夜逃げのキンさんは 少しの間、考え込むようにした後 クチを開きました。
・・・ふうん…《1960年代後期のハマの不良》それについてか・・・
まぁ…詳しいっちゃ 詳しい方かもナ、なんせがオイラ自身が 当事者そのものだったからヨ ああ。
でもナ、あまり期待されても困るのサ 正直・・・殊に60年代の後半の頃って、実際問題、オイラ確かに 不良少年だったが、年齢的には まだ中・学生当時でヨ、
そこそこ背伸びして 不良気取ってたが、バイクやクルマ、ロックンロールだR&Bだ 週末のダンパだって、そういう興味の対象と同時に・・・
家では 買ったばかりのカラーTVで、「ウルトラセブン」熱中して視てたガキでもあったしヨ(笑)
うん 当時なんだが・・・時代的には まだ「暴走族」ってのが正式には登場する前夜でもあってナ、
当時 1ドルがまだ 360円の時代だったからヨ、クルマだの大型のバイクだの 今よりもズっと高額で高嶺の花でサ、二十歳前の若いのが なっかなか手が出なかったんだ。
だから、60年代後半の ハマの不良ってのは、やたらに伝説ばかりが先走ってる傾向にあるけど、実際は…案外に ショボい面も多々あった オレはそれ見てるから ああ。
週末にもなれば、東京の 品川ナンバーの、カマロだのシボレー・インパラだのって、若い世代垂涎の外車乗った、港区在住とかの モノホンの一流私立大の 坊ちゃん連中が繰り出してくるわけだ。
コッチは 小遣いも乏しい、地元の若いのじゃんか、当然、伊勢佐木町あたりに出番ってるネーチャンとかは、東京から遠征の 坊ちゃん連中についてっちゃうからサ、
チキショ~!ってんで、云うならば、地元不良少年らの「自衛策」として、《東京とは一味違う 独自のハマ文化》そいつを オレよか少し上の世代がデッチ上げたんだ ああ。
ナンたって、昔 ハマの本牧地区には米軍のキャンプ基地があったじゃんか、混血児…ハーフの比率も多くて。
若い米兵なんぞも大勢身近に居るからヨ、要は《USA本土よりの情報の速さ》それをウマいこと利用したってこった ああ。
ああそぉ、すべては《カッコつけ》それだ。正直、オイラなんぞは アメリカの文化なんかは、てんで理解も出来てなかった うん。
キン『結局、敗戦占領国のイチ断片だって事に当時気付かなかった』
コーラ飲んでも クスリ臭いとしか思えないし、ハンバーガーなんかよりも、カメチャボ(牛丼)が好きだし、とくにピッツアなんか トマトソースがやたら酸っぱいお好み焼きとしか思えなくてナ(笑)
なんかスグに、『ハマの不良はこぉでなきゃ!』って、一種のスローガンめいた在り方に疑問抱くようになってナ ああ。
《ゴーゴークラブ》って文化が有ってナ、のちのディスコ 、クラブだあナ。当時はオーディオも今よりズっとセコかったから、音楽は ハコ(店)バンドによる生演奏で、ンでお客はフロアでそれぞれ踊るって図式で。
で、いうなら《外タレ》、実態は フィリピンから出稼ぎのコンボバンドな、そいつらが演奏するとこで 皆踊るンだが・・・
やぁ~~ぶっちゃけ…自己嫌悪、こっ恥ずかしくなっちゃってヨ スグに・・・黒人の兵隊とかが、スゲぇリズム感とダンステクニックで踊るわけじゃん 目の前で・・・
それはもぉ《神》だったマジに。。。コッチとかは、祭りの 盆踊りしか踊った経験が無い日本人(笑)勝負にもなんねぇってば。
オリジナリティーとは裏腹…底の浅い物真似じゃん…
でナ…オイラのように、上の世代にくっついて、不良の道へと踏み入れた より若い人間は、『結局…ムリ押し通した 物真似の文化じゃんコレって・・・』って なんかシラケたんだ ああ。
ボビーソックスにサドルシューズ…リーゼントにアロハシャツ・・・ナニ着ようと ナニ飲み食いしようと、最新の洋楽ヒット踊ろうと、ナンのこたぁネエ、USAの若者文化、それの不器用な物真似して粋がってるダケじゃん!って。
実際、米兵たち、モノホンのアメリカ人連中は、オレらの そういう真似っこ観て せせら笑ってやがったしナ・・・イエローモンキーがヨ♪って風に。。。
ンだから、オレはサ、USAの物真似なんかせずに、テメエで自由にヤリてぇナって、そう思ったんだ ああ。
なんか 先輩世代と同じ事してっと、テメエ自身が 外人になり切れないのに なったツモリでキザに構えるって、トニー谷みてぇにも思えてたまんなくてヨ。
でも…今だと信じられないって思うけど、当時のハマの街で いっぱしの『不良でござい♪』って、イイ顔すんには、それなりの度胸と 知恵も必要でヨ・・・
正直、オレは嫌いだったネ、外身こそアメリカ人もどきなのに、不良で居るには、独特の《顔つなぎ》そぉ、誰誰の後輩ですってナ、そうおいう縦割りの序列文化が 当時は在って。
不良少年社会にもアナログな先輩後輩の世界が在ってナ…
それがナイと、チョいとでも街の中心部でツッパってっと、即《ラチられてボッコにされちゃう》…そぉいった際にモノいうのが、《おおナンだ オメエは●●の舎弟か》って繋がりでナ うん。
現在ハワイで実業家してやがる《ロメロ》って通称の、ヤクザもビビる 怖い怖いヤツが居てヨ、おっかねんの、そいつにオイラもシメられた。。。
コッチが中・学生だなんて関係ない(笑)マジで 死んでも不思議はないってぐれえにボコボコさね。最後にゃ デカいサバイバルナイフで頬をピチャピチャされてサ《オメエが道具持ってたなら 刺してたゼ》って、マジでビビった ああ。
本牧地区 最強のロメロにシメられちまったよぉ…
ぶっちゃけ半殺し以上で解放されて、10日ぐらい事実上 寝たきりでナ。でも、オレもやっぱイカレてっから♪ そんな目に遭っても、ハマの街で遊びたくてナ、
ココで逃げてたら一生 負け犬だって そぉ思ったから、なんとか歩けるようになって、オレだけど、ロメロの根城だった 本牧はずれの根岸、《イタリアンガーデン》へと。
で、ロメロめっけて、《こないだはすみませんでした》って、ワビ入れたら…なんかご機嫌になっちゃってロメロ、《珍しいヤツだなオメエ。懲りずに謝り来るとはナ。気に入ったゼ♪今日からオメエはオレのダチだ》って、
マジで 急転直下・・・ウザい調子コイた中坊の立場から、《アイツはロメロのダチだ》って・・・いうなら、ハマの不良の中でも、別格の身分へとステップUPしちまってナ。
だけどサ、さすがにオイラも、ロメロの舎弟分だってのを 調子コイて舞い上がる程にはアホではなかったゼ ああ。
ロメロはフランクな「いいひと」でもあったが、反面で マジでヤバい人間だったしヨ、ハマで長生きしたきゃ、そこそこ分をわきまえて 出しゃばり過ぎないのが得策だって、あの痛い経験で学んだから。
けっして親分子分の関係ではないが、その ロメロの眷属になれたってのは、デカかったよナ、街場でカラんで来る連中はパタっと無くなったし、いかにもヤバそうな店とかにも自由に出入りが許されるって ンな環境になった うん。
長い前フリですまんかったナ、リクお尋ねの【 ナポレオン党 】か。。。
ああ 知ってるゼ、実際 オイラ自身も、元ナポレオン党メンバーだって、そう思われてたしナ。
でもナ・・・実際問題として《そうでもないのだ》ああ。ナンでか?ってなら、上記したようにオイラ個人は、集団でツルむのは好かなかったし、
当時の ハマの「走り屋」ジツのところ、それは 問題の ナポレオン党ばかりでは無くてヨ・・・「本牧党」だの「チームZERO」」だの「湘南サーキットチーム」」って、
ちょうど幕末の京都に 新選組 見廻組 御陵衛士とかって、いくつもの自衛団組織があったのと似てるかナ? まぁ一種の《セクト主義》だ ああ。
オイラ当初は《本牧党なら入ってもイイかな?》って思ってたが、ぶっちゃけ…党の連中の 了見の狭さ…どうにもそれがムカついてナ、《ハマは中区のみだ!本牧育ち以外の人間は党に入れない》なんて…ばっきゃろい!コッチから願い下げだっての!オレは東神奈川の生き物だったしヨ。
ほんでヨ、ナポレオン党に入るってなら チト…問題が有って。。。ナポレオン党も、最初は自由な雰囲気だったのが・・・当時の雑誌《平凡パンチ》で記事となって紹介されてから次第に・・・
《ナポレオン党員はこうでなくちゃ!》って、そういうのが色濃くなって、なんせがイチバンは《クルマのチョイス》それだ・・・
当時はデカいクルマ買うのは家建てるとイッショでヨ
「トヨハチ」「ヨタハチ」って、いかにも若者向けのカッコ良い スポーツカーではあるが、実質…僅か 800ccのセコい国産CARよ・・・ナポレオン党員はそれだなきゃ!ってなってきてて。。。
オレの実家だけど、欧米の外車も扱う 中古車販売だったからナ、モチロン無免許の中坊だったけど(笑)判っちゃってるわけヨ、当時のクルマ、テクノロジーの差、外国車に比べ 日本車がいかにセコくて脆いかってのもナ。
2000だ3000だって 単なる排気量の問題ダケじゃないゼ、当時の国産車の ステアリングの甘さ、加えてサスペンションのユルさったら・・・当時のタイヤのグレードって問題もナ。
《若者向けのクルマ》ってことはナ リク? 要はそれ《若者の運動神経でないと危なくて乗れないよ》って意味なんだ ああ。
店に陳列してた外車をコッソリと乗ってたオイラだったから、実際問題、トヨハチとかで、深夜の 朝比奈街道の通称7曲がりを駆け下る 公道レースなんざ、マジで積極的な自殺行為そのものだと思ったしナ、
ナポの連中だって、内心では BMWとかロータスって、走れる外車乗りたいわけヨ、でも 当時の空気として、周囲からも許されるのは外車でも、スタイル優先、走りもトロい キャデラックの赤のオープンカーとかそれじゃん・・・
そう うん・・・要は まだまだ貧しい日本の、本当に乗りたいクルマにも乗れない 買えない・・・気取ってても、懐貧しい、そんな集まりだったのサ ハマの走り屋の不良は。
でだ・・・今回はやっぱ《八百政案件》の、それも よりによって《人探し》…【 かつての《ナポレオン党メンバー》1人の現在の消息 】それを突き止めようってかい?
ぶっちゃけ・・・どぉだろうかなあ??・・・見込みは薄いって思うゼ正直。。。
ハマを代表するバンド「ゴールデンカップス」あるいは「ジャガース」そこいら関連から 探す人間を手繰るって策もアルだろがヨ、
あのナ・・・これダケはイっとく…《連中のハナシ 100%で信用しちゃなんねえ・・・》ああマジだゼ。
あの当時…ナポレオン党とかに絡んでた人間って、アイツらは ぶっちゃけ・・・【 未だ《夢の世界に生きてる》 】。。。
アイツらが目輝かせてしゃべる 武勇伝もロマンス噺も 全部…【 相当に《盛ってる》 】…すき家もマッサオな《特盛り》だぁナ(笑)
ヤツら ぶっちゃけ、テメエでも、過去の妄想と、現実の在り様とかが区別つかなくなってやがんだ ああ。
『ハマこそが一番 東京なんてそれの残骸だ!』なんて当時のキャッチコピー、それこそが、東京には敵いませんって、巨大な東京を意識し過ぎた上でのヤケクソじゃん?
ごくごく一部の《若者文化》ってのが突出していたダケ、当時だって ある意味で今だって、ハマってのは 永遠に…東京には敵わない、田舎とまでは呼べない イチ都市でしかないのサ うん。。。
皆 それぞれで、貧しくセコい日常あったのサ
そう・・・『実態』は 想像以上にセコくて 貧しいモンだったのサ、オレだってその一員。風呂ナシのアパート住んで、週末の集会で精一杯の見栄を張るために、 喰うのはインスタントラーメンばっか。
長期の月賦でなんとか買ったヨタハチの払いに ヒぃヒぃしながら・・・単なる工員の兄ちゃんらがカッコだけは粋がってたって、実態はそれなのだ ああ。
正直・・・オイラとしては、リクよ オメエの《捜査》かつての ナポレオン党の連中、まだ生きてる そろそろ後期高齢者って連中ナ(笑)それには必要以上に近づくのは お勧め出来ないねぇ・・・
イったように、ヤツらが 語る《真実》ってのは・・・ヤツら自身の脳内で脚色され尽くした ひとつの【 神話 】なのだ ああ。。。
実際問題として・・・【 かかわるとロクな目に遭わねぇゼ 】…ナポの連中を取り上げて記事にした 平凡パンチ編集部の人らは、タダの1人も…平凡社の役職にモ就けずに業界を去ってるしヨ・・・
ナポ連中を 初めてTV電波に登場させた、当時のTBS『ヤング720』それの なんとかって、女性ディレクターは、長い事、仕事干された上に左遷されて。。。
なぁリクよ・・・いにしえの栄光をやたら盛って語りたがる年寄ってのは かくも面倒だ ああ。かれらのペースに巻き込まれたら、人探しはウマくはいかないって思う。
ぶっちゃけ オレ自身が・・・中・学生の頃から ナポレオン党界隈にかかわってる超不良のガキってことで、やったらに警察や地域の教育委員会にもニラまれちゃってヨ、
言い訳だっていわれるならそれまでだが、オレはサ・・・《不良になりたい》って思ったことはタダのイッペンも無いわけヨ、テメエなりの 若さと好奇心もあって、ココロ命ずるまま《自由に》…振舞った結果が 不良って呼ばれたのに過ぎんのだ ああ。
ま…たしかに不良なんだけど(笑)生活態度ベツにして、ガッコ成績はワルくもないのに、累積した補導やサツの世話ってんで、ホント…家裁はおろか、少年院移送…マジで それの寸前だったんだ ああ。
だもんで、ぶっちゃけ勉強はスキじゃあネエがヨ、必死コイて 耳から血が出るまで勉強して…《マサチューセッツ工科大へ留学》って(笑)超ウルトラC技の発揮で、
なんとか・・・警察も文部省も法務省も 巻いて(笑)まんまと国外逃亡に成功したンだが♪ オイラのその後の半生 知ってるよナ?
・・・ハマの街で不良にさえなってなきゃ・・・ロメロにシメられてなきゃ・・・ンで、ナポレオン党なんて連中がスグそばに無ければ・・・
どうなんだろか??・・・東京本社の一流の商社で…社長だ会長はムリでも、重役会議に座ってる人間って、そういう順風な道を辿れてたかもナって つくづく思うヨ うん。。。
正直、当時の ナポレオン党にかかわった人間は、それがゆえに人生はラッキーだったよ♪って人間はほぼほぼで皆無だと思うゼ マジでナ。
『60年代末 文化の牽引者』とかなんとか、オダてられてたけどヨ、実態は当時でも《四輪カミナリ族》《ハマの愚連隊》って風に、堅気のヒトらにはそぉ思われてたしナ うん。
・・・その、探し出したい 元ナポレオン党の人間ってのも、
現在 行方が不明だってなら、人前に出てきたくないって、それなりの事情抱えてると思うのが妥当じゃんか? 放置してやるのが ハマっ子の人情だと思うのだが どうかな??
かかわり過ぎるとヤバいゼ リク…
オレ個人としては・・・ヤメておけよって、そう提言したいネ ああ。。。《ゲンがワルい存在》・・・それなんだ あの集団ってのはヨ・・・。
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わたくし…リクめは 夜逃げのキンさんと かなりの部分で 似通っています はい。
ヤバいのはこのカラダだけでわにゃい(^^;
リクめも、「典型的優等生」とかではアリませんで、父親が遊び人のロクデナシゆえ、頼りにならんので テメエの人生の道は自己で切り開くしかなかろうってことで、とりあえず勉強は頑張ったってダケで。
わたいことを かなりにヤバい少年だったよアイツは・・・って、そぉ記憶している 故郷の人間はけっして少なくないとも思えます はい。
似ている点は、弱い者いじめとかは お互いゼッタイにしませんで、カツアゲなんかも、するどころか反対に、カツアゲしてやがるヤツは、陰でシメ上げては恐怖に追い込んでやってました。
だけども、オトナらが述べる「正しき少年像」ってナのには、てんで頷けるモンは無くて、『オラぁ ヤリたいように自由にヤルぜ』って風に捕えきれない気ままさ それで生きてて。
思えばボクも、アンチェインな「不良」だったしネ
キンさんのケースと異なるのは…ぶっちゃけ リクめが育った丹後の宮津、それは…『あまりにド田舎過ぎてて』(笑)わたいからすれば、段違いの都会である横浜、そこで育ったキンさんのような不良には【 成り得なかった 】要は環境の問題。
コアラ親方の弁『横浜ってのは、自由でフランクな面もあるけど、妙に…前時代めいた、因習的な田舎臭い部分も同じく在る』それは よその土地から このハマへと来た者ゆえに ボクちんもそう感じたりします ええ。
たしかに《誰だかと知り合い ダチだ》ってダケで、仲良くなれない筈の者同士が途端にツルんでしまえるって、ンな土着的な側面は否めません。
キンさんが語ったように、1960年代末期のハマにおけます不良の「コミュニティー」それも、同じ 仲間内の1つのラインで固めるって、それからでしか始まらないっていう、チョっと アナクロじみてますよネ?
マジで本当の《不良少年》ってのは・・・「ツルまない」「群れない」「けっして不良ぶらない」わたいはそのよに信じてる次第で。
巨額の財産を 一代で使い果たした日本最大の「不良」
しかし・・さあて、この先の調査はどうしようか??
キンさんのアテンションのように、かつての ナポレオン党の団員を こまめに回って調査するのでは・・・
それの手法では、ぶっちゃけ 今や老人層となった かつての不良の、かなりに盛られた武勇伝や神話を聞かされるダケで・・・
時間ばかりがかかって、探し出したい人物には 辿り着けないだろうって気もする。。。
ケータイに 八百政からの打電、
『ああリクさん?お疲れ様ですコッチも調査進めてます。1つ新規の情報が入った。あのネ…当時のナポレオン党のメンバーを手繰るよりも、《クレオパチラ党》そっちを当たる方が調査は効率よいかもってサ』
・・・ クレオパトラ党?? なんだそれは。。。
『暴走族でいうなら《レディースの元祖》だヨ。本格的な走り屋とかではなくて、いわばアイドル的存在な。結構にメンツがスゴい、キャッシー中島に、故・山口小夜子 役者のアサノタダノブの母親、浅野順子とかってのが中心メンバー 情報の確かさって面では、オトコ衆を当たるよりも、そっちが具体的かもって』
・・・ふうん、…待てヨ…そのラインが より有効そうだってなら・・・もしかして…《あのヒト》具体的な情報を持っているかも知れへんわナ。。。
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中区は 弁天通りの3丁目に その店は有りました。横浜開港資料館から歩いても 程ないビルで。
『ふぅ~ん…そぉなの、まあ座んなさいよ なんか飲む?』カウンター内のママらしき女性が そう聞いた。
・・・ふむ、アガベ(龍下蘭)抽出の 良さげなテキーラあるナ、リカーの揃えはなかなかだ。
「じゃあ 《マルガリータ》を、ホワイトキュラソーとライムジュースは少なめ、出来るだけドライにしてください、炭酸割り、グラスふちのソルトは要りません」
女性は ほほぉって表情でコッチをチラリと観て、
『…不良だネ アンタ・・・いっぱしのカクテルの頼み方知ってる。それに…《目を見りゃ》アンタが不良ぶらない、かなりのレベルの不良って判る。ヒョっとして先祖は忍者?』って笑った。
わたいが初めて訪れましたココは 『 Sally,s Bar 』
入店して来た わたいに声をかけた女性が この店のママ。60年代後半のハマでものヒトの名を知らないものはモグリ、
ナポレオン党とも親しく、クレオパトラ党の中心メンバーだった 通称「サリー」そのヒトで。
キンさん曰く『 サリーを初めて見たのは たしか、《中川三郎ディスコテック》だったなぁ・・・背がスラリと高く長い髪 もちろんミニスカートでイイ女いろいろな女が出入りしていたが 一番目立った存在だったよなぁ。。。』
サリーさんは、
・・・ふうん、ハマの昔話を聞きに来たってのではないのネ アンタは。ヒト探し? 興信所のヒト?違うようネ どうでもイイのだけど。
マサ坊?・・・うう~ん…ワルいけど 記憶にない名前よネ それ。もしかしてスグ近くに居たかも知れない。でも、ピンとくるって そういうのが無い。
あの当時なんだけどネ、わたしらは皆 殆どが、互いに本名も名乗らない、あだ名や通称 通り名ばっかでサ、ドコに住んでるかって素性もわかんない、学生なのか勤め人なのかさえも知らないままで、
ワタシなんかは そこそこハマでは顔も売れてたから、知り合いとかは多かったけどネ、マサ坊っていわれても…どのヒトがそれだったかってのは 正直わからないわねぇ。。。
当時の・・・ナポレオン党っていっても、正直なところ、あれはガッチガチの鉄の集団でもなくてネ ジツは・・・
公称メンバー数 200名ってのもかなりで盛ってる、1回のみの お客さん参加って連中も多かったし、リーダー小金丸の《オレらが総出でクルマ飛ばしたなら、ハマの道路 交通はマヒするゼ》ってのも、アレもTVディレクターに言わされたセリフでしかないから。
だからネ、正式なメンバーとかは、中心メンバーですら把握してなかったって思うのネ、出入りは そのたんびで不定期的だったから。
伝説のハマの暴走族…実態は気のイイ、バイク愛好家集団
リク「判ります。ジツは わたいもですネ、大型のバイクを《ケンタウルス》ってハマのバイク屋で買ったら・・・なんか知らないうちに…《横浜ケンタウルス団員》って自動的にされちゃって(笑)(笑)実家にオマワリが調べに来るって、サンザンな目にモ遭いましたから(笑)」
あるよネ そういうの(笑)だから、正直 あの時代のナポレオン党っていっても、かなり曖昧なのよネ。
サリー『身近に2人も芸能人出ちゃったからネ』
クレオパトラ党にしてもサ、輪の中心に居た 小夜子さんがパリコレモデルになっちゃうわ、キャッシーはレナウンガールで売り出されるって、
当時の芸能界の流れに乗っちゃったものだから、注目が集まったってだけで、《伝説》ほどには ぶっ飛んでもなかったのヨ わたしらは。集まればフツーの女の子同士の会話してたし。
・・・でもさぁ おにいさん?…アンタなんかの世代には てんで理解できないとは思うけどネ、
60年代の後期から 70年代のはじめまで、ハマの街中で、真夜中近くまで《遊ぶ》って…それなりに 今の時代と違って、覚悟と度胸が必要だったんだよネ。
アイドルPOP的に、お神輿に乗ってた わたしらですら、何度も・・・キケンな目に遭ってるんだもの。
夜の11時になって、ラジオ関東(現 ラジオ日本)から、《ポートジョッキー》ケン田島のナレーションと、ビリー・ボーン楽団の《波路はるかに》のメロディーが流れだすと、途端に、それまでの観光ヨコハマから、
まるでナイフのエッジみたいに尖って あぶない、ダークサイドのハマの顔が出現してサ。当時、高島町のニッサンの宣伝マン騙くらかしてチャッカリ貰っちゃった(笑)サニーの1000ccを無理やりオープンCARにしちゃったレッドのクルマ。
それブイブイとチャンガイ(中華街)の付近飛ばしてたら…山下公園前の道路でいきなり、両脇からゴツい黒の外車2台に幅寄せされて動けなくなって・・・
ううん…ナポレオン党の連中でも 本牧党でもない・・・モノホンの《チャイニーズのギャング集団》。。。香港経由の密貿易に絡んでたって、要は当時で モノホンの、日本のヤクザ屋さんよりもシャレになんない連中。。。
アタシらとかが、ツッパった口調で、警察怖がってなかったってのも、ジツはそれで・・・アタシら不良連中からすれば、オマワリなんてのは、あくまで公務員、たまに おっかない人は居ても、-要は《やさしいオジさんたち》な訳ヨ。
そんトキはマジで《あ…死んじゃう日が来たかな》って思った。走馬燈が走った(笑) さいわい…当時チョっとだけ付き合ってたカレシってのが、チャンガイのコックしててサ、
走って来てくれて、ギャング連中にハナシつけてくれて、それで無事解放されたのだけどネ♪
ね? こんなおばさんでも、それなりの過去があんのヨ♪ でもネ・・・本当に云いたいのはサ・・・
遥か昔の若い当時の武勇伝を言いたいのじゃあない・・・《60年代末期のヨコハマ》《ナポレオン党》《GS ゴールデンカップス》って、
要はそれとかって、当時のTBSと、平凡社が演出した【 おおきな舞台装置 】その部分がデカいんだよネ ええ。
ナポの連中だって、大半は 昼間なら勤勉な労働者が多かったし、わたしらクレオパトラ党にしても、伊勢佐木町の生地屋の娘や デザイン専門学校の生徒とかって、
そういった【 素人集団 】が、TBSのカメラの前とかでは、《精一杯 ツッパった態度や口調を要求されてた》考えれば案外とショボいよね真相。。。
今現在でもTVで時たま《やらせ》だの《過剰な演出》だのって騒がれるけどサ、こぉいった手法は半生記 近く前からズっと踏襲されてきたって呼べるよね。
過剰な「演出」に 現実が引っ張られてたとでも云うか…
ヒョンなことから あたしら町場の不良、不良少女に、思わぬスポットが当たって、皆が一様に《舞い上がってた》それは否定できないよネ うん。
おにいさん、アンタがマジで その人探しをしたいと思うならネ・・・当時、放送局と出版が《創りあげた》…そのラインを辿ってちゃあ いつまで経っても、探し出せないと思うわヨ うん。
実質・・・ハマのわたしら界隈に、スポットが当たってた時期なんて 半年もなかったんじゃないかなぁ??・・・オトナらに踊らされて 浮かれてたわたしら若い者は 意外にわかってないと思う。
それよか・・・もっと、当時の出来事を《冷静に 醒めて観ていた人を当たるとイイって思うわヨ》・・・たぶん…【 あのひと 】ならば なんか知ってる可能性が。。。
ママのサリーさんに謝辞を述べて 店を出て行くリクめに、店のパパさん、かつてのナポレオン党の重鎮 通称『クン坊』さんが・・・
『あのヨ、憶えておけな。《サリー》の名は、《のっぽのサリー》って、ンなダサい由来からじゃねぇゼ。66年ヒット 【ウィルソン・ピケットの マスタング・サリーのサリー】で、つまり「じゃじゃ馬」を意味するニックネームなんだ♪』そう言って ニカっと笑った。
・・・このヒトたちは… 未だ 半生記も前の《夢に》酔ってる。。。
かれらの 体内時計が遅れているとは思わない、他人から誹りを受けないぐらいの 社会性や現状認識は充分にあるでしょう ええ。
だけど・・・《事実》として、大事な試験の前日に、チョっとダケ昼寝するツモリが、うっかりと、翌日の朝まで寝過ごすって痛いシッパイ、
なんだか それとも似ている気がする・・・甘美な夢に微睡んでいると、時間ってヤツは トンデモなく速く過ぎるモノなんだ ああ。
結果として、ナニも生み出せず、人生そのものが《幻》のようだった 我が父親・・・
その息子であったボクがゆえに・・・より その気持ちが濃く浮き出てくるのを感じるんだ うん。。。
さあて…ドコに隠れていやがるんだろうか 《マサ坊》・・・・・
ワシと八百政は「猟犬」…追い詰めるゼ マサ坊・・・(後篇へ続きます)