リクです
今まで この「ひねくれ怪談」いろエロと書いてきましたが、
正直 挙げますタネが払底したかな? って感じで、
終了ではありませんが、いちお~オーラスのハナシといたすのですが。
それが・・・・・『最近わかった! ジツはウチとこ実家こそが 最凶《心霊スポットやった》』って、@@;
シャレにならへん…ってよか、正直『笑うしかない』って(^^;ジツにもって この世に皮肉を実感するるでおまして はい。
よ~するに…『知らなきゃチビッとも怖くは無い』ってことッス
京都の丹後半島から コチラ横浜市に一家で引っ越しとなった 我が家でございますルが、
京急の戸部駅から歩いて10分くらいでしょうか。西区役所の近くの、何の変哲もない坂道の途中あたり、
坂の下は 親しみやすい昭和の香りの商店街が広がり
そこの丘陵のテッペンの方には 我がマブダチ エロし会長の家があったりするのですが。
この付近の 旧名称が「暗闇坂」です はい。ランドマークタワーが見えてます。
超高級ってほどのランクではござりませヌが、本来ならば、京都丹後の片田舎のビンボな人間が 移り住むには 正直、敷居が高いのでわにゃいか?? ってエリアで。
明るい陽光の満ちる坂道をテクテク歩くのには絶好。一軒家住宅のヒトらは その殆どが 庭とかでイヌ飼ってますネ、イヌ連れての散歩にはうってつけの ヨコハマにおけます1つの エアポケットのような、
ダウンタウンの喧騒とは 不思議に隔絶された雰囲気のある界隈でございまして。
かなり長い坂が続いております はい
一家して『神奈川に出るべぇ』って決まったはイイが・・肝心の「住む処」どないすんねん??
ったなら・・『中古物件だけど まさに!格安の庭付き一戸建て物件アルよ~~』って情報が網に引っ掛かりまして。。。
詳細お値段は マル秘でありますが(^^; うんっ!コレは確かに 破格の安さやんか♪コレ見逃す手はないデ!ってんで、
話はドンドンと進みましたが、唯一・・・ キズってゆ~のか、聞くには…『ジツは・・そこ 《いわくつき物件》なんだ』ですと。。。
前に そこ住んでらした方々、故人もおられますからネ、名誉のため やっぱ詳細は控えるのでありますが、要は・・・『ロクデモない事がいくつも起こった』そうなんですと。。。
ウチとこでも『どないしまひょか??』って、家族会議するも、でもやっぱ!『安いのにには引き換えられへん!』って(笑)持ち前である ガメツさと、現金さぶり発揮して(^^; 正規購入の段となりましてン。
考えれば げに不気味な「旧地名」で。。。
なんですか、ウチの実家 近隣のお宅なんかでも、「また あそこの事故物件に買い手がついたってサ」「ま~た 半年持たずに逃げ出すんじゃないの??」って、ウワサだったのとか。。。
ほんで、いよいよ 引っ越し荷物の搬入だあ!って、段階に相成りましたならば・・・
ぶっちゃけ、他の面でタイヘンでして はい。。。
オバちゃんたち、ナニをはじめますんヤ??
『この家と土地のすべての因縁を祓いましょう』ってんで・・・大元の先祖ってなら 熊野の巫女の家系で、「自称 霊能者」の叔母から その従妹から 会ったことも無い遠縁のヒトって、7名以上も・・・
問題とされます 今度移り住む 家へと次々と参集いたしましては、朝も早よから 夜半まで・・・
白装束の不気味なオバサンたちが 護摩の火焚いては、『 臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前 きえぇぇ~~っっ!! 』とかって(笑)
日がな オダあげてンでっから、ご近所は さぞかしや「大迷惑」であっただろ~ことは疑いようもないス いひいひ♪
こりゃこりゃ・・コレから住もうって家 燃やさんといてネ(--;
で 『もうこれで大丈夫』ってなるまで ジツに3日間を要したようです はい。
こういう「現象」を ドコまで信じるか?? って、怪談の原則とは それが1つの《肝》なのですが ええ。
リクめ自体は、正直 あんまし「土地的な因縁」とかって、アタマっから信じてはおらんかったのですがネ、
それでも、「たしかに・・・」その《みそぎの儀式》が終わった後に 家屋に入りますと、どことなく・・・家屋内にどことなく淀んでいた 空気みたいなものが、浄化された「ような気がした」それは事実で。
しかしでス・・・ナニもウチ一家が引っ越す その家ダケになんらかの問題等がアルって訳では無いようで・・・
要するに 問題の骨子として・・・【 そこの一帯自体にこそ問題の核が存在する 】それであると。。。
暗闇坂一帯が明治32(1899)年まで【 監獄及び刑場だった 】って事は前に ココの記事でも書いた通りです ええ。
「真夜中に 生首が飛ぶ」「持ち手もない提灯が夜道を歩く」「21世紀の今でもキツネ・タヌキに化かされる」とかとか・・・
近隣で 囁かれる噂話には事欠かないのも事実で、少し上の場所になると、エロし会長が二十歳の頃、約まる一日の間 異次元世界に迷い込み、なんでか??自衛隊の特殊部隊が内々で出動したって、そのエリアも在りまして。
でも実際問題として 隣接する西中学校からは生徒達の若々しい騒ぎ声が閑静な住宅街に響いておりまして、公園なんかも開けています「心霊スポッ」ト的な雰囲気は微塵もありません。
それらしき不気味な雰囲気はマルで「無し」。。。
とても小さな 管理もされてない感じの 祠もアルのですがネ、由来が書かれた看板一つ立っていないこの祠は、やはり刑死者の霊を祀るものなのか。
でも だとしたら、これは御霊信仰による祟り封じではないのか?等と勝手に思ったりするのですが、記録が全くないのでその辺のところは良く判りません。祠には真新しい花が供えられていて、周りも綺麗に掃除されており、今だ大事にお参りされている事を伺わせます。
刑場の跡を感じさせるのはこの祠だけ。戸部刑場には「南無妙法蓮華経」と彫られた慰霊碑が建っていたそうですが、今はその姿はありません。
ほんでですネ、ココいら一帯の《元は処刑場だった》ってのは、なんらかの事由で、『あえて 事実と歪曲して伝えられている』って、それの気配がアリアリでして はい。。。
西中学校の敷地内こそが刑場の跡地だと 大概の資料にもそう書いてあるのですが、その後の調査の結果、それはどうやら間違っていたみたいなんですネ うむうむ。
『ものがたり西区の今昔』(西区の今昔編集委員会編・西区観光協会1973年)にはこんな証言が出ていました。
「西中に刑場があったというのば誤りです。坂の右側には牢や刑場はありません。 きれいな山でした。あの山は私たちの山でした。刑場は一番高い三角地の所にありました。当時もここだけはのぞくことができませんでした…」(海老塚氏夫妻談) と。。。
「あきらかに」…隠してたいって、「動き」がアル。。。
気になりだすと ミョ~に凝っちゃう わたいですもんで(^^;区や市 県の図書館とかにも通っては 時間かけて明治維新の頃の古文書や古地図とか漁って 調べて・・・
色々調べて界隈を探索したソノ結果、刑場が何処にあったのかは ある程度・・・特定できましたが、書くのは止めておきます。
そんな事を今更ハッキリさせても、得をする人は一人もいませんし、けっして少なくない 界隈の住民らを闇雲に恐怖させるのは わたいとしても不本意ですので はい。
で・・・要は『云いたいのはココまで』なんですが・・・コレで終わってもつまらないので、(^^;暗闇坂に因縁のあるもうひとつの場所に足を向けます。
暗闇坂からすぐ近くの法亀山願成寺です。真言宗のお寺です。開山は天文7(1538)年だそうですが、由来は
もっともっと古い。天平年間(729~749年)、この地を通った行基(また出ました)が喉の渇きに水を探していると、渓谷から亀が這い出て来たのでそこを掘ってみたら清水が沸き出たと。そこで、行基はこの地を法亀山と名づけて草庵を結んだのが始まりだそうです(願成寺の案内板より)。
願成寺には、戸部刑場で処刑された3人の咎人の墓があります。静謐な境内に、お寺の幼稚園から、明るいちびっ子のはしゃぎ声が響いておるって いたって「ごくごく平和な」処でス はい。
(↓)延命の井戸。ここが、行基が掘ったら泉が沸いたところだそうです。
一口飲めば、たぶん2~3年は寿命が延びたでしょうが、そう長生きをしたいとも思ってないリクちゃまは 未だ呑んだ事がアリませんで いひいひ♪
墓所に入って案内板の通りに行くと、ございました。戸部刑場で処刑された、左から『鳶の小亀』、『間宮一』、『清水清治』の墓です。
このヒトらが、ナンで?? 戸部刑場の露に消えたかと言うと、こう言う事件(↓)を起こしたからです。「鎌倉事件」と言われる、政治犯行動の攘夷事件です。
鎌倉事件(かまくらじけん)とは、幕末、元治元年10月22日(1864年11月21日)に相模国鎌倉郡大町村(現在の神奈川県鎌倉市御成町)でイギリス人士官2名が日本の武士に斬殺された事件である。
当時横行していた外国人殺傷事件の中で犯人が逮捕、処罰された初の事例とされる(ウィキより)
・・・その日、長谷の大仏を見物した帰りの英国士官ボールドウインとバードが若宮大路のあたりで2人の浪人風に切り殺されました。幕府は英国公使オールコックの圧力によって迅速な対応をとらざるを得ず、事件の1週間後に共犯者と思しき2名を捕縛しすぐに処刑。主犯格とされた清水も逮捕し、市中引き回しの上、戸部刑場で英国側の立会いのもとに斬首しました。清水の生首は3日間にわたって吉田橋に晒されたそうです。
…ところが翌年、『すんませぇ~ん・・ジツは あれヤったの あっしでして てへへ♪』って(笑)間宮が真犯人として名乗り出てきたからさあ大変!!
なんせが全ての方向で まさに「末期的状況」となってた当時の幕府ざんショ?
『今更そんな事言われても…』と頭を抱えながら、それでも自首してきた男を追い返す訳にも行かずにやむを得ず逮捕しました。間宮は共に英国人を討った男の名前も出しますが、処刑してしまった清水らの冤罪を認める事も出来ない幕府は・・・
ホント、ムチャしたらあきまへんがナ・・・(--; 間宮も極秘裏に処刑して 1年以上も処刑についての「官報」を隠匿するって真似をばブチかましてしまいました。マッタクもって酷い話ですわナ?。。。
で、小亀が市中を処刑を前に市中を引き回された日には、横浜中の芸者や鳶職が総出で繰り出し、木遺音頭を唄い、冥土への花道を飾ったといわれております。外国人の横暴に腹を据えかねながらも手を挙げる事の出来ない横浜の庶民の目には、小亀の行為が英雄的に映ったのでしょう。
やい幕府!!ハマっ子ナメんなヨっ!!
さすがの幕府の執行方も、押し寄せたハマの市民ら 千人に及ぶって、そのエモーシャナル行動を制限も取り締まりも不可能で・・呆然と見守るしかなかったと、当時のヨ横浜知識層の学者の日記にこの記述が残されています はい。
世に云う『ハマっ子気質』とは、ご維新の当時から既に確立していたって事ですが、そんな小亀は兎も角、清水と間宮は今風に言うと只のテロリストじゃん… って気もしないでわにゃい うむうむ。。。
なんか 当時 横浜に来航した イギリスの高官ってのは、ぶっちゃけ『ヤなヤツ』が多かったのであろうと・・・
そんなこんなの過去を見下ろす様に、お寺の杉がそそり立ち…。そしてそれをさらに見下ろすかの如く、ランドマークタワーがその向こうにそそり立っておりました
と、ここで終わりかと思いきや、そうではないのが わたくしめののしつこいところ(笑)
?
願成寺を後にした わたいは、そのままブラブラ散歩をきめこんで横浜駅に向かいました。
平沼の廃駅でも見ていこうかな…と思ってたら、ヒョンな所でひょんなモノに出会ってしまいました。 ジャジャーン!!
な、ナンとっ!と、戸部刑場に建っていた慰霊碑に出会ってしまったのです。
マジでビックラしたよなぁ。。。
たまたま通りがかった久成寺と言うお寺さんの敷地内に、戸部刑場の慰霊碑が移設されていたのですなぁ うむうむ。。
大抵のモノには驚かない自信がありますわたいでっけど、いやあ、マジで コレには心底ビックリしました ええ。。。
やっぱ 呼ばれて導かれたとしか。。。
戸部刑場慰霊碑の移設なんて、官報はおろか、民間の研究者すら おそらくはご存じなかろう…って思います。
ぶっちゃけ それって あきらかに、目立たない場所に「追いやって」・・・オシャレなハマの街の一角に、かつて 首チョンパ!の処刑場が存在してたって事実すら、『無かったことししよ~~』ってナ 役人らの意図が感じられますでショ??
こんなブログやってると、たまに不思議な思いをするものですが、今回も偶然とはいえ…。いやいや、もしかして、
ある意味での【 因縁 】・・・わたいは この石塔に呼ばれてしまったのでしょうか???
で・・・未だに ウチとこの お母ンは、『アンタは知らんでエエことヤ』って、詳しくは教えてくれないままなのですが・・・
維新の当時まで 現存稼働した 戸部の処刑場・・・想像できます 最大のマイナスパワーポイント・・「断首の御白州」
『そうであるとしか思えない』幾つもの根拠が有り・・・
ぶっちゃけ 「それ」が存在してたのが どうやら・・「我が家が住む敷地」のようで。。。@@;
でも『そういうの』気にし過ぎたってキリがないス ええ。
東京大空襲なんて、たった数時間で「30万人」って市民が命落としてます。それを「因縁」と考えたなら、ぶっちゃけ 怖くてダレも その後には住めない。。。
『やっぱ クルったヤツは クルった家に住んでるル』って 思うかも知れませんが(^^;「とりあえず いたって元気に」生きてきまスた はい。
だけんど それでも思うのはだ・・・かつて 引っ越しの直前に、新居にて 霊能者軍団(笑)が ジツに3日も費やし、ドンガラドンガラ!
供養とゆ~か、祈祷を続けたって事実、おそらくは(想像ですが)1つ1つの「御霊」を呼び出し、丁寧に慰霊しては 成仏させていたのではないか?? って。。。
でネ・・(もチっと おつきあいしてくらはい いひいひ♪)(^^;
実家ですが、「謎のベビーシッター事件」って、未だ 解明できない 不可思議なモノがアリましてン。。。
引っ越しが完了してスグ、嫁いでた姉が 産んだ長男坊連れて 出戻ってきましてネ。
乳飲み子って段階からは既に終わってましたのですが、リクちゃまやお母ンはおろか、祖母も 姉貴もって、オトナの人間全員は、日中出かけているのが基本で、
ごく幼・児だった 当時の「タコ助」は 家の中にポツンと独りだったんですナ。
案外と 手がかからないコだって助かっていたのですが、ぶっちゃけ・・・当時は家の人間はダレも「わからなかった」。。。
ある程度 タコ助が長じてから、リクめが『あの当時 家にオメエ独りで居て 寂しゅ~なかったか?』って、何気なく問いますならば・・・
おいタコ助 その「恰好」って。。。
『薄いオレンジ色の浴衣に半纏着たおばさんに いつもあやされてたから大丈夫だった』と。。。えっっ!?ぶっちゃけ 【 ダレだそのヒトっ!? 】@@;
なんかの記憶と混同してルのではないか??って さらに訊くなら、タコ助いわく『アメも貰った。アメの包み紙まだ持ってるよ』と。。。
それ「見せてんか」と云いますと、タコが持ってきた「それ」ってのが・・・
それ観たわたくし 思わず・・「これ・・・江戸和紙やんか・・・っっ!!」
コレなのですが はい。。。
なんでも 千歳アメのような棒状のアメで、味については憶えていないと タコ助。クチ寂しくなって 当時のタコ助が泣いてますと、いつもではないけど、タマに その「おばさん」が・・・
その飴を与えてくださったと。。。保育園にあがる頃には そのおばさんは見かけなくなった と。。。
【 我が家では そんなベビーシッター 頼んでない 】。。。
それにナンたって、「着ていた服装」も気になる・・・。薄いオレンジ色に半纏って・・・ぶっちゃけ 「囚人衣」じゃないか??
わたくし 全面的な意味で 親せきらの 霊能者軍団を信じてはおらんのですが(^^;
でも、伯母にあたる幾人かは、含蓄深いってか、ぶっちゃけ かなりの「食わせ者」も居てますから はい。
「霊の世界」ってのが 仮に「有る」と仮定して・・・そのこの世の住人ではなくなった「御霊」にも、それぞれの『個性』ってのがアルんでわにゃかろうか?? って。
たとえ「霊」でも、個性有ってしかりでは??
中には 変わり者ってか・・「まだ成仏なんてしなくていい。祟りもしないから、も~少し 現世でフラフラさせてくださいな」って、そんな「御霊」も有ってしかりなのでは??って気がしてなりません はい。
伯母らは それ「判った上で」、放置しててもコレって害をなさない、「性格のよろしい霊」(笑)それ アッチの世界へ強制送還するの免除してヤったのでは?? なんか そういう気がして♪
ゆえに・・・この 長きに渡りました「ヒネクレ怪談」ぶっちゃけ それの「骨子」ってのはだ・・・
オバケだユーレイだって、やったら怖がるくせに、かとイって 真剣に、亡くなった魂の声を聴こうともしないのが「現代人」。。。
闇雲に 怖がってばかりじゃダメなのだお。。。
あのサ 思うんだワ ワシはネ・・。みんな「元は 同じ《人間》やろ??」キチンと腰据えて、話し合い 説得するなら、判らんヤツばかりとはチャウって。
この 未だ解明できません「霊現象」って領域ですが、いつか・・・キチンと「科学の視点」にて 解き明かされる日が来る! そう思うし 願ってます ええ。
「エエこと」云うてますやろわたい いひいひ♪
ンだから、判らんモンはみな、「オカルトのブラックBOX」に投げ込んでちゃダメなんだ!後の「解明」それの為に、可能な限り データとかを冷静につけておく。
みなちゃまにも申し上げたい・・・『ドコにお住まいになろうとも、対処の方法アルから 心配ナイですよ♪』ってネ♪
はて??コレはナンのオブジェやろか??