で、【 あきらかなる現象 】を提示するなら、ぶっちゃけ・・説明はおろか、完全に【論理破綻】起こしてしまうのですホンマ・・・。
ナニを隠そう それは・・・『 クローンの登場 』って問題。。。
従来での「霊的な解釈」がひっくり返る【現実】・・
世界的事情通でもある レイモンド・カークイも言ってましたが・・・表面的情報の世界では 未だリミットが堅くかけられているってされる「人間クローンの生成」
カークイ曰くに『《もはや可能です》って項目、やらないでおく訳がない。《しない》ってのは、それは《出来ないから》って意味で、けっして倫理問題ではない。中国も欧米諸国も水面下の見えないところで、実際取り組んでるのに間違いなどあり得ない。具体的にどの国で幾つのケースが成功しているかが不明なダケ』と・・・。
ぶっちゃけ わたいも「そう思う」。既に《羊のドリー》が公然と発表されている現状に加え、昨今の「代理母」が課普通に可能となってます医療の精度、それに「遺伝子組み換え技術」それらの発達振りからしても・・・
公式発表されていないダケで、既に 人間の手による「人間のクローン」はおそらくは この世にもう誕生している筈だと思う。
完全に「神の領域」ってされていた 禁断の項目に 良し悪しではなく、もう踏み込んでいるのですワ われわれ人間はネ。
で・・そうするとだ・・・ぶっちゃけ・・この「クローン人間」の【 魂 】って、どない説明すんのヨ??ってことに尽きます はい。
今まで宗教とかでサンザン言われて今に至っている「霊的解釈」は、足元から 【完全に崩壊】きたしまっせ??
クローンには【親】は存在しません。輪廻転生も「ありえない」。ぶっちゃけ タンパク質と塩基、それに遺伝子情報をドガチャカして試験管からこねくり出されたのがクローンなんでっからネ。
クローン人間にも「脳」が有る。ってことは 当たり前に「思考」があり、「感情」も備わってる・・・ってなると、それは従来の理論を踏襲するなら【魂が有る】ってことざまショ??
この「ハナシ」・・宗教に関係した人間に問いかけますと ぶっちゃけ10人が10人とも!ジツに困ったイヤそなカオになるか、あるいは激怒して席を立つかって そんなです いひいひ♪
可哀想ともいえるのかも知れないが、もはや・・・従来の宗教的な「物言い」では、解析が不可能なレベルにまで 生命科学が進化をしたってことなのでしてコレは。
っと・・・ココまで「言い切る」わたくし・・・
みなちゃまは『ま~~リクちゃまったら 案外にドライで冷たい考えの持ち主ネ・・・』っと そう思われるかも知れません。
だけんど、誤解をしてほしくないのはだ・・・このわたいとて けっしてオニでわにゃいのでごらいまスて いひいひ♪(^^;
生きているヒトにはそれぞれ、みなさん『事情』ってものがございます はい。
その事情によって、不憫ですが、この世に誕生が叶わなかった「子供さん」という存在・・・
それをば 擬人化して『 魂 』と祀り、謝罪・・・って、正直この言葉はわたくしスキくないでス・・・
ただ 本来ならばこの世に誕生するはずだった それが叶わなかったって事実を受け止め、純粋に祈る、これこそが本当の『 慰霊 』ではないでしょうか?って そう思うのです はい。
ぶっちゃけ その「慰霊」には、コレじゃなきゃダメ!ってな様式など無いって信じます。
【 なによりも大事なのは 追悼するという純粋な気持ち 】ただそれダケなのだ!って わたいは自信もって言わせていただく!!
やったらカネかけて ドンガラドンガラ!派手な儀式したり、像を建てなきゃ祟られまっせ~~! だなんて、ワルい奴の恫喝におびえる必要などは【 ないのだ!! 】ってこと。
ぶっちゃけ「それを言いたいがために」今回ここまでダラダラ書かせていただいた訳で(^^;
世の中には哀しいですが、ヒトの不幸、それに贖罪の念に付け込み、ワルいカネ儲けを企む サイテーの人間が たしかに居てます・・・
「オカルト」って分野が、その是非を問うよりもまず!!こういった「よからぬ連中」を徹底排除する必要性を リクめは訴えたいのですネ♪
出て来い!ニセモノ 撃ちコロしたるけん♪