リクでござりますル
21歳当時 バンドでのコスプレ(なつかし~)
なんや? タコ助 オメエまたカノジョにフラレよったってか?(笑)
ま・・元気出しぃて♪若いうちダケやデ、何度 失恋しても立ち直れるのはサ♪
あん??『おっちゃん 《オンナの心理を学べる小説とか教えてくれヤ》やて??
う~~ん・・・ぶっちゃけ そりゃ「迷子に道を尋ねる」のとイッショなんやけど(^^;
ぶっちゃけ・・このおっちゃんにも『てんでわからへん』・・・。ワシが教えて欲し~ぐらいねんマジでナ。
だけどナ、そないにクヨクヨすることあらへん。あのナ、「女性心理」ってなモノをだ・・・
ワシは思うのやけんども アレコレとカバチかまして 「机上の論理」で考えても ああいうのは《しゃ~ない》って思ってるンだワ ワリとマジにネ。
こういうのんはヨ、心理学の権威のセンセに相談しても「意味ない」って思うワ。
おっちゃんは真剣に思うのやけどナ・・もっと こう、身近な・・・
格好の教本が居てますやん!タコや オメエの母親と、その母である 婆ちゃんを 見たりぃヤ。
タコからすれば モチロン恋愛の対象やないし エラいオトナの世代なんやけどナ、ぶっちゃけ アレも《リッパにオンナ》やでぇ(笑)
要はだナ・・・やっこさんら「オンナ」が、『どういう《構造》・・それでもって モノ考えたり 行動するものか??』って・・・
それを「習う」ってんではなくて「慣れる」・・・それがイチバンの早道やってワシとしては思うわけヨ。
1冊 オッタコに お勧めしたい本がある。おっちゃんが好きな作家で『 久生十蘭 』なのやけどネ。
作品名は【 猪鹿蝶 】。ごく短編で、「青空文庫」で公開されています。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001224/files/52223_43410.html
この作品でっけど、ひとりの女性《私》の、おんな友達らしき 《さきこ》へ、電話口での 一方的な『独り語り』で終始するって、当時としては独創的手法って言われたそうヤ。
文中の表現で 推察できますこのハナシの時代設定は『終戦から6年』、電話の「交換手」云々ってくだりから考えて ようやっとGHQとかの占領政策が解かれてきている時代であろうと。
この「独り語りの女性《私》」なんですが、全体を通して感じられるのは、ある程度以上の社会的地位の旦那を持つでしょう、典型的【有閑マダム】って感じでナ、
当時を考えると 多くの庶民らが 敗戦後でまだまだ苦しい生活に甘んじていただろうに、プチ金持ちの「オナゴ」らのドタマの中身ってのが、ジツにロクデモない・・・
胸倉つかまえて『ドタマの中それしかないンかい うらあ!』って、ドヤしたくもなる うむうむ。
当時 お隣では「朝鮮戦争」の真っ最中で・・・
正直・・・あまり、コッチ読み手としては、共感とか 思い入れが出来ないタイプ。わたいならば 現実に「こんなヒト」が目の前に出現するならば・・・
チョっと、距離を置いて 深い部分までかかわらないだろうって考えるわナ きっと。
積極的な意味での「悪人」とか「意地悪」とも呼べないが、この「独り語りの女性《私》」に、なんていうか・・・読んでいて『ああ・・この女性には 本当の《親友》は多分ひとりも居ないンだろーナ・・』って、フトそういう気分にさせられる。
で・・・この作品「猪鹿蝶」を タコ助に薦めるか?? っていうならば、
全体が・・・『いかにもオンナの考えそうなアタマの中身が透けてイマジネート出来る』ってとこ。
ココロのズっと奥に隠匿される「欲望」も
まったくもって・・久生十蘭ってヒトは、ホント・・「人間の本質」を端的に捉えるのがジツに巧妙!
わかりやすく言うならば『あ~~っ!! あるあるあるある~~っっ!!』なの(笑)
当然やけど 女性かくじんには、それぞれ個性や特性が有ってしかりやけどネ、「物事を勝手に断定する」「後先関係なしに勝手に行動する」「けっして額面通りに受け取らず邪推する」「自己矛盾に直面すると 反省するよりもキレる」って・・(^^;
あと・・「常に反目、密かに出し抜こうと画策するくせに なにかっちゃ《ツルみたがる》」って まさにオンナの行動の真骨頂を この短い短編の中身にすべて網羅してはるのやから 素直に『凄い!』ってナ。
ハッキリした年齢はわからないものの、おそらくは、今現在のリクめなんぞとセイムセイムなんだとも思われるけどナ。
電話中で この《私》」、サービス精神の発露ってのか、自分の容姿だとか体型を やや自虐的に表現するのですが、半面で、《しきこ》という問題となる女性登場人物がいるのやけども、、
その《しきこ》に、ハンパないぐらいの対抗意識もあきらかに抱いているって・・
よく居る(?)やろ? 『アタシっておデブちゃんよネ?』ってコッチに話ふられて ついウッカリ『そうですネ』なんて返答しよ~モンなら『きいいい~~っっ!ダレがデブよ!?失礼ね(怒)!!』ってキレるヒト(笑)(^^; 要は「そんなタイプの女性」。
《言葉転がしの妙》がウリの 久生十蘭ですからネ、すべて十蘭の脳内で組み立てられた筋なのかも知れませんが、
それにしても、なんていうか・・・妙に【リアル】なんだ この作品はネ。
インスパイアというか、おそらくは「元ネタ」となった、《電話での女性の物言い》があったのではないかな?とも思います。
松任谷由実サンが、曲の歌詞のモチーフを取材に、東京 用賀付近の、深夜のファミレスへと出かけ、そこにてカップルや、女性客同士の会話をフィールドワークしているっていうのは有名はハナシですが、
ひょっとするなら 十蘭も、同じようなロケーションでの『プチ金持ち階級の女性の電話』に なんらかのヒントを得たのでは?
荒っぽく 「かいつまみます」と・・・《私》は《さきこ》に銀座の たぶん資生堂パーラーあたりから電話かけてるようで。
さて「しきこ」はいやな男につきまとわれて、自分は死んだことにして大阪方面へ引っ越してしまった。
その男は「きず」という名前で。 「私」は友達の「さきこ」に「しきこ」と「きず」の再会話を憤りながら電話で話している。
「しきこ」は京都弁を話す女性で、「きず」との再会場面に場違いのドレスで現れるものと ばかり思っていたら、「私」とそっくりの和装で現れた。
ほんで それも《私》の服装 いでたちよりも《しきこ》の和装姿は、一段も二段も上回る 《私》が引き立て役としか周囲には映らない それがなによりアタマくるし、
それにしても どうして?? その当日の《私》の服装のチョイス・・・なんだか《式子》は そのデータを予め知っていたとしか思えない不思議な感じがする・・・。
それに まず「おかしい」・・・「私」と同年齢のはずの「しきこ」なのに・・・
久しぶりに「私」の目の前に現れた「しきこ」は、どう見ても 30代前半にしか観えず、不可思議な程「若々しいったらなんのって!」
「しきこ」は実は最近「きず」に墓参りで再会したのだとも「私」は聞いている。
さて「しきこ」は「きず」との再会がまんざらでもなさそうな風情に「私」は釈然としない。あれほど嫌っていたのになぜ?
「しきこ」はこう話す。(本当は京都弁でおますが)
「私はしずこで、しきこの妹です。時々姉が私に乗り移っているみたいなんです。姉がこの世で やり残したことを私の身体と心を貸してやり遂げさせてやりたいと思ってるんです」
・・・おいチョっと待てヤ・・なんヤこれ「オカルトもの」かヨ??って・・・つい・・早計に走りそうにもなるのですが・・・
正直ディティールが「セコ過ぎる」よネ?
読んでおりますとネ、この「私」って主人公、ぶっちゃけ・・・『ンなものアル訳がナイじゃん!今のこの世に』って(笑) 「醒めてる」ってか、てんで《そんなく~だらない作り話ダレが信じますか》って、1ミリも怖がっても居ません はい。
この「猪鹿蝶」の骨子やけど・・・要するに、「きず」ってひとりの男性を、
なんやかやって、「私」も「電話を受けている女性の友人 さきこ」も、で「しきこ」、(言い分を信じるならば)姉に憑依されている「しずこ」と・・
女性三人がひとりの男を取り合う三角関係ならぬ・・・もはやこの世の存在ではない「しきこ」をカウントするなら【 四角関係 】
それを、巧妙な話法で描いています。 そんでやネ・・・リクめとして もいっこ・・・『スゲぇなぁ・・・』って感嘆するのは・・・
ぶっちゃけ・・京都生まれのわたいが読んでいてすら! つらつら感じますのは、ま~~っっ!この文中の「しきこ」が喋ります【 京都弁のイヤミなこといったらアナタ 】@@;
気をつけてはいますが、このわたいも こういった「イヤミな喋り方」で、多くのヒトをばムカつかせているのかなあ??って、つい不安になります はい。
トゲのある関西弁でしゃべりまくしたてる「しきこ」の内に持つ教養ぶりってのもよく判るのでありますが、『おわかりいただけませんですやろなぁ(アンタはバカだから理解できなくて当然だけどネ♪)』って・・・
とかく アチコチで嫌われやすいは「京都人」・・・
ま~~ジツにもって・・【イヤミな京都人ぶり】が如何なく発揮されてて チョっとばっか 読んでいて いたたまれない気持ちにもなってきますだヨ(^^;
しかし「なによりも」・・・この「猪鹿蝶」って小説は、ある意味で「ファッション・ディテイール」が大胆に導入された《最初の近代小説》ではないかなあ??って リクめそんな気がしています はい。
「カタログ的」とでもいうか・・今現在よりも少しかこの時代ですけども、この小説内に登場するファッションを まんま踏襲するならば、まず恥はかかないし、パーティーなんかでも、中心的なヒロインでいれますよ、って・・
なんてえか・・ぶっちゃけ よくもまあ・・・オトコである 作者の久生十蘭センセが、【そこまで】ある意味で『女性の脳内構造の断面を読み取ってる』ものである!!って、驚きます。
文学史にはくらいリクめでおますが、泉鏡花にしろ谷崎 三島にしろ、この短編ほどには、「女性の召し物」についてツッコメてはいないって思うのですネ うむうむ。
『 面白くないことが、もう一つあるのよ。当座、見た感じで、たかだか水通しの本結城と、軽く踏んだんですけど、結城はまったくの見そくない……なんというものなのか、粉をふいたような青砥あおと色の地に、くすんだ千歳茶ちとせちゃの斜山形が経たてつれの疵みたいに浮きあがっているの。袖付や袵おくみの皺が苔でも置いたようなしっとりした青味あおみの谷をつくって、いうにいえないいい味わい……帯はね、蝦夷錦の金銀を抜いて、ブツブツの荒地にしたあとへ、モガルの色糸で、一重蔓小牡丹の紋をいたずらでもしたようにチラホラ散らしたという…… 』
『 帯はともかく、着物のほうがわからない。吉野でもなし、保多織でもなし、あれでもないこれでもないと考えているうちに、いつだったか千々村がいっていた、秋田の蕗織なんだとやっとのことで 』
『 デッサンはちがうけど、帯はマアベルのゴブランで、帯止は沈香の花鏡の透彫りという 』
緻密な着物の装美さの表現で描いていますのに驚かせられます はい。
問題の中心人物である「しきこ」って女性は「いやな男につきまとわれて」、自分は死んだことにして引っ越してしまった。
その時、「私」や咲子や親族を巻き込んで ご丁寧に葬式まで出して【死んだことにして】。
で その「いやなオトコ」ってのが、「きず」ってオトコで、スッカリと「しきこ」が死んだものと思っている と。
このくだりの辺から「ありゃりゃ??」って気になってくるの はい。《イヤなオトコ》って、名指しでされてます「きず」ってオトコですけども・・あきらかに「私」も「さきこ」も、非常に興味をもって「追っかけ」に近い行動をして「きず」の周囲から離れようとしてない。
ってか、今現在だったなら《おんなストーカー》ってな風な表現がマッチングしちえるって気も。。。
それと「しきこ」も 一連の行動が「いかにもおかしい」・・・。
だってサ、ピンピンしてるのに わざわざ、テメエが「死んだ」ってことにして大阪に引っ越したってのに、東京に舞い戻ったなら・・・
スグに そのいやなオトコ 「きず」と、まるで ヨリ戻すように再開するって 偶然としてもあまりに「都合よすぎる」・・・。
で・・な??タコよ、《ココ》から 若いオメエは、学ぶべきこと多いデ うむうむ・・・
登場するオナゴら 《私》 《さきこ》 《しきこ》この3名とも・・・
ぶっちゃけ・・『トモダチでも仲間でもナンでもない!』ってことに尽きる!
女性全員が『自分さえ良ければ』って・・・
要するに それぞれが、自分勝手にアレコレと暴走行為に走っているダケ!。思いやりも連帯感もナンも無い。
案外と、普段カオ合わせると 途端にボコリ合いはじめよる野郎同士の関係のほうがよっぽど、「イザ!」って際には協調・連帯が可能かもしんないよネ?
《私》も《さきこ》も 長いこと音信も無かった 大阪に行った筈の《しきこ》のことなんかはジツのところ 全然心配でもナンでもない・・・。
それよか、ヒョっこりと再び東京に現れた《しきこ》が、チャッカリと 抜け駆けしやがって《きず》に 逆ナンかけていないか?・・ってそれが心配なんだワ うむうむ。
『 ……ええ、聞えるわ。それもまたひとつの意見でしょうが、長い間、だまされていたのは、あたしたちのほうじゃなかったかというような気がするの。邪魔にされていたのは、あたしたちのほうだったらしいわ。お二人さんは、今日、強羅あたりにおさまっているはずよ。そのことについて、ご相談したいと思いますから、これからすぐいらっしゃらない? 』
してやられちまったと・・・
このラストの表現でもわかるように、《私》も《さきこ》も 早いハナシ【負組みに転じた】ってこと。
《きず》は まんまと、《しきこ=(正体)しずこ》に かっ攫われて その「現実」を素直に受け入れられなくってジイジイしてはる訳だ うむうむ。
タコよ・・ぶっちゃけ こういうのが【オンナの正体】やデ ホンマ・・・。
そりゃあネ、《私》も《さきこ》も チトばかり、我が強い「高ビーな女」やけど、でも ぶっちゃけ『こういう部分』・・女子はみな持ってる。。。」
『 ……なによウ、そんな大きな声をだすのはよして。耳がガンガンするわ……面子はあなただけのことではないでしょう。軽蔑される点でなら、あたしだっておなじことよ……後のこと? カンカンになって居ましたもンですから、後のことまでは考えませんでしたの。すみませんでございます……ふざけてなんかいるもんですか。大まじめよ。そんな生意気なことをいうなら、電話、切ってよ。あんたみたいなバカ、勝手にするがいいわ。 やっぱり聞きたいんでしょう。だからつまらない強情を張るのはおよしなさいっていうの・・・ 』
《私》は、電話かけている《さき》】に向かって、このように逆ギレしたりしてんだワ(^^;論理も理性もナンもあらへんやろが??
それに大体だ・・電話口の先の《さきこ》には 初耳のハナシもあろうけども、《私》にとっては、ぶっちゃけ・・
「事の真相」っていうか、ラストまで(自分らがフラレた事実)チャンと判っている訳じゃん??なのに『ナンで??』実体として親友とも呼べない《さきこ】に電話で逐一【 どうして知らせる?? 】ココこそが白眉・・・
あのナ・・・ここいらへんがオナゴの「こわいところ」・・・
電話する目的はネ、要するに 【 ミジメな敗北者 笑いものに《私》ダケが陥るなんてマッピラだ!《さきこ》・・アンタも同じ立場に《引きずり込んでやる・・》 】って・・・ゾゾっとせえへん??(--;
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・・・すると志貴子は、シナシナとしながら木津さんの前へ行って、
「木津さんとちがいますか。うち、志貴の妹の志津子ですのン。何年前でしたか知らん、いちど神戸でお目にかかってます」
てなことを言って、お辞儀をしたもんです。
「こない言うと、けったいな思われるでっしゃろ。うちあけたところをお話しますが、じつはふしぎなことがありますの。
はっきりした日にちはわかりまへんが、一年ぐらい前から、うちの身体に、ときたま、けったいな変化が起るのんですが、そのあいだ、辛ろうて辛ろうて、息もでけんようになるのんです。
変化いうたら大袈裟か知らんけど、なんということもなく、うちの好みが変ってしまうのんです。
いままで好きやった着物の色目や柄が、急に見るのんも嫌ァ思うようになったり、口の端にも寄せられなんだ食べもんが、むしょうに慾しィになったり、顔つきや声まで変ってしもて、べつな人間のようなことをやりだしますねんわ。
はじめのうちは月に一度ぐらいやったのんが、だんだんはげしくなって、五日に一度ぐらいの割合ではじまるようになりましたさかえ、生国魂はんの巫女さんに見てもらいに行きますと、
「あんたには、急な病で死ィとげた、肉親の女のひとがついている。そのひとは、現世で仕残したことがあるのんで、それがあきらめきれんで、あなたの身体に憑りうつって、現世のいとなみをしやはるねん」って……そないに言われると、思いあたることがあるのんです。ときどき変る、着るもんや食べもんの好みは、そういえばみィんな姉の好きやったもんで、その何日かの間は、知らず知らず、姉になった気ィで行動していたように思われますねん……
ヲイヲイ 都合ワリ~事は『姉のせい』ってか?(--;
「私はしずこで、しきこの妹です。時々姉が私に乗り移っているみたいなんです。姉がこの世でやり残したことを私の身体と心を貸してやり遂げさせてやりたいと思ってるんです」
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ぶっちゃけ・・この作品の「構造」 オカルトってするなら 3流そのものヤって思う。
謎解きとか 官能小説として観ても ぶっちゃけハンパやし、コレといった着目するポイントは薄いともいえる短編小説なんだけどネ・・・
登場人物の女子ら、年齢がどうだとか、旦那や家庭の有無とか そういうのと関係なしにナ、
「恋愛」ってものを いっつも追い求めている「女子」っていうのは、このような部分を常に装備して 息をしているって そう考えると・・・
ナンてことはない、ごくごく「日常のイチ断面」で、フト、『ハっとする』ような、いつもは見えない【エロティズムの扉】・・それが一瞬チラっと開くのを感じて、すっごく!エロい気持ちになるんやワ うむうむ。
このおっちゃんの年齢ともなるとナ・・この小説読んで『ああ・・オナゴってのは しょ~もないナ・・』って、アキレる部分も少なくないのやけど、
【 だけど なんか無性に愛おしくて エロい♪ 】そう思うの うん。
タコなんか若いのやし ムリにわかったよなフリせんかてエエよ。でも今のおっちゃんのセリフ憶えとき?きっと オメエにも「理解出来る瞬間が来るから」
タイトルが花札の猪鹿蝶。この作品とどのような関連があるのかなと思ったやろ??
「猪鹿蝶」って花札なんか1度も登場してへんよナ? 花札は二人でする現代版知的ゲ一ムと言われる。
勝負勘、度胸、かけひき、冷静さを必要とする。電話口での女性どうしのやりとりから、互いを探りながら次なる一手を考えているのかもしれないって、フト わたいはそないに考えてしまう・・・。
な??そういった意味では 女性はすごいなぁ~ っとも思わへんか♪
ま・・長い人生 焦らずジックリ「揉まれてみろヤ」♪