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リクちゃまの 巫女タイム…【 コアラ親方 聞き取り 】


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俺は小学校2年のころ、親の仕事の都合でこのハマに転校した時イジメられましたんだよね ああ。

クラス一のチビだったし なにより・・・子供時代には理解してなかったけど、実は…クラスでもオレの家だけが《(固定)電話 敷いてなかった》。
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どうして?って、よく尋ねられたが、要は・・・うちの家 前の土地から 早いハナシ《夜逃げ》同然にハマに出てきたって意味だったんだ ああ。

債権者からの電話での督促を避けたいんで 家に電話線敷かなかったってね。


今と違ってさあ、個人情報の守秘義務なんかマルで無いに等しい時代じゃん? 担任の先生がおしゃべりクソ野郎で、ペラペラあちこちで 話しちゃったようで、

オレの陰のニックネームは『夜逃げ一家の子』ってな。それなりにオレの家は横浜に来てから 再生の道はじめてたんだけど、『オマエが背が小さいのは 貧乏でメシ食えないからだろう』って、サンザンからかわれたもんだ。
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唯一俺を救ってくれた友達が一人いたんだけど、『コジキの子』ってひでえあだ名で…そいつは別のクラスな上に 家庭環境に問題がある上に乱暴なヤツで(でもイジメはしないヤツだった)

思い起こせばクラスや近所の鼻つまみものだった。ハジかれ者同士で連帯してたとでもいうか。

ヨコハマって いかにも都会的なイメージあるが、意外にも封鎖的な土地柄の町内単位が今でもあったりする。

オレが通う学校の学区はそれでさ。でも俺も俺の親も『コジキの家』とは ナンも気にせず付き合ってたよ。

その町に引越ししてきた時に親切にしてくれたのが その一家だったんでね。


ところでイジメに関しては肉体的な暴力で(プロレス技の実験台とかの類) 腕力があるヤツが止めに入るととりあえずは止まるんだよね。
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でも「お前アイツにチクったろ?」と言われまたすぐ再開。 正直 あの頃のイジメと、今の子のイジメ ドッチが悲惨なのか?よく判らんのだが。

当事者にすると地獄の毎日だったよ ああ。ジャイアント馬場、アントニオ猪木全盛だったからね、
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ガキだしなんせ、加減するとか出来てなくて 結構 ボコボコにやられて、何度かは 骨にヒビ入ってた可能性も。。。


で・・・今では記憶がおぼろなんだけど、そのころ同じ年頃の女の子と友達になったんだよね。多分同じ学校の子じゃなかったと思う。
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おさげ髪に なんか今から どこかへお呼ばれする時みたいに、キレイなワンピースに真っ白なタイツ履いていた。今思うと 不思議にも『いつも同じ格好で』


不思議とその当時は違和感が無かった。 いつもニコニコしながらオレの話を聞いてくれたっけ。

唯一の友達 コジキの子に聞いても「誰だいそれ?」って言うだけだし、そもそも友達と 遊んでいる時には不思議とその女の子はハチ合わせしない。

  でも当時は不思議とも思わなかった。


その子と知り合ってから、唯一の友達だったコジキノ子がいない日は毎日の様に 学校帰りの公園で遊んだよね。
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楽しかったんだけど、学校帰りに会うものだから「今日イジメっ子にこんなことをされた」なんて愚痴ることも多かった訳よ。


最初の内は心配そうに「大丈夫?痛かった?」なんて聞いてくれたその子が

 ある日・・・「男でしょ?いつまでもメソメソしてるの?」と言ったのね。

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          アンタ男でしょ!?

なんか…その子に愛想をつかされた気がして、その日は帰宅して独りで泣きじゃくったの憶えてる。。。
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その翌日からしばらくその子は俺の前に現われませんでした。


その代わり・・・《不思議なおじさん》に出逢った うん。。。
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《おじさん》といってもね、ガキだったオレに そう観得てただけで、年齢は?ってならば、二十歳を僅かに過ぎたぐらい、青年だよね。

ただ、若い割には なんとなく落ち着いてがっしりした感じがあった。体格良くて、上半身の筋肉も盛り上がってて。


さっきまでイジメられてて 汚れた顔を 公園の水道で洗っているオレに その人は、『なんだ坊主 イジメられてんのかお前?』って、声をかけてきた。
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『ボク・・・チビだし 弱いから・・・』って答えると、おじさんは 上の方から 体をかがめるようにオレの顔を覗き込み、マジな表情で・・・


『そんなことは無い。お前は実は強いんだ 本当にナ。オレには判るんだ。お前はまだ、自分の強さに気付いていないだけだ ああ』ってナ。

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そしてその不思議なおじさんは、『両肩より ホンの少し広く両足を開いて立ってみろ。で 手の両方の脇も」グっと締めて・・・』と。


『ドアノブを回す感じで 片手を素早く前へと突き出せ。自分の腕を《バネ入り》だって思え。伸びきるチカラ」よりも、いっぱいまで伸びた腕を次の瞬間に《倍速で戻せ》やってみろ』

ナンのことかも判らず 言われるままにやってみたよ そしたら・・・オレの耳に…『ぶをぉんっっ!!』」って、今まで聞いた事も無い、

まるで空気そのものを 切り裂く「音」・・・それを聞いて思わずビックリした ああ。

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『なに?今の音 ボクが??』そしたなら おじさんは、生真面目な貌のまま、

『よく聞け?いいか この【技】はナ、けっして他人を殴るケンカとかで使ってはいけないモノだ いいな?』

そして『この技を出来るって事は 周囲の誰にも言いふらすな。この技で他人を傷つけることは禁止だ。だがな・・・今のお前自身 誰かに完全に否定され、蹂躙され、尊厳を踏みにじられた…その時には、この技は解禁して良い 許す。自分自身をオノレの手で守るのだ それでこそオトコよ ああ』と。
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      「周囲に悟られず研鑽に励め」と不思議なおじさんは…



それから5日ほど経った日にオレは学校で 今までの中で一番キツいイジメに遭いました。

休憩時間に小便中、何人かに体を押さえつけられプロレス技をかけられ、 そのまま個室に閉じ込められたのよ。上から汚れた雑巾を投げられたり ホースで水を撒かれたりしてね。
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チャイムが鳴っても怖くて個室から出られなかった。 イジメっ子たちは既に教室に帰っていたのにね。

オレがいないので担任の先生が「コアラ君はどこいった?」とクラスのヤツに 聞いたら「あいつならトイレじゃないの~?」って笑いながら言ったやつらの言葉をもとにトイレに駆けつけるまで、

オレはとっくに開いている個室の中で泣きじゃくり座り込むだけだった。


先生に抱きかかえる様に教室に戻り自分の席に着こうとすると、 近くの席のイジメっ子の一人と目があった。

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ヤツは半笑いで「長い●ンコだったな、●ン子ちゃ~ん♪」とオレの名前を 女の子の様に呼びやがった。。。


 ・・・その時、今まで溜まりに溜まったモノがはじけた様な気がしたんだ ああ。。。

同時にあの女の子の言葉『いつまでメソメソしてるの??』そして 不思議なおじさんの言葉『自分自身で己を護れ』その言葉が脳裏に浮かんだのネ うん。

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          そうさコアラさん…アナタも【狼の血】受け継ぐヒトなんだ


気が付いたら飛び掛って、素手でそいつの顔面を殴ってました。殴りつけるたびに、腕から発せられる音が ブンブン!聞こえてた ああ。

「謝るまで殴りつづけるからな」とか言いながら。 そいつはあっけにとられたのか反撃出来ず、やられるまま。
  
他のイジメっ子は最初そいつを助けようとしたけど、キレている俺と目が合うと、視線をそらしたので、俺は今度はそいつに飛び掛かって次の血祭りにしてやった。
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不思議なことに…担任の先生は殆ど止めに入らなかった。 多分…トイレの一件で俺がイジメられたことを理解したせいかな? 今思うと 先生なりの「武士の情け」だったのかも知れないネ。


担任は 結局俺が3人のイジメっ子を殴り、2人が病院送り(笑)3名とも泣きながら俺に謝ったタイミングで

「もう気が済んだろう?(イジメっ子に向って)お前らもしょうもないイジメなんか2度とすんなよ」と言って仲裁に入ってくれた。


それからはイジメがなくなったよ。 ってゆーか、イジメっ子たちは俺と目を合わせられなくなったし、クラスにドンドンと新しい友達もたから 奴らなんざどうでも良かったし。


後日談になる・・・その女の子とは、大ケンカからしばらくしてその子と一回だけ遊んだ記憶があるんです。

不思議だった・・・オレがイジメっ子を殴った武勇伝を話そうとする前に、
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その子は全てのことを知っていたの如く「この前はえらかったね。」と言い ニコっと可愛く笑った ああ。。。


「何で知ってるの?」って聞くと、その子は何も言わずに微笑み 「もうお別れだね。」って答えました。

その子はオレに『横に座って』といい オレは素直に その子の横に腰を掛けた。

つるべ落としの秋の夕日が すぐにも落ちそうな夕刻だった。

その子は…『膝…借りていい?』 《ええ?膝? オレの?》って思ったけど「いいよ」って答えた。


そうしたら、その子は オレの両ひざに まるで膝枕のようにうつ伏せになって 『ああああんっっ!!』って…声を上げ【 哭いた 】。。。
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泣きじゃくろながら その子…『ワタシもね・・・もっともっと友達いっぱい作って遊びたかったのよぉっっ!!』って。。。

『ゴメンね 急に』そういって 赤い目のまま その子は顔を上げニコリって笑った。なんかふっきれた風だった。

『もう アナタは弱虫なんかじゃないよ 安心しな♪』

ホンの一瞬 飛んできた赤とんぼに目を奪われたオレ、すぐに視線を戻したならば・・・その子は 夕闇に消えていました。。。

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            あたりは 夕闇が広がるばかり・・・

四方を見渡したけど どこにも居ませんでした その子は。。。


公園の隅っこに・・・あの 不思議なおじさんを見つけたオレ。 おじさーん!って走って近寄ろうとしたら・・・
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     昨日の報告をしようとするコアラ少年に『来ちゃいけない』と…

おじさんは何も言わず、ジェスチャーでもって《コッチには来るな》って、オレを制して。でも、おじさんの顔は おだやかに微笑みを浮かべ オレをジっと見てた。
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幼かったし よく判んなかったんだけどね、なんだか…『 ああ・・・これで おじさんとはお別れになるな 』って、そう考えてたよオレ。


そして本当にその日からその子とも おじさんとも会うことはありませんでした。

もっともその当時のオレは あの事件をキッカケに ドンドンと新しく出来た大勢の友達なんかと遊ぶことの楽しさを 覚え始めていた時だったのであまり気にも止めませんでした。


この話を思い出したのは、かなり後、もうハマの港で働きだしてた頃ね。在るトキ参列した親戚の法要の時、 母と二人きりで会話してた時。
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それまでうる憶えでしかなかったんだけどね、なんかオレには生きていれば4歳上の姉がいたという話。

姉は両親の初子だったんだけど、運悪く 珍しい疾患《亜急性硬化性全脳疾患》って、麻疹が昂じた症状が悪化して10日間寝付いた後 亡くなっちゃったと… そういえば、小さいころに供養に連れてかれたことがあったよなあ。


当時は子供の病死の意味さえよくわからなかったので、それまですっかり忘れていました。

『これが唯一に近い〇〇子の写真よ』って、おふくろが旧い モノクロの古びた写真を財布の中から提示した。
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・・・驚いた ってより…正直、『 やっぱりそうか・・・ 』って、無性に【 泣けてきた 】。。。

その 写真に写る ニットのワンピースと白のタイツの 女の子・・・姉…【 ねえちゃん!! 】だったんだ ああ。。。

なによりも、おさげ髪で カメラに向かって ニコって可愛く笑っている、それの 表情が あの子…「ねえちゃん」だった。


証拠も無いし 推測でしか無いけど、あの当時オレを慰めたり叱ってくれた女の子は 亡くなった姉だったような気がするのです。

わずかに記憶に残っている女の子の輪郭の一部からなんとなくだけどね。 イジメにあっている弟が立ち直るまで見守ってくれたのかな。


そしてオレは母に「そういえば・・・」って感じで あの期の 不思議なおじさんの事も告げたならば・・・

母は意外にも…否定もせず それを受け止め、ジっと最後まで聞いた後…『その人ね、たぶん…【ワタシの 死んだ兄さんなのだと思うわよ】』って。。。

母とは 十五歳も歳が離れた 兄がかつて居たそうで、戦争に徴兵された父親に代わり 大黒柱で 母の事もよくかわいがってくれてたと。

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母『勤労動員でネ、衛生環境の悪い工場で働くうち 今でいう肺結核になってね、玉音放送が流れて これでもう平和になった!って その翌日に息引き取ったの。十九歳…スポーツマンでネ…【ボクシング 拳闘部の主将だった】』


・・・ああ この世の者でなくなってるのに・・・どうして??アナタたちは こうもオレにやさしいんだっ!?

たぶん姉は、泣いたこのオレの両膝で、『もっともっと友達作って遊びたかった』と・・・まったくの本音だよね っっ!!

その寂しさよりも、今 生きて イジメに逢ってた【 弟を 】それを気遣い、その 幼い魂 オレの前に立ってくれたんだ。。。

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      アナタたちは、弱虫だったオレのために・・・ っっ!!


おじさんは 来るなってジェスチャーした。たぶん…可愛さの余り、オレをアッチの世界へ引きずろ込むかもって 自分が怖かったんだろうって思う。

早世したおじさんは、甥っ子のオレが陥っていた苦境を救うべく、秘められてた才能、それを気付かせ 導いてくれたのだと思う ああ。


 オレも泣いた・・おふくろの膝借りて 涙枯れんじゃないかってぐらい。何千本の線香より 良い供養をしたって思ったね うん。



 コアラ親方、You tubeにも出た フォークリフトの超絶技巧の名人。

ハマ港の 戯れ唄、…♪ 強い 強いとのぼせちゃいけない。港にいってごらんな イチに 火ダルマ ニにリョウでぇ、三となりゃコアラ必殺パンチ 四ってなりゃ いなせなハマのシンタロ。ズ~っと下がって 港のリクよ♪

横浜高校ボクシング部で 2年連続でインターハイ出場。それが・・まだあの 山●会長はおりませんでしたが(笑)
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ともに 決勝戦で…不可解な判定により【反則負け】をくらうという過去を持つ、高校生ながら コークスクリューブローをマスタ^していた【猛者】です。


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      珍しくも しっとりとした巫女タイムでした はい

荒くれ文学館 『あの童歌の歌詞を推理する』

リクですが
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本日は 荒くれ文学館 お馴染みの「青空文庫」から チト毛色の変わった、

【わらべうた 動揺】のジャンルをば チョイスしてみました はい。

青空文庫での中身は ぶっちゃけ 歌詞ダケで。。。論じようにも あまりに資料乏しいのも事実。

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わたくし、ナンでか? 昔から 気になっている童歌がありましてン それは『お月さまいくつ』という唄。

北原白秋の手により 日本の各地方に 幾らも存在していた歌詞が 整理されたようです。

 https://www.aozora.gr.jp/cards/000106/files/2423_24397.html


   お月さん幾つ
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 お月さん幾つ 十三 七つ

 まだ年ァ若いね あの子を産んで

 この子を産んで 誰に抱かしょ

 お万に抱かしょ お万どこへ行た

 油買いに茶買いに 油屋の前で

 滑って転んで 油一升こぼした


 ・・・っと…ココまでは有名。ですが「その後の部分」が あまり知られてないス。


 その油どうした 太郎どんの犬と

 次郎どんの犬と みな舐めてしまった

 その犬どうした 太鼓に張って 鼓に張って

 あっち向いちゃドンドコドン

 こっち向いちゃドンドコドン

 たたきつぶしてしまった

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って・・・(--; 案外 バイオレンスってか、今なら動物虐待って論議呼ぶかもって(笑)


まぁ~このよな 動物さん虐待歌詞は 童歌にはいくらも有る。有名な『山寺の和尚さん』でも、

 山寺の和尚さんがまりはけりたしまりはなし

 猫をかん袋に押し込んでポンとけりゃニャンとなく

 ニャンがニャンとなくヨ~イヨイ


…って・・・ヨ~イヨイ♪ぢゃネエよ!(笑)(^^;


『童歌 童謡の歌詞はジツは怖い意味』って研究は、今更わたいなんぞが述べるまでも無く、随分と以前から議論されておりますが、テメエとして『気になってル』ってのはですネ、

ぶっちゃけ この唄に秘められた 『十三 ななつ』っていう、それの内包される意味が気になりましてネ。


端的に考えますなら、十三の月 とは『十三夜』。十三夜は陰暦9月13日の月で、仲秋の名月に次いで美しい月のこと。
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       まだ 月見の時間にゃ早すぎますよネ

ほんで 七つ とは七つ刻、PM4時のことですネ多分。『でも4時ってなら まだ月は出てないじゃん』ぶっちゃけ そこがネック。。。


おまん とは… ヤラしくないぞお(笑)夕焼け空ということ。つまり、夕焼けに隠れて月がきれいに見えないということかも。

核心部に入りまス…転ぶ とは隠語で、素人娘が売春することで・・・

お茶 とは ズバリ!性交のこと。

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         現代でなら「援助交際」を指すのかも。。。

コレはあくまで イチ解釈に過ぎませんが、『月も女性も最高に美しくなる一歩手前というときに、間違いを起こしてはならない』といった教訓が隠されているとも読めますネ。

しかしだ・・・この歌 そして歌詞、いったい?いつ頃から 民間で謳い継がれてきたのでしょうか??

宮尾登美子著の「御宿かわせみ」の一節にも この歌を謳う場面が有り、宮尾センセほどのヒトが 時代考証を誤るとも思えません。
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      緒形拳さん 川崎敬三さんが出てたそうで(熱烈 再放送希望!)

また NHK金曜ドラマにもなりました 島田一男 作の「開化探偵帳」でも、この歌が 殺人事件を解明する重要なKEYになってたりと。


しっかし、そもそも、このわらべうたに隠語法があるということ、その解釈自体、後の世に生まれた人の勝手な思い込みかもって可能性だって往々にしてアルかもしれませんわナ うむうむ。。。物事を あまりに《疑惑ありき》で捉えますと かえって真実から離れたりもしますしネ。


「お月さん、いくつ、十三七つ、まだ歳ぁ若いね、」というわらべうたは日本全国にあり、十三一つ、十三九つ、などと歌う地方もあるようですが、十三七つが元のようです はい。

わたいが「突き詰めたい」ってのは、《十三七つ》ってゆ~歌詞の一説が含む意味。。。


ヒョっとして コレは、数勘定としての意味では無くて・・・もしかしたら、月の年齢…【月齢】ではないか??って。

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安政五年(1676年)の『小歌事文類聚』に「ある天文者申されき、天は昼夜に三百六十五度四分度の一をめぐり、日はこれに一度づつおくれ、月は十三度七分づつおくれる事をしる名目よりいでたる事とかや」とあるが、菊池寛は『話の屑籠』でこじつけらしいと言っとりますナ。

山田孝雄によれば、十三とは陰暦で一年に十三月ある歳のことで、それが十九年に七つ・・・過誤調整の為の「閏月(うるうづき)」がネックであることを覚えやすく歌にしたものと言ってまス。

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また 相馬大は『京のわらべ唄』で「十三夜の七つ刻」の意味だとしてて、七つ刻は夕方なので、十五夜が待ち遠しい子供たちが、十三夜のまだ夕方のうちから月に呼びかけたのだろうと言ってまス。


だけんど、浅野健二は十三という数がどの地方でも固定なので、十三夜(豆名月)の行事と関係があるだろうと言ってますしネ、
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         枝豆が旬の時期の名月だという意味

十三一つが「祖型ではないか?」という説もあり、その場合は 13+1=14 で、十五夜より一日若いので「まだ歳ぁ若いね」と続くのだと。

十三七つが 娘の年齢とする説 の拘りますと、13+7=20 で、


コレは 十九歳までに嫁にいかない、もしくは嫁には行かずとも、お見合いとかを1度もしていない 江戸時代以前の女性をつかまえ、
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一括りでランボーに、《行き遅れ》と総称した時代性・・・適齢期を過ぎた娘に対してクチのワルい近所の連中が「まだ歳ぁ若いね」と、逆説、あてつけて歌ったものではないか。??ともわたくし思うのですネ。


リクめ生まれ育ちました 丹後半島の東側の方に、隣県となりますが、案外近い場所 兵庫県の豊岡って場所には、

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「お月さんなんぼ、十三七つ、そらまた若いな、若うもござんせん、はたちでごんす」というバリエーションがあることからも (わたいも案外 物知りでっしゃロ? いひいひ♪)1つの証明になるのでは?って思います はい。


またベツの角度 分野では、意図的かどうか?は不明ですが『ベツに意味はない』という説もアリますネ。

元来 童歌とかは、洋楽の ラップとさしたる変わりはなく、歌詞の持つ「意味」ってモノより、「韻を踏む」そっちの方に より知恵を駆使するってことで。。。
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桜井満の『花の民俗学』によれば、十三七つの「七つ」は「一つ」「九つ」などのバリエーションがあることから、単に調子を整えるだけの言葉で意味はないかもしれない、という。


意味があると思えるのは「十三」で、十三夜を意味している。満月になる前の若い月なので、乙女に連想が発展するのではないか?そういえば「お月さんいくつ」は歌詞の内容が、連想ゲームのように問答が続く歌ですからネ。
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この説明をするのに八重山民謡の「月ぬ美しゃ」が引用された文書がアリますが、、十三日(とうみっか)と十七つ(とうななつ)がくっついたという説は わたい的には信憑性に欠けるって思います ええ。



「十三七つ」の歌詞は、「十三ひとつ」「十三九つ」とする例もある。この「十三ひとつ」が元のかたちなのではないか?

つまり、13+1で十四夜を意味する。十四夜は、異名を小望月(こもちづき=望月(満月)に準じる月)と言い、その音は「子持ち」に通じるのだと・・・
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この言葉遊びはかつてはよく知られていたものであっそうで、14歳は、(現代では若すぎますが)出産可能年齢である。これが、「まだ年や若いな あの子を産んで」につながるのだとも。。。


説得力のある説だと思いますが、一方で 民族学誌にあがっていた以下の説なども興味深かいでス、

「十三七つ」を「正しい」とした場合の解釈であるなのですがネ。

(1)13+7=20で、二十歳とする説
ただし、往時の感覚では、二十歳はけして若くはない。満月をすぎた二十日月を若いとするのも変で、やや込み入り過ぎた解釈が必要になる。


(2)十三夜の七つ時とする説
十三夜の月は、七つ時頃(午後4時頃)に月の出となる。月自体もまだ若く(満月になっておらず)、地平線から出たばかりの意味でも若いという意味か。辞書には、この説が書いてあることが多い。


(3)十三夜の月と十七歳の娘という説
八重山の民謡に次のようなものがある。「十三七つ」は、ここから来たものではないか。
「月ぬ美(かい)しゃ 十日三日(とおかみか) 女童(みやらび)美(かい)しゃ 十七つ(とおななつ)」


(4)十三の月(閏月)が7回あることを述べたという説
太陰太陽暦では、19年間に7回閏月がはいって1年が13ヶ月となるという周期がある。月に関連する7と13という数字が、歌と符合している。


うむうむ…いずれも興味深いのではありますが、月に齢を訊いて、その答えにまだ若いと返している歌の流れに合っていて、とくに(4)は、天文や暦に関する話としては面白いのでっけど、正直チト考え過ぎって気も(^^;


もしかして、こうも考えれれないか?? 

「ななつ」が、「ななつななつ」の略で、14を意味する。つまり、「お月様は、13か14ぐらいで、まだ満月になっていない」ということで、

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       このよに発育の良い十四歳は昔も居たでショね

「ななつななつ」は、『御伽草子』中の表現としても挙げられている言い回しの一節なのかも?って。

なお、「完全のすこし前」の美しい月ということで、十四夜より十三夜が選ばれる(正確な《満月》とはジツは 14晩の深夜だという意味)のは、満月の前日より二日前ぐらいのほうが頃よいという感覚のほかに、陰陽道的に偶数が陰の数で、奇数が陽の数ということもあるのではにゃかろ~か??


しっかし…次第にやっぱ、『十四歳は熟れる寸前 いかにも美味そうだ いひいひ♪』ってライン はハッキリしてきた だよネ?


みなちゃま、十五夜の行事でよく使われます《月見団子》とうにご存知すよネ?

全体をピラミッド状に積まれた ご存知のカタチですが、でも、ぶっちゃけ あんまし知られていない「事実」・・・

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       意外や 15ではなく14なのネ

あのですネ、月見団子を積むことを考えた場合、3^2+2^2+1=14で、ピラミッド型にきれいに積めるのは、【 15個ではなく14個なの 】・・・

で、団子的には、15ではなく まだ14である今宵が月見に相応しい。といった意味が隠されているって、わたいないは言いたい。うむうむ。。。

   『 満たぬ月 団子はぴたり 十四夜 』


・・・でだ・・・そろそろ、この「お月さんいくつ」におけます 歌詞の「謎」の 結論に触れるべきだと思うのですが・・・

コレには・・・唄が出来た当時における時代・舞台の、『ある種の 暴露』が秘められているのでは? って考えたのですネ はい。
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ひとりの女性…仮に名前を「月さん」としましょう。その年齢は?ってなら、『じゅうさんななつ』で、二十歳を意味する。

で、「まだ歳ゃ若いね」・・・イエ、ゼンゼンもぉ若くはナイ。。。だがっっ!!・・・

ココに 大きな秘密が込められているようにわたいは考えます、歌詞そのものに「月」を混ぜ込んだ その「巧妙さ」。。。

『じゅうさんななつ』は、年齢計算的なら 二十歳に換算されますが、殊…【 月齢 】って尺度とするならば、

ぶっちゃけ それは「十四夜」にあたる・・・どぉゆぅ意味だこりゃ??・・・(--;


・・・考えられるのは・・・ズバリ!! この「月さん」ってオナゴはん、【 年齢 逆サバよんでた 】って1つの推理結果。。。

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それは 自分の意志で逆サバってより、他人による強制だったとも推定できます、重要容疑者は・・・「奉公人を抱える家の《主人》」ネ。。。
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        黒沢映画なら 上田キチジローの配役だ


丁稚や女中奉公を抱えるのが当たり前だった 江戸以前の日本。しかし、十四歳の♀ ってなりますと、それの年齢からして 女中での抱えはいかにも当然としても・・・

まさか 十四歳のムスメをだ・・・テメエの 妾・愛人にすんのは さすがに…世間に対してバツがワルいですよネ?


ンだから、主人の策略…「逆サバ」よませた。『このコは充分オトナの♀だ』って風に。。。

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推理の範囲ですが、おそらくは 外の周囲に『七歳プラスで』強引に通しては。。。『あのこをうんで このこもうんで』…複数以上の子供まで産ませやがったのが このスベベ野郎の主人であると。
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          カネにまかせて フラチなオヤジだわナ 00メ

『おまんはどこいった』・・・わたいは この「おまん」こそが、「お月さん」の実体でわにゃかろぉ~か?? って思います はい。
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     「おまん」とは、文章作法の『主人公韜晦法』なのでは??と…


『あぶらかいに おちゃかいに』この童歌の歌詞の作者(?)は、この主人公おまん にも、あまり良い印象は持っておらず、

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「油買いに」・・・《買いに》では無く、油売りに…サボったり、遊びにしょっちゅ~フラフラ出かける 尻軽であるって一種の批判。

『茶買いに』・・・で おまんは、出先でイケメン見つけては、パコパコしちゃうってナオンナど助平・・・失礼!「発展家」(笑)(^^;
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        江戸事前の貞操観念は意外にも「かなり低い」しネ

だからニ・・・コボした 一升の油ってのは、多分『のっぴきならない不倫の証拠』って意味だおそらくは。。。

  >次郎どんの犬と みな舐めてしまった
  >その犬どうした 太鼓に張って 鼓に張って
  >あっち向いちゃドンドコドン
  >こっち向いちゃドンドコドン

不倫証拠を握った 多分 筋のワルい無頼漢らが、あちゃこちゃで その事実を触れ回ったのだろうって推理が働きます はい。

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 で・・・結果としてそれらを 『たたきつぶしてしまった』闇で処理したって意味でしょうネ きっと。。。

おそらくは フラチな問題の旦那…奉公人の数 ひとりふたりとかではない、当時における「かなりの大企業」それなんでしょネ うむうむ・・・

そこの旦那が、よっぽど発育が良かったか?美人だったか知らんけど、世間的に云う「ロリータ趣味」に走ったと。。。

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      まぁ世の中にゃ このよな小・学生(マジ?)居るってからネ…

挙句が 様々なスキャンダルを起こし、この唄の歌詞ってのは・・・

事の隠蔽作業や 闇での処理とかに 駆り出された、部下である奉公人らの『…ヤってられんヨ っったく!!』ってナ気持ちを代弁して 歌詞に込めているのでは?? っと。
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・・・コレは ウチとこ社でもネ~~・・・なんか「サ」がつくヒトで(笑)いかにも「ハニートラップに弱い」御仁が居たりして・・・

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            こらテメエだヨっ! ●ダヲ!!

それの「事後処理」に ぶっちゃけサンザン苦労させられた過去を持ちます わたいだから なんか「判るんです」はいー。

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         結果 ヤバい橋渡るハメにもなって(--;


この「お月さんいくつ」ですが、関西 とくに京都では「お月さんなんぼ」ってタイトルでしてネ、

なんか…歌詞の中身が 異様に「不気味」でおますのだお・・・

 お月様いくつ 十三 七つ 七折著せて 京の町へのぼつて
 彼方へしゃらり 此方へしゃらり五条の橋で 笄(こうがい)た
 誰が拾った 櫛屋の息子が拾った 泣いてもくれず 笑うてもくれず
 滑つて ころんで 七折汚した洗屋で洗つて 干屋で干して
 熨斗屋でのして 畳屋でたゝんで 手箱へ入れた

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      京の「みやび」は どこか不気味でおます うむうむ

な??ぶっちゃけ『ゼッタイなんかあったよナ!』って歌詞じゃん?(^^;


『童謡もジツは怖い』ってのも、

およそ 都市伝説ともなってますけど、「赤い靴」って、アレこそは 我がヨコハマが舞台の ぶっちゃけ『実話』なんスええ


 赤い靴(くつ) はいてた 女の子
 異人(いじん)さんに つれられて 行っちゃった
 横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って
 異人さんに つれられて 行っちゃった
 今では 青い目に なっちゃって
 異人さんの お国に いるんだろう
 赤い靴 見るたび 考える
 異人さんに 逢(あ)うたび 考える

この童謡は1922年(大正11年)に、野口雨情の作詞、本居長世の作曲で発表された童謡で、
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外国人に夜日本人少女の拉致誘拐だって都市伝説もアリまっけど、実際の真実は・・・

日本人の孤児の女の子(岩崎かよの娘、きみ)が、米国の宣教師夫妻(ヒュエット夫妻)の養女となり(攫われた訳ではない)、新しい両親とともに渡米するはずだったが、直前に結核(当時の エイズ以上の業病)となり、麻布の鳥居坂教会の孤児院に預けられたまま亡くなった。実の母親かよ(社会主義者の鈴木志郎と再婚)はそれを知らず、自分が死ぬまで娘は元気にアメリカで暮らあらしていると思っていた、という哀しい話なんですネ ええ。


しっかし・・・どこか、童歌 童謡ってのは その歌詞がワイルドってゆ~かバイオレンスだったりしますわナ?

リクちゃまも、丹後の宮津で ご幼少のみぎり(笑)ナンでか?やったら小・学校の音楽の時間、おそらくは地元オンリーで 歌わされた曲に「おおえやま」って一種の童謡・・・
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 むかし丹波(たんば)の大江山(おおえやま)鬼どもおおく籠りいて
 都に出ては人を食い かねや宝を盗みゆく
 源氏(げんじ)の大将 頼光(らいこう)は ときの帝(みかど)の みことのり
 お受け申して鬼退治 勢いよくも でか)けたり

 家来は名高き四天王 山伏(やまぶし)すがたに身をやつし
 険(けわ)しき山や深き谷 道なき道を切り開き大江の山に来てみれば

 酒顛童子(しゅてんどうじ)が頭(かしら)にて青鬼赤鬼集って
 舞(ま)えよ歌(うた)えの大さわぎ かねて用意の毒の酒
 勧(すす)めて鬼をよいつぶし 笈(おい)のなかより取りい出す

 鎧(よろい)かぶとに身をかため 驚きまどう鬼どもを
 ひとり残さず斬りころし 酒顛童子の首をとり
   めでたく都に帰りけり

って・・・ま…たしかに 伝えられる伝説のまんまなんですが…

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        エエのやろか…こないな唄…

実際に 毎回のよに謳わされるコッチとしては、いつもココロの中で・・・『いいのか??ンな《殺人(鬼?)上等♪》の おぶねえ唄 元気に歌ってヨ??』って思ってまスた はいー。(^^;


でも、超メジャーな童謡「桃太郎さん」だって、案外知られてませんが、アレの「4番の歌詞」なんてのも ぶっちゃけ かな~り「問題」・・・

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 桃太郎さん 桃太郎さん
 お腰につけた黍団子
 一つわたしに下さいな

 (問題となる歌詞の部分…)

 そりゃ進め そりゃ進め
 一度に攻めて攻めやぶり
 つぶしてしまえ 鬼が島

 おもしろい おもしろい
 のこらず鬼を攻めふせて
 分捕理解物をえんやらや

 万々歳 万々歳
 お伴の犬や猿雉子は
 勇んで車をえんやらや


・・・こら! ナニが「えんやらや♪」ぢゃっっ!! ぶっちゃけ《計画的 侵略・強奪行為の 賛美曲》ぢゃねぇ~かヨっっ!!って @@;
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        むしろ『桃太郎強盗団』が正解かも いひいひ♪

でも、そういや ガッコよりも もっと狭いエリア・・・ガキんちょの頃、ウチとこの住む「通り限定で」、

ぶっちゃけ「知らんまま」ボクちんら子供は かなり問題の多そうな歌詞での「囃子唄」でもって遊んでたわいなあ。。。


 ごめんください 煙草ください
 売り切れました
 お米ください
 売り切れました
 お味噌ください
 売り切れました

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 子供ください
 裏の畑で遊んでますから 呼んでください
 子よーい 子よい
(鬼以外の子どもは一斉に逃げ出す)

って、「買うモン」かヨ 子供ってのは?? @@;

あと、さして意味も判らないまま こげなル囃子唄もあったなあ・・・

 一つ、人もいやがるわしもいや
 二で逃げたげな
 三で探され
 四で縛られ
 五で拷問
 六で牢屋に入れられて
 七で火焙り
 八で磔
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 九で首切り
 十でとうとう死んだげな(ぶっちゃけ七でとっくに死んでるヨって)(^^;


 っと・・・キリが無いので このへんで お開きといたします いひいひ♪

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   つきあって読んでくださった方 お疲れ様でおます(^^;


リクちゃまの巫女タイム『設定が替わった怪談』について

 リクですが
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  ランチ時に 胸の部分に熱湯がぶっかかって・・・
  ブラしてたおかげ(?)で火傷は一切無でスた
    「女性化の恩返し」←(ナンだそりゃ??)(^^;

お盆なので チト本日は 怖い話をばブチかましてみようと思うのでありますが。

ひとくちに「怪談」と申しましても…もはや どんなシチュエーションであろうと「怪談が発生しないポイントは無い」って云えますわナ?
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人間様が産まれる 病院からはじまって、学校だの職場だの 行った先 出かけて訪れた先、ありとあらゆる怪談が存在。


文化人類史として考察しても、大和民族は、宗教上の理由を外しても、「怪談噺」がスキですよネ。

江戸以前の庶民層には 夏場の《百物語》が娯楽の一環だったし、明治の治世には 早々に 240篇もの「怪談本」が刊行されてます事実がございます。

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       今年の夏は いつもより日焼けしましてネ

しっかし・・・TVとかのバラエティー番組でも お馴染みの 夏場の「怪談特集」ですが・・・
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ぶっちゃけ・・・時代の趨勢的に、監視カメラや ビデオカメラ等で録られた《ズバリ!証拠の恐怖映像!!》ってナ感じでブチかまされてますが・・・

ナンてぇのかなぁ・・・『え??コレがそぉなんか??』『待て待て…チョっと決めつけ 断定するには問題アリアリとチャウ?』って そんなのが殆どで。。。
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        この手のパターンは「つくりもの」だよなぁ。。。


それにナンたって、ぶっちゃけダレかて「ビデオ画像編集」が以前に比べ 革命的にラクチンに出来得る時代ぢゃにゃいでっか?

少しの知識さえあれば 素人でも特殊撮影方法、《CG撮影》だろうと、PC有れば ワリと簡易にできちゃうってそんな時代。


以前から ナマイキですがわたくし、ココの場でイってる事として・・・【 カメラ目線の モノホン幽霊なんぞあり得ない! 】ってそれ。

モノホンの「霊」である程 いわゆる《シャッターチャンス》なんてのは 待ってくんない(^^;《かれら》は かれら独自の時間軸で好き勝手に蠢いてますからネ。
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       コレはマジっぽい感じが(あくまでも一瞬の偶然)


《意図を以て作成されたモノ》ってのは、一様に 観る側のヒトを恐怖させる、それが為の【演出】がついつい目立ってしまう》それなので。


可能性の問題として ボクちんは、【本物の霊映像】それは「有るだろう」って思う はい。

が・・・仮に有ってもだ、問題の根幹は・・・『誰一人として《それ》に気付いてなければ 永遠に お蔵入りでお終い』それなのだと。


ウチとこの お母ンなんぞをですネ、クルマ乗せて 例として 鎌倉なんぞを走りますと・・・
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     元・スケバン映画女優が(オバケぢゃにゃいヨ)(^^;

「ああ…あっこの草の陰、居てるデ。数百年経っても成仏できひん 運のワルいホトケはんが」とか ぶっちゃけ 聴いてて「うるさい」(笑)

ほんで「でもねぇ・・・アレを写真とかビデオ録っても 写らへんエ、霊体がボヤけてきてるし、ホトケはんが他とのかかわりを拒絶してはるっぽいから」とかとか。


思うのですが「霊に遭遇」って機会そのものが まず多くないってのが大前提じゃないですか?

で そこに、記録ゲットを試みても ウマいこと記録保存が叶う その更なる付帯条件が課せられるわけですからネ・・・

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       ヒトにより発見されるか否かは「確率」であると

わたくし思うのは、心霊写真や 今の時代の主流 ビデオ映像におさめられた霊なんてのは、殆ど、宝くじを引き当てる確率と そうは変わらない、要は・・・【 多くがガセ 】なんだと。
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     今も 年齢のワリにはイケてます(ダレか買ってけれ)(笑)



橋北中学校水難事件(きょうほくちゅうがっこうすいなんじけん)っという 今や 時代から忘れられたに等しい 事件が 穏やかにしか見えません津の《中河原海岸』で起きました はい。


ナンと!海水浴を兼ねた 水中訓練実施中の 女子中・学生の36名が 溺れ死ぬって 凄惨な事故(って扱いになってます)それの期日が 1955年の7月28日
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静かな海岸でス 普段はとっても。別段 遊泳禁止区域にも指定されてませんし。でも、未だに 地元の人々は その事故以来、そこの海岸で海水浴をする人は居ませんようで。
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岸からわずか10メートルの場所で起きた異常で凄惨な事件で、事故原因は未だにハッキリしてませんが、生存者の女生徒から事故当時から「海の底からたくさんの女の人がひっぱりに来た」という声があったそうで。

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この「事故」のスゲえところは・・・ぶっちゃけ…NHKラジオ 津方法局が、その大事故が発生している 海岸から【 中継放送している!! 】って点で。
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目の前で 次々と女子学生らが 溺死していってる状況を 生放送してたってンですから まぁナンともな・・・(--;

生存者の女生徒の一人が、やっとショックから立ち直った1963年、女性誌に以下のような手記を寄せています。

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       通常は 穏やかで静か キレイな海岸線で・・・

…「弘子ちゃん、あれを見て!」私のすぐそばを泳いでいた同級生のSさんが、とつぜん私の右腕にしがみつくと、沖をじっと見つめたまま、真っ青になって、わなわなとふるえています。その指さすほうをふりかえって、私も思わず、「あっ!」と叫んでSさんの体にしがみついていました。

私たちがいる場所から、20~30メートル沖のほうで泳いでいた友だちが一人一人、吸いこまれるように、波間に姿を消していくのです。すると、水面をひたひたとゆすりながら、黒いかたまりが、こちらに向かって泳いでくるではありませんか。私とSさんは、ハッと息をのみながらも、その正体をじっと見つめました。

黒いかたまりは、まちがいなく何十人という女の姿です。しかも頭にはぐっしょり水をすいこんだ防空頭巾をかぶり、モンペをはいておりました。夢中で逃げようとする私の足をその手がつかまえたのは、それから一瞬のできごとでした。…


ほんでネ、その生放送を ラジオで聴いていた 主に 三重のヒトの少なからずが・・・『やっぱりそうか・・・』『当たり前だ!』って感触を抱いたのですと ええ・・・


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津空襲(つくうしゅう)は、アメリカ軍によって太平洋戦争中の1945年(昭和20年)に行われた三重県津市への無差別爆撃。被害は少なくとも死者2,500人以上 全損家屋1万戸以上、罹災者1万6千人以上にのぼる。という 凄惨な規模のもので。。。

それにより亡くなった人の殆どが、子供や女性っていう「非戦闘員」・・・その無念さは余りあると思うのですが・・・

でだ・・・《その日時》ってのが、【 7月28日 】なのですコレがっ! @@;


で、その悲惨な(あえて)事故の現場付近に 偶然居合わせたのが 当時幼きウチとこの 母親で・・・

まだ 幼・稚園・児だった母 夏休みを利用し、三重の親せき宅へと来ていたと。


で、母親言うには、この事故を目撃したことにより、母ですが 霊を見たり感じたりする能力(??)ってのが 一気に火が付き 霊能者(??)デヴューしてしまったとイっとります。

『あては その当日、熱出して 海へは入れず、砂浜におったんヤ。ばっちり見たでぇ・・・モンペ姿の何十名って、ボロボロでゴミみたいになった女の人の集団が沖の方から現れよって、…次々に 海で訓練してはった おねえさん達を海中に引きずりこんで・・・』

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『わたい思わず!《そんなんヤメたってぇな!おねえさん達を助けたって!!》って立ち上がって叫んだんヤ。そしたら・・・亡霊のおばさんの1人が 半分崩れたマッサオな顔 それでニヤリっと笑わはってナ…《…アンタもコッチ来ぃヤ》って、わちに 手招きしよったんヤ。。。アレは夢でも幻でもあらへん。』


『考えれば…その《津空襲》で出た 大量の焼死者のご遺体集めて、その事故現場である《中河原海岸》その砂浜で焼いて、大きな穴掘って埋めてるんやネ・・・今現在と違って 敗戦からの10年間って色々とあったし 皆忙しかったから、スッカリ そんな事件忘れて ノンキに泳いでた この世の人間に ホトケさんらがハラ立てたのかも知れへんわなぁ…』

ウチとこの お母ンの証言そのものが 果たして?正鵠を得ているのかは 置いといて・・・
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      しかし…科学的説明が「すべて」とも呼べない気が・・・

事故が起きたのは 科学の視点から 離岸流の発生とか、水位の急激な上昇であるとか 様々な説が叫ばれたようですが、未だに 不明な点が多いにも1つの事実で。


ぶっちゃけ ね??・・・ココまでも 条件が整ってる状況ですなら、霊とか信じない方でも、無碍に定するって ココロの問題として出来かねますよネ??


「海の怪談」はマジ怖いです、人間の想いなんぞとは裏腹に、起きるべきトキにはズバっ!!っと起きる 真昼間のピーカン時刻であろうが構わず。。。
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     テメエの足元にも「最怖怪談」が有ったのだお…


でネ・・・他なりません、リクちゃまが働く ハマの港にも・・・ある意味《港ならでわ》の怪異譚が未だ生きてまして ええ。。。


このハナシはネ~~、申し訳ないですが、事細かい 詳細までは書けないのでありまして。

ケチる気など無いのでありますが、ネットゆえの「伝番性」イイ気になって真似などするって、ぶっちゃけそれが「怖い」。。。

それゆえ、正確なポイントなどは あえて伏せさせていただきたいのですが、書いても『え?ココがぁ?』って、正直ピンとは来ない、ンなポイント。

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で・・このハナシは 多分、「意図的に」、世間では ロケーションを異なる場所と設定して 伝えられてます、有名と云えます『 立ち入り禁止の波止場 』ってなってます はい。

そのハナシだと 舞台は「沖縄の波止場」、でも ホントは他なりません ハマの波止場の一角 それなのでして。。。

おそらくの推測ですが、「戦争時の曰く因縁」「水際」って条件で、舞台がハマから 沖縄へとチェンジしたのだろうって思われるのですが。


 事の起こりは 1960年代の後半だったと伝えられてます。

ハマの港の とあるポイント、細いアンテナのように、突出した 船留のエリアだった所 等間隔に ボラートが建ってます。

まだハマ港全体が 今のようには整備化される以前の 小型船とかの係留地だったポイントで。

ナンてことない 目立ちもしないとこなんですが そこ、ジツは 釣りの「穴場」で。

ハゼとかチヌ タマにサイズの大きな スズキやヒラメも釣れて(無論アブラ臭いですが)太公望らの 隠れポイント。

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60年代当時は タマに 釣り糸垂れているヒトが居ても ナンも うるさくは言われなかったそうなんですが。

その当時から、基本として 産業港としての部分は 関係以外立ち入りが禁止 ユルい制限でしたが当時は。

だから関係ではない 釣り人は、多くは夜間の 闇に紛れてコッソリと 釣りをしてたんですネ そういうロケーションでのハナシです はい。


若者、ドコにでも居るような善良はヒトら、数は 6名で。真夜中の時刻に 問題のポイントで 釣りするべえってンで 出かけてきた・・・


大潮満潮で 結構な波が立っている海面 ゼンゼン当たりが来ません。釣りにも飽きてきて 缶ビール開けてダベってましたなら・・・

グループの1人が「おい・・・あれっ!!」って、海面の やや沖を指差し 焦った口調で・・・
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隣の人間が「え?なに??ナンも見えないんだけど・・」すると怒った口調で言い出した若者が「アレが見えないってのかヨ?《子供がおぼれてるじゃん!!》」っと。。。

みんなギョっとして 沖の方を凝視する。すると『ホントだっ!!アップアップして コッチに手を挙げてる!』『え??でも・・見えないけどオレには』


大体において、5割の確率、3名は『見える』と言い 半分の3名は『ゼンゼン見えない』という・・・

『いずれにせよ この夜中で この大波ではオレらでは どうにもならない。港の関係者のヒトが居るところまで走って 助けを請おう!』っとなり 1人がダッシュして。


で、やがて走って駆け付けてきたのが ハマ港の 当時の「火ダルマの親方」で。。。

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        逆立ちしてもゼッタイ適わないココロ優しきハマの猛者

若者A『あそこです!!ほら、あの子供が今にも溺れそうで!』

そう言われた 火ダルマ親方は・・・『ホントに…オマエにはそう観えてるのか??オレにはナニも見えないが・・・』と。

『いや!そんなっ!居るじゃないですかっ!溺れそうな子供 男の子があそこに!!』『で、でも…ボクらにも《それ》見えないのですが・・・』と。

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       ある者には観えて ある者には観えず・・・

6名中 A、B、Cの3名には「見えてる」で、D、E、Fには「見えない」親方の目にも その 溺れそうな子供は見えず・・・


『早く助けないと!!波がどんどん高くなってきてますよ!』っと、今にも海へと飛び込もうって雰囲気の 若者Aに親方は・・・

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「待て!・・・オレはこの港の住人、このケースについては、申し送りのメモを見た記憶がある・・・。」っと。


親方は「よく聞け・・・ABCに見える、その 溺れそうな子供だが…どうだ??・・・【 その表情はどうなってる?? 】」

 『 ・・・あっっっ!! 』

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親方「な?・・・【 笑ってないか?? 】…恐怖にひきつってるのではなく、笑ってないか?オレには見えん。が、もしも そうならゼッタイに助けようって、海なんかへ飛び込んだなら…【 引きずり込まれて確実にコロされるゾ 】」と。

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全員で 振り返りもせず 一目散にその場から逃げ出しましたと ええ。。。

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          オチが不明の『放っぽりの怪談』はミョ~に怖い…

ハナシはそんだけで、ご登場の 火ダルマ親方にも、詳しい 曰く因縁は判らないままだそうです はい。

ただポロっと・・・『オレは 長崎で胎内被爆したから あだ名が火ダルマだが…なんとなくピンとくるのは…このハマも 戦争末期に《横浜大空襲》って、ジツに B-2950機 P-51戦闘機100機って、1万人以上の非戦闘員の死者を出した大空襲があったってからナ。なんかしら それとかの因縁が絡んでいても不思議は」ナイわナ』って。。。


終戦…敗戦の記念日を前にして やっぱ思う・・・気の荒い野郎同士の殴り合いとは違い・・・国家同士の無益な「戦争」は ゼッタイに「よくない!」
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ぶっちゃけ 不幸しか 生み出さないッス はい。亡霊に遭遇し 恐怖に陥る この世の人間もたまりませんし、ってか…その「亡霊ですら」なんか…哀れにも感じて わたいは仕方ないんですなぁ うむうむ。。。


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       わたくし『ビビり』でも有り しょっちゅ~ウナされまス(^^;

あぶにゃいリクちゃま夏季経済講座

リクでやんス  やぁ~~笑った 笑った!! 久しぶりに【 大笑い 】。。。
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   どぼちて?_夏の補講者が20名も出るのだアホ学生がヨ(--;

こちとら 西日本から九州をアチャコチャ行ってる間に、(ごく一部に限定されますが)世界では ロクデモないハナシが噴出していましたのだ うむうむ。
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      リクちゃま用の講師控室…ぶっちゃけ「物置」でスのだ(TT)

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 【 日本も引き揚げに失敗したロシアの宝船…韓国企業、鬱陵(ウルルン)島海域で発見2018年7月18日 9時15分 】

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韓国建設&海運業者のシニルグループが「宝船」として知られているロシア巡洋艦ドンスコイ号を慶尚北道鬱陵(キョンサンブクド・ウルルン)沖で発見したと17日、明らかにしたのでありますが・・・


シニルグループ側は「今月15日、鬱陵邑苧洞里(チョドンリ)から1.3キロメートル離れた水深434メートル地点で船体にロシア文字でドンスコイと書かれた沈没船を発見した」と説明してて、

ドンスコイ号は、ロシアのバルト艦隊所属の1級装甲巡洋艦で、1905年日露戦争に参戦し、鬱陵島付近で日本軍の攻撃を受けた。激しい攻撃で船を奪われる危機に直面したことで艦船指揮部が沈没を指示し、海底に沈められた。ドンスコイ号には金貨や金塊5000箱など150兆ウォン(約15兆)規模の宝物が積載されていると伝えられて関心を集めてきた。今回の発見は沈没から113年となりますそ~な。
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ドミトス・ドンスコイ号は、アツソさんならば ご存知だと思うのですが、日露戦争 日本海海戦で出艦しました巡洋艦 日本海軍兵士には《ゴミ取りゴン助》って覚えさせたのですと(笑)


ドンスコイ号は、ロシアのバルト艦隊所属の1級装甲巡洋艦で、鬱陵島付近で日本軍の攻撃を受け、激しい攻撃で船を奪われる危機に直面したことで艦船指揮部が沈没を指示し、海底に沈められた。ドンスコイ号には金貨や金塊5000箱など150兆ウォン(約15兆)規模の宝物が積載されていると伝えられて関心を集めてきた。今回の発見は沈没から113年となるのですと。。。
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       ぶっちゃけ…「ある」って思うアンタはん???


シニルグループ側は宝物があるかどうかについては今後公開するという立場だで、同社のパク・ソンジン広報チーム長は「宝物の箱と見られる物があることは確認されたが、まだ開くことはできなかった」とし「手順を踏んだ後、開くことになるだろう」と明らかにした。沈没船から宝物を引き上げるには、埋蔵発掘許可や所有権登記、引き揚げ手続きなどが必要だ。シニルグループ側は「全世界をあっと驚かせるような事実の一部を18~19日に、国内外のすべてのメディアに公開する」という立場も表明した。

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ノッケにイっときまっけど・・・あだスは かつて、対韓国との貿易担当責任者でスた。「韓国贔屓のリク」って呼ばれ 在日疑惑も出たり(笑)(^^;

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        ドMで性欲過多なおねいはん(^^;

公式愛人(??)も 磯子の在日コミュニティーのオナゴ。ご縁は殊更 深いわけわけヨ。そんな…わたいですらが・・・『ッタク!アッチの連中はよぉ~~・・・』っとしかボヤいてまう事件が起きた。。。
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      ウチとこ社は ンな差別などはしません

なまじっか、思い入れが深いが故に、正直…『どぼちて??オメエさん方は いっつも最悪のタイミングで最悪の選択すんの??』って気持ちが。。。

でネ・・・今回発見に成功したと主張した《シニルグループ》はソウルに本社を置く海運・建設専門業者なのでアリますルが・・・


 ぶっちゃけ・・・【 大風呂敷もイイ加減にしとかねぇ~と はっっ倒すゾ このドアホっっ!! 】ってのが、わたいとしての本音。。。

新聞や ネットNEWSで確認したからイイけんども、コレが至近距離で直に話されたってなら マジでハリ倒してたゾ うむうむ。。。
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      セヴォル号引揚がよい証拠…『ロクなサルベージ技能もネエくせにヨ』


ドンスコイ号引き揚げが試みられたのは今回が初めてではナイのでおます。日本は1916年に初めてドンスコイ号の引き揚げ事業を始めた後、数十年間にわたり挑戦してきた。韓国では1981年にトジン実業という会社が引き揚げに挑戦した。続いて1998年通貨危機で危機に処した東亜建設が引き揚げ事業に参入した。しかし東亜建設は確認したというドンスコイ号を引き揚げることはできず、そもそもこの船舶がドンスコイ号かどうか分からないという反論もあった。2001年3月9日にソウル地方裁判所は東亜建設の破産を決め、現在の 東亜建設は再生後のスタート企業です はい。

シニルグループによると、この船が爆撃を受けて沈没した軍艦ならロシアが所有権を主張する可能性もある。だが、韓国の領海で自沈した船で、沈没から100年が経過していることからロシアが所有権を主張できないという説明だ。「埋蔵物発掘法」によって発見された船に積まれた物の価値の80%は発見者が、20%は国家に帰属するというのがシニルグループの主張なんでおますが・・・(呆×100乗)


 あのなあ・・・・・南チョーセンのクソ海運会社 世界相手にヨタ噺吹きまくってル暇あんなら、ウチとこ社からの残務債権チたぁ返しやがれ!! 【 カネ返せっっ!! 】

日本のサルベージ技能が太刀打ち不可能だった案件だゾ? それをテメエっちら、東亜・シニル連合で見事 引き揚げさせるダケのスキル ホンマにアルってンだナ ああ??

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        どことはなく…おなじみの展開のような気がして。。。

ま…ウチとこの社だって、日本郵船や 三井とかに比較されたなら ホンマ 情けないていたらくの規模でしかございませんが(^^;

だがっっ!! 相手が《シニル》だってぇ~ならハナシは別だ・・・見つけ次第 ウチの社や とくにわたいならば『どけっっジャマや その席 とっとと開けンかいカスがっっ!!』って、
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ぶっちゃけ 国士舘大学の学食で 文科系サークルを蹴散らす 体育会系クラブの態度とイッショだわサ いひいひ♪


ぶっちゃけ・・・『イッショに見られたくない!!』我が社とて プライドはございまス。観光屋形船の業者と ワシらが同一線上に捉えられるのはマッピラ!
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           シニエからチト不快な思いをした証拠画像・・・
          (当然 直後には タコ殴りだわサ いひいひ♪)

もっとハッキリ云おうか?? 要は【 格が違うンだヨっっ!! 】海運会社でございって 名乗るのは自由だがヨ・・・テメエんとこは、70年代中ごろに法人興して、イッペンだって…業界の為に貢献したなんてナイやんケ!


でもネ…誤解して欲しくないのは・・・相手が規模ちっちゃいからって毛嫌いしてるのとはチャイますねん ええ。。。小さくとも リッパな機運会社は 世界にはいくつもございますから ええ。


シニルがムカついてしょ~もないンは、日頃からのあいつらの『態度』…【 意味もなくムダに威張り散らす 】…ハマ港の利用料金 8ケタも事実上 踏み倒してルくせしやがって。。。

そのくせ、態度ときたなら、海運会社世界イチの デンマークの《マースクラウン社》よりも威張りくさってやがル・・・00メ オラぁ嫌れぇだっ!!ドコの国のヤツだろうが、ンな態度の生き物は!!


 ってかねぇ~~ みなちゃま?? ここ連日の 酷暑・猛暑で アタマが沸騰しそうになってはるのはわかりますが、

チョっとダケ・・・冷静になって 考えてみてくらはいナ ええ。。。

チョっとダケ、自慢をお許しいただけるならば… このわたいは《港のプロ》でおます。

わたいは 世の中の《プロ》 それが エアコン取付業者であろうが、下水道の工事のヒトだろうが、《プロ》はリスペクトしてます本当に!


 【 プロとしての視点で このハナシ 考えるなら…爆笑するっきゃねえゼ! 】ってこと。。。

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   明治の頃の戦艦に…【乗用車3000台積めるのか!?】

あのネ・・金価格は現在、1グラムの売買価格が4800円くらいなのですが、まあ分かりやすくして1グラム5000円としても15兆円であれば その重さってなるなら【 3000トン 】で・・・
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ぶっちゃけ それの《量》こそが大問題・・・3000トンの金塊を 明治の頃の巡洋艦、排水量5800トンのドンスコイ号に…【 積めンのか ああ!? 】ってこと。。。

食料や燃料は積まんのか?? いえもっとゆ~んら、巡洋艦やロ?? 弾薬や武器どないすんねん??(--;

船舶における その浮力計算の方程式ってのは 常に不変なんだお! イザ出港ってなったならば、1分で ズブズブと 沈みよって終いやド こら。。。

それにだいいち・・これから 日本海軍と大ドンパチおっ始めようって、ンな際にだヨ?? 15兆円もの金塊を中規模巡洋艦なんぞに【 積まなきゃならない その理由は?? 】じゃん?
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       『ドンスコイの 金塊はありまぁ~す!』ってか?(笑)


それでも譲って、寄港地で石炭を買ったり、給料を払うための金貨を積んでいたとしてもだ…3000トンのそれが必要になるかどうか。

 まぁ 小・学校高学年程度の 常識に照らせば マトモなヒトならばスグにお判りになると思いますけどネ いひいひ♪
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 ・・・要はだ…この ぶっちゃけ【規模ダケでっかい ヨタ噺】内容たるや、《徳川埋蔵金》あるいは《山下財宝》それなんぞと なんら変わらない性質の 所謂【永遠のロマン】(笑)


この一連の記事読んでいて、3秒で【 ピン!!ときた 】・・・シニエの あのクソ会社・・・この《宝船》(笑)おおいに利用して、

ゼッタイ ヤバヤバな【 投資詐欺噺 】目論んでやがるナ・・って、いろエロとググってみtなら やっぱそぉ~~だった(笑)(笑)
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シニエ側の弁論としては、国連海洋法条約第149条においては「深海底において発見された考古学上の又は歴史的な特質を有するすべての物については、当該物の原産地である国、文化上の起源を有する国又は歴史上及び考古学上の起源を有する国の優先的な権利に特別の考慮を払い、人類全体の利益のために保存し又は用いる」ってホザイてルよ~でおますが。

ぶっちゃけ・・・『 はぁ??? 』って感じ。国連海洋法条約ってのより、やいシニエ! オメエっちrは、もっともっと基本の根拠である『国際法』イッペンたりとも 読んどらんのとチャウか??

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          タマにゃ基礎から勉強してモノ言えヤ こら…

たとえ100年以上経とうがナ、国家間の戦闘行為 それの一環で、出艦した戦艦は あくまでその行為は「公務」、おそロシアが、正式に その船の所有権放棄を万国に宣言しない限りは、サルベージして揚げた船の積み荷の所有権は あくまでロシアやろが。。。


イイ証拠が ロシア側の 冷静…ってゆ~よか むしろ その『つれない対応』。。。

チャンと把握してンだお ロシアはヨ、あの沈んでる船には お宝なんざありゃせんよ って事実をナ♪



 要はだ、この 夢がアリそ~でいて 実質トホホなるトピック。


ワリぃけんども云い方が、騒ぎまくったのは 韓国の…【 この投資詐欺に引っかかった」連中 】それだから あえて云う…【 ザマぁみろ♪ 】

あのですネ・・「ドンスコイ号」ってのは・・・シニエ側が仕組んだ 投資詐欺の《舞台装置》なんスよ ええ。


ホンマの《狙い》は・・・他にあった、いっかにもチョーセン人らしい ココまであからさまでイイのかっ!? @@; ってぐらい粗っぽいタクティクス。。。

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          韓国名物『ワロス曲線』だぁナ♪

この発表後、シニルグループの創業者が株式の大部分を取得しているジェイル・スチール(Jeil Steel)の株価が一時急騰したんスよ ええ。

しかし19日には20%急落、翌20日にはさらに30%下落したって・・・

金融監督院(Financial Supervisory Service)は、「《宝船》の引き揚げ計画については、うわさを信じた場合投資家が大損失を被る恐れもあり、慎重を期すよう勧告する」とともに、「『宝船』に関し、誤情報や根拠のないうわさを拡散することは、刑事罰の対象にもなり得る」と警告した。


 な?? この あきらかに「空売り仕掛け」としか思えない 一切の取引記録真剣に調べてみなって、パクられる数 1ケタじゃ済まねぇからヨ♪
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       ワルを打ち砕くための ワルの勉強してンだワシはヨ

おそらくは、韓国の金融監督院の管理職もグルだ・・・ってかサぁ・・・21世紀のこの時代に、未だ ンなドロ臭い 詐欺 堂々とヤってやがルんだワ 韓国ってトコは(--;
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ンイルの元関係者、過去に捜索活動に加わった人物、ロシアの専門家らは「150兆ウォン相当の金塊」という主張には根拠がないと指摘してまス。

ナンたって…引き揚げを推進しているLって会長には 過去に数回に渡る 国際詐欺の前歴があり、現在は仮名で東南アジアに滞在(要は韓国国内に居らんないあ…)しているとの証言もあるってきたモンだ(呆)

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   どや??どぉ~考えてもワシの『一本っ!』やろが??

      
17日にドンスコイ発見が報じられた後、2日間で100億ウォンの民間資金がが集まったとの話もありまっけど、

シンイルグループが (勝手に)売り出した 仮想通貨とはチト異なる《現実の 投資用コイン》その名も「シンイルゴールドコイン」は、

シンガポール・シンイル・グループ(ユ・ジボム会長)が経営する企業で、東亜とシンイル側は《自社とは無関係だ》と説明。ダレが素直に信じるかって(笑)(笑)


ドンスコイの引き揚げを推進しているシンイルについても、さまざまな疑惑が指摘されている。同社ウェブサイトには1979年に設立されたシンイル建業を母体とする会社だと紹介されてますが・・・

しかし、中核企業だという「シンイル・ドンスコイ号取引所」と「シンイル・グループ」はそれぞれ今年4月と6月に設立されたばかりだって《事実》。。。


・・・ったく!!南チョーセンの詐欺師は 手口が 荒っぽいってより ぶっちゃけ【 雑っっ!! 】

シンイルはドンスコイを発見したと主張する7カ月前の今年初めから「シンイルゴールドコイン」という仮想通貨とは異なる《実質的存在硬貨》に投資すれば、船体引き揚げ後の収益を分配するって・・・な?? 絵に描いたよな「投資詐欺謳い文句」で宣伝した。

でも…あくまでも その硬貨ってのは、民間発行の 法律上では「景品」でしかなくって(笑)貨幣価値など 一切!! 韓国政府は保証もしてない 単なる『ケロッグのオマケ』とイッショ。。。


17日にドンスコイ発見が報じられた後、2日間で100億ウォン(訳10億円)が集まったとの話もありまス。シンイル関係者は「シンイルゴールドコイン」は、シンガポール・シンイル・グループが主導する大元であるとあくまで主張・・・


な??コレって完全に…『後日モメる事を予め予測してのアリバイ作り』それっきゃナイやロ??こんな コントもてぇな詐欺が 未だに横行してンだワ 韓国って国は・・・(--;

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      こちとら根っからのイチビリですもんで(^^;

リクちゃま 『こらおもろい♪』って思って(笑)(^^;数日前にソウル市江西区の「シンイル・ドンスコイ取引所」のオフィスにデンワかけて『わたいにも売ってけれヤ』っと打診してみたわけわけ♪


ったならば・・・50代らしき女性が応対に出て…その韓国人のオバンは『我が購入手配所は、(ドンスコイが)知られるようになる前から投資事業を始めたニダ。詐欺だという報道もあるが、それを信じていたら儲からないニダ』っと。。。

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《まずは当方を信用することからスタートだ》ってことネ(ぶっちゃけ 詐欺師が多用するセリフの1つでおますだヨ)「コインを買うことができるのか ああ?」と質問すると、オバンは ロコツに警戒しだして(笑)こちとらの職業や紹介者を尋ねた上で、『アンタは もっとこの投資について勉強し直してから来なくてはならないニダ』って、一方的にデンワ切りやがった!!@@;


なるほろ・・・テッペンから末端まで 詐欺師で埋めてやがんナ・・・グループの会長 L氏は文在寅(ムン・ジェイン)大統領とは慶熙大の同窓生だと自称(ぜってぇ大ウソ:笑)し、コインへの投資者を募っていた。これについて、シンイル関係者は「世間の関心事はドンスコイ引き揚げ事業なのに、なぜ会社内部に関心を持つのか。(代表は)メディアの取材を受けない」と話しとります ええ。
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      全世界に煽っといで コレだヨ。。。

大々的に世界へと情報発信とときやがって、今ンなって その対応はネエだろが??


しかしですネ・・・《空売り》…一気に記録的上昇をした「第一製鋼」ってのは、シニルグループは第一製鋼の親会社なんス。
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      ってか 実質「町工場」だ シニエなんて会社はサ。。。

巡洋艦ドンスコイのニュースが韓国の株式市場を揺さぶったのは、今回が初めてではアリませんで、2010年にも東亜建設が「ドンスコイを引き揚げ中」と発表、17日連続で上限価格を記録したンでおますが、事実無根だったことが判明し 反転して短期で極限まで株価は下がりました はい。

証券街では、当然 第一製鋼の株価急騰に対し疑いの目を向けてますいネ、第一製鋼の株価急騰が、今月初めのシニルグループによる買収とピッタシ!! 同じ時期に起きてますからネ うむうむ。。。
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・・・つくづく思う。。。【 韓国人は投資ではなく投機しか選ばない 《出来ない》 】・・・


一発逆の逆転HRに賭けるしかないドタマの構造になっているって 哀しいかな断じざるを得ません ええ。。。
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って それはそのまま韓国での異常な件数の詐欺犯罪の多さにもつながっているのでしょ~ネ ええ。でもって、詐欺が成功しても、仲間内での内紛でモメた挙句 バレちゃってパクられるってのの連続。

韓国における人口あたりの詐欺件数は世界一位と報道されています。どこかで誰かがうまくやって大儲けしているって噂を聞く・・・

ほんで、テメエがその仲間入りをできていないのはただそこへのコネクションが無いからだって 短絡的な思考をどこかで考えている。

で そこに「簡単に大儲けできる話があります」と言われたらアッサリ、なけなしのお金を出してしまう。。。。コレを永遠に 何度でも【 繰り返してしまう 】。。。

多分 韓国人には、《自尊心》と、《虚栄心》その2つの違いが理解出来ていない・・・大統領からはじまって末端の民間人まで。。。
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        いい加減「昭和のコント世界」から脱却しなはいヨって

「私は大統領の地下資金管理人だ」とか何百回同じ詐欺事件があったのか分からないようなものに引っかかってしまう。


このドンスコイ号の案件でもコイン取引所のオバンが述べた「詐欺と言われているが、それを信じたら儲からない」っていう言葉が象徴的ですね。

 
「儲かりたい」だけがメインなのですよ。財閥のようになりたい。甲乙の甲になりたい。その欲望がありつづけるかぎり韓国では同様の案件が続くのでしょうし、借金して不動産投機するようなハイリスク商品に手を出す層が少なからず存在するのでしょう。

「被験者が『自分は低所得者である』と認識した場合に宝くじの購入代金が増える」という統計があったのですが、それとまったく同じ構造か、これにも適用するかとも。

 
ちなみに韓国では去年の段階でも宝くじ(ロト)の売上が上昇しているそうです。
 
モチロン・・・「ロトの当選番号教えます」という詐欺サイトも存在しまス いひいひ♪ ってよぉ~に、その悪党犯罪ぶりが ドコか【 コント的 】なんですナぁ 朝鮮民族ってのは。。。

リクめは ゼニの悪魔でもアリまっから、騙されて トラの子失う輩には 1ミリの同情の念などハナっからござんせん《ザマぁみろ》それで。


 ・・・ですが・・粗雑きわまるセコな仕掛けでもって、低所得者層から蓄えを奪い盗っていく 詐欺行為を仕掛けるヤツは 《 でぇ嫌れぇだっっ!! 》地獄に堕ちろ! って思う。

 本来の『正しい投資』ってのはサ、マッタク無名だった頃に、 アップルや グーググルの将来性を見定めて、妥当な『投資』をしてきた人々なんだワ うむうむ。
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        成長企業への正しい投資は、『未来社会への投資』なのでス

それこそが《ベンチャーキャピタル》の真のスタイルであり、いっちゃん 必要とされます要件は 【 なによりもの誠実さ 】それでス はい。


みなちゃま方も 間違っても 投資ビジネスに 一攫千金の夢などは抱いてはいけませんゼ?わたくし…大学の寄付講座にては ンな事ばっか!教えています 問題だらけの講師なんでおますだヨ いひいひ♪

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    レポート出せよナ クソ学生ども。。。(--;





荒くれ文学館『 新訳:宇治拾遺物語 』

 どもども 久々に《荒くれ文学館》ブチかまさせていただきますが。
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今回は「町田康 訳 《宇治拾遺物語》」って それで。。。

このご本 鎌倉時代初期に成立したといわれる「宇治拾遺物語」。説話集のなかでもとくに有名な作品ですが、
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ある意味で「日本霊異記」と共に、日本最古の「怪談本」ともいえまして はい。

リクちゃまの家計のルーツであります 紀州あたりが大きく絡んでいましてネ、やっぱこの地域ってのは、シャーマニズムと縁が深いともいえます ええ。

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で、これを現代口語訳スタイルで訳し 上梓した 町田康センセでおますのですが・・・チト、出目がユニークな方で。。。

サイショ世に出たのが 作家ではなくて ナンと!《PUNKバンド のリーダー&ヴォーカリスト》とくに関西地区ではカルト的人気を博していて。


空前のバンドブームと言われた1980年代から90年代初め。そのスタート地点とも言える1981年に町田康率いる「INU」はデビューした。結成は79年。

当時のバンドブームが如何に破竹の勢いであったかという事を物語る様に当時は、数々のビッグネームが輩出された。BOΦWY、プリンセス・プリンセス、JUN SKY WALKERS(S)、ユニコーン、ザ・ブルーハーツ、BARBEE BOYS、レベッカ、X JAPAN――って、

ここでは紹介しきれない程の超有名バンドがズラッと名を連ねてて、その圧倒的な存在感は数字にも表れ、セールスや観客動員数など破格的な記録を次々と打ち出し、社会的現象にもなったのは たぶんみなちゃまも ご記憶の通りで。
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   ライブは常に、いつ殴られるかわからんって「こわいバンド」で

そのようなバンドブーム到来の初期、先述のメジャー感あふれる面々とはまたひと味違う「日本パンク創成期」があった。そこに現れた「INU」というバンドは、「ハードロックバンド」または「ロックンロールバンド」という感じではなく、まさに「パンクバンド」という存在だった。なにしろアルバムタイトルが「メシ喰うな!」だ。
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INUは同時期に活躍したパンクバンドとは少々趣が違った。他のパンクバンドが「ロックンロールやハードコアの要素」を取り入れているのに対し、意図的か否かは不明だがそれらをほぼ含まず、むしろ積極的に排除している様に思える傾向があった。そのサウンドスタイルを強いて挙げれば、英バンド・JOY DIVISION(ジョイ・デイヴィジョン)やPIL(パブリック・イメージ・リミテッド)に代表されるニューウェイブ、ポストパンクと呼ばれる音楽的アプローチが見られた。そこに日本語を乗せて歌うスタイルの「INU」は1978年から1981年当時は非常に珍しかった。

攻撃的であり厭世観(えせいかん=悲観主義)を伴う歌詞、えも言えぬユーモアと独特の言葉を発する町田町蔵の歌。後に作家として活躍する町田町蔵の「うた」として楽曲に乗せられる言葉の数々は、彼の初期衝動であるパンクバンド「INU」の時代から既に光っていた。その彼が率いるINUというバンドは、どこか直線的でない含みのあるパンクバンドとして、前衛感(文化の分野で最先端)を匂わせていた異端の存在。ユーモラスな言葉を絶妙に交えた詞をパンクに乗せ、殺気立った物腰で歌う町田町蔵は異才を放っていた。

当時の 町田康センセは 芸名として「町田町蔵」って名乗ってて、かなりの武闘派であったらしく、アチコチでケンカの武勇伝残してて、

ぶっちゃけ・・・リクちゃまこさえやがったウチとこの父親も、京都の「拾得」ってライブハウスで酒が入っての論議で ブン殴られたってひとりで(笑)ある意味「親の仇」きゃナ?(^^;
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      いっそのこと…コロしてくれりゃ良かったかも(^^;


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大槻ケンヂさんの著書にも、《僕らがライブハウス前の道で行列してたなら、向こうのほうから町田町蔵がフーラフラ歩いてきて。誰かが《あっ!町蔵だっ》っと叫んだら…町蔵さんが即座に《誰が 町蔵じゃっっ!?》って臨戦態勢に・・《あっ…すいません・・・》って謝る客に、町蔵さんは ニタ~って笑い そして…《ワシやあ》と・・・》(古典的 よしもとオチえすわナ)。。。
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で 演奏中に・・町蔵《・・・このギターな!さっきからゼンゼン音が出絵へんねん!!ナンでかオマエら判るかぁっっ!?》期限がワルい町蔵に固まる客席・・・そうしたなら やっぱニタ~っとして《・・・コードが抜けとった・・・》やれやれ・・・(--;

ご当人曰く「アレは前日の晩 寝えないで考え抜いたギャグでした」とのことで。。。
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町田康センセは『きれぎれ』で芥川賞をとっているけれど、その前にも『けものがれ、俺らの猿と』で最終候補まで残ってましてネ、PUNK出身ってことで、色メガネで捉えては本質はわかりません はい。

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     この方 けっして、大成してマルくなった訳ぢゃござんせん。。。

今回 町田センセが「現代口語訳」にまとめた この「宇治拾遺物語」なのでおますが・・・超短絡的なおバカ解釈で捉えるならば、『ああ 昔話を 若者言葉でギャク風に訳したのネ』ってなるわけわけなんでおますが・・・

でも、このご本を手に取り 読んでみますならば…スグに『ンな短絡的、安易なウケ狙いの本なんかじゃあない・・・』ってスグにご理解できます ええ。


お笑いのギャグネタでと 完璧に「質」が異なるのは・・・町田センセのコレは・・『平安・鎌倉時代に起きた事件・怪異を 21世紀の今へと【時空を超えるフィルターの役割】それを成し遂げている』ってことで。。。


唐突でおますけども、 みなちゃまは「古典」ってガッコ時代 おスキでしたか?? わたいはイマイチ スキくなくて ええ。。。

じゃあ スキになれんかったその理由は??・・・シンプルです、およそ 日本におけます「古典文書」ってのは 総じて、【後世 読む側の人間のことコレぽっちも考慮してない】ぶっちゃけ そういった独善性と「驕り」が目立つ・・・
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      『古典=権威』…ぶっちゃけ違うだろそれ!!

書きしたためられました「文章」それの《基礎的・本質としての内容》それは大事なんです ええ。が・・・ヒトが交わす言葉でも、時間の経過 時代の変化と共に、次第に変わりゆくのは 当然・・・
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で この「宇治拾遺物語」ってのはだ、平安・鎌倉期の時代におけます 庶民階層の バラエティー的《娯楽本》であっただろうことは 明らかで、

ナマイキでっけど、現代におけます《学習指導要領》は・・・この 大衆文学&滑稽本などのジャンルですらを・・コ難しい領域へと やたら若者を誘導してやがル・・・

そ~でなければ、徹底した《おとぎ話追いやり政策》ネ、若者はサ~・・・ンな オカミによる《お仕着せ》嫌うの当然じゃん?? 活字離れは さらに進むばかりだとわたくし思う うむうむ。。。

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         鎌倉期当時の 若者向け雑誌的意味合いかとも

ある意味で「若者雑誌」に近かったかも。ギャグマンガもあればシリアスな記事もあり、オカルトコーナーもあって、NUDEも載ってるヨってゆう。

ナニも 全ての古典文学が 21世紀の今 大学なんぞの象牙の塔でもって、しかめっつらしく研究するために 世の中に出たって・・・【 ンなわけがナイじゃん! 】って。


クラシック音楽でも、ベルリンフィルとかが演奏する バッハやモーツアルトの曲、作曲されました昔の当時とは、今の演奏は テンポから指揮者による解釈まで 相当に作曲当時とは 違いがあるとも。
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     文字文化に貴賤なし!すべてはエンタメなのだ

でも、あくまで《大事な基本》は大事に貫かれていますよネ?大事なのは「その姿勢」なんス はい。
            
ある角度から見ますならば・・・昨今におけます「文学の(売り上げとして)不振」ってのは・・・

昔から今に伝わる 多くの文献等を 『現代人にマッチングする工夫と努力』・・それが決定的に足りなかったのでわにゃかろ~か?? って思う次第で うううむ。。。

出版元がネット公開してますゆえ、まんまコピペするのですが、「こぶとりじいさん」

 
 『 奇怪な鬼に瘤を除去される 』

これも前の話だが、右の頬に大きな瘤のあるお爺さんがいた。
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その大きさは大型の蜜柑ほどもあって見た目が非常に気色悪く、がために迫害・差別されて就職もできなかったので、人のいない山中で薪を採り、これを売りさばくことによってかろうじて生計を立てていた。
 
その日もお爺さんはいつものように山に入って薪を採っていた。いい感じで薪を採って、さあ、そろそろ帰ろうかな。

でも、あと、六本くらい採ろうかな、など思ううちに雨が降ってきた。ああ、雨か。視界の悪い雨の山道を歩いて、ひょっ、と滑って谷底に転落とかしたら厭だから、ちょっと小やみになってから帰ろうかな、と暫く待ったのだけれども、風雨はどんどん激しくなっていって、帰るに帰れなくなってしまった。
 
そこでやむなく山中で夜を明かすことにして、広場のようなところに面した大木の洞に這い込んで膝を抱えた。
 

夜の山中は真の闇で、人間の気配はまるでなく、魑魅魍魎の気配に満ちて恐ろしくて恐ろしくてならなかったが、どうすることもできなかった。
 
眠ることもできないまま膝を抱えていると、遠くから大勢の人の話し声が聞こえてきた。
         
やったー、人だ。捜索隊が派遣されたのだ。よかったー。「おーい、僕はここだよー」と叫ぼうとして、お爺さんは寸前で思いとどまった。
               
この暗闇から、この不気味な顔を、ぬっ、と突きだしたら、それこそ変化のものと思われて撲殺されるかも知れない。なので近くまで来たら、小声で自分は奇妙な顔ではあるが人間である、と説明しながらそっと出て行こう、と思ったのである。
 
しかし、それは賭けでもあった。なぜなら、捜索隊がお爺さんのいる方に近づいてくるとは限らず、明後日の方向へ行ってしまう可能性もないとはいえなかったから。でもまあ、そうなったら、つまり声が遠ざかっていくようであれば、そのときは声を限りに叫ぼう、そう思ってお爺さんが辛抱強くしゃがんでいると、幸いなことに声はずんずん近づいてきて、ああよかった。誰が来てくれたのだろう、見知った人であればよいが、と木の洞から少し顔を出して覗いて、お爺さんは驚愕した。
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お爺さんのいる木の洞に向かって歩いてくるのは捜索隊ではまったくなく、鬼の集まりであったからである。
 
その姿形たるやはっきり言ってムチャクチャであった。まず、皮膚の色がカラフルで、真っ赤な奴がいるかと思ったら、真っ青な奴もおり、どすピンクの奴も全身ゴールドというど派手な奴もいた。赤い奴はブルーを着て、黒い奴はゴールドの褌を締めるなどしていた。顔の造作も普通ではなく、角は大体の奴にあったが、口がない奴や、目がひとつしかない奴がいた。かと思うと目が二十四もあって、おまえは二十四の瞳か、みたいな奴もおり、また、目も口もないのに鼻ばかり三十もついている奴もいて、その異様さ加減は人間の想像を遥かに超えていた。
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       この連中も、昔の時代なら「鬼」でおますわナ。。。
                    
            
そんな奴が百人ほど、昼間のように明るく松明を灯し、あろうことか、お爺さんの隠れている木の洞の前に座って、お爺さんはもはやパニック状態であった。
 
どうやら鬼はそこで本格的に腰を据えて宴会をするらしかった。いつしか雨はやんでいた。
 

リーダー、って感じの鬼が正面の席に座っていた。そのリーダー鬼から見て右と左に一列ずつ、多数の、あり得ないルックスの鬼が座っていた。
 
見た目はそのように異様なのだけれども、おもしろいことに、盃を飛ばし、「ままままま」「おっとっとっ」「お流れ頂戴」なんてやっているのは人間の宴会と少しも変わらなかった。
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        鬼の世界にも「三木のり平」が居たってか・・・

暫くして酔っ払ったリーダーが、「そろそろ、踊りとか見たいかも」と言うと、末席から、不気味さのなかにどこか剽軽な要素を併せ持つ若い鬼が、中央に進み出て、四角い盆を扇のように振り回しながら、ホ、ホ、ホホラノホイ、とかなんとか、ポップでフリーな即興の歌詞を歌いながら、珍妙な踊りを踊った。
 
リーダーは杯を左手に持ち、ゲラゲラ笑っており、その様子も人間そっくりで、酔っ払って油断しきった社長のようであった。
 
それをきっかけに大踊り大会が始まってしまって、下座から順に鬼が立って、アホーな踊りを次々と踊った。軽快に舞う者もあれば、重厚に舞う者もあった。非常に巧みに踊る鬼もいたが、拙劣な踊りしか踊れない鈍くさい鬼もいた。全員が爆笑し、全員が泥酔していた。
 
その一部始終を木の洞から見ていたお爺さんは思った。
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  こいつら。馬鹿なのだろうか?・・・

 そのうち、芸も趣向も出尽くして、同じような踊りが続き、微妙に白い空気が流れ始めた頃、さすがに鬼の上に立つだけのことはある、いち早く、その気配を察したリーダーが言った。

「最高。今日、最高。でも、オレ的にはちょっと違う感じの踊りも見たいかな」
 
リーダーがそう言うのを聞いたとき、お爺さんのなかでなにかが弾けた。
 
お爺さんは心の底から思った。

    踊りたい。。。

踊って踊って踊りまくりたい。そう。私はこれまでの生涯で一度も踊ったことがなかった。精神的にも肉体的にも。こんな瘤のある俺が踊るのを世間が許すわけがない、と思うまでもなく思っていて、自分のなかにある踊りを封印してきたのだ。けれども、もう自分に嘘をつくのは、自分の気持ちを誤魔化すのは嫌だ。私はずっと踊りたかったのだ。踊りたくて踊りたくてたまらなかったのだ。いまそれがやっとわかったんだ!
 
そこでお爺さんは飛んで出て踊っただろうか。もちろんそんなことはできるわけがなかった。というのは、そらそうだ、そこにいるのはとてもこの世のものとは思えぬ異類異形。そいつらが宴会をやっているところへ人間が闖入するなどしたら瞬殺に決まっている。
 
お爺さんは歯を食いしばって耐えた。ああ、踊りたい。でも殺されたくない。
 
葛藤するお爺さんの耳に、カンカンカカーンカンカンカカカーン、と鬼が調子よく奏でるパーカッションが心地よく響いていた。
 
 ああ、やめてくれ。自然に身体が動いてしまう。
 
一瞬、そう、思ったが、もう駄目だった。気がつくとお爺さんは木の洞から踊りながら飛び出していた。
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悪霊に取り憑かれたか、なんらかの神が憑依したとしか考えられない所業だった。そのときお爺さんは思っていた。
 
いま踊って死ぬなら、死んでもよい、と。あのとき我慢しないで踊ればよかった、と後悔したくない、と。
 
楽しく飲んでいたところに突然、ぼろい帽子を被り、腰に斧を差した身元不明の老人が現れたので、その場に緊張が走った。「なんだ、てめぇ」と、何人かの鬼が立ち上がった。
 
けれども、踊ること以外、なにも考えられない状態のお爺さんは気にせず踊った。踊りまくった。うんと身体を縮めたかと思うと、気合いとともにビヨヨンと伸びたり、身体を海老のように曲げたり、ときに娘のように腰をくねらせ、指先の表現にも細心の注意を払い、ときにロックスターのように律動的な文言で観客を煽りながらステージ狭しと駆け回ったり、と、伸縮自在、緩急自在、技、神に入って、お爺さん、一世一代の名演であった。
 
その、あまりのおもしろさ、味わい深さに、初めのうちは呆気にとられていた鬼であったが、次第にお爺さんの没我入神の芸に引き込まれ、踊りまくったお爺さんがフィニッシュのポーズを決めて一礼したとき、全員が立ち上がって手を拍ち、ブラボウを叫んだ。
 
ことにリーダーの鬼が気に入った様子で、鬼は進み出てお爺さんと頭のうえで手を打ち合わせ、その小さな躯を抱きしめてから、お爺さんの手を取り、その瞳を見つめて言った。
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「長いこと踊り見てきたけど、こんな、いい踊り初めてだよ。次にやるときも絶対、来てよね」
            
踊りの興奮がまだ残っているお爺さんは息を弾ませつつ言った。

「はい。絶対、また呼んでください。みんなが喜んでくれたのはすごく嬉しいんですけど、自分的にはまだ納得できてない演技がいくつかあって、今回、急だったんでアレですけど、気に入ってもらって、また、呼んでもらえるんだったら、次こそ完璧な演技をしたいんで」

「さすがだよね。あれだけの踊りやって、まだ、反省するとこあるっつうんだから。絶対、来てね」

そう言ってリーダーがまたお爺さんを抱きしめたとき、序列三位の幹部級の鬼が言った。

「リーダー、口は重宝と言いますよ。いまはそう言ってるけれども来ないかも知んねぇでしょ。絶対来るようにしておく必要なくなくないですか」

「あ、そっか。だよね。オレは来てほしいけど、この人には来る理由はないもんね。うーん、と、うーと、どうすっかなあ。あ、じゃあさあ、出演料払う、ってのはどう? 例えば、おめぇ、鼻、三十あんじゃん? それを三つか四つ、この人につけてあげるとか」

「嫌ですよ。それに、それだったら、もうこれ以上鼻は要らない、と思ったら来ないじゃないですか。だからそうじゃなくて、逆にこの人の大事なものをこっちで預かって、来ないと返さないよ、ってことにするといいんですよ」

「なるほどね。でも、それって極悪じゃね?」

「踊り見たくないんですか」

「見たい。絶対、見たい」

「じゃあ、極悪でもしょうがないじゃないですか」

「だね。じゃあ、ええっと、みんな考えて。なにを預かればいいと思う?」
 
リーダー鬼がそう言って、みなで考え、斧、衣服、財布、煙草入れ、燧石、帽子、各種カード類など、様々に意見が出たが、どれも、本当に大事なものか、というと、そうでもなさそうなものばかりで、決め手を欠き、一同が考えあぐねているとき、リーダーが突然に、「瘤だよ」と言った。

「なんすか」

「だからほら、あの人の頬にある瘤だよ。おまえだって、その鼻、一個でも取られたらやっぱ嫌でしょ」

「嫌ですね」

「オレだって、このおでこの陰茎、六本あるけど取られたらやっぱ嫌だもん。じゃあ、そうね、やっぱ瘤いこう、瘤」
 
リーダーがそう言い、何人かの鬼が瘤を取ろうとして近づいてきたとき、お爺さんは内心で、やったー、と思っていた。永年、自分を苦しめてきた瘤を除去してもらえる。こんな嬉しいことはない、と思っ  たのである。
 
しかし、鬼の剣呑な相談事を聞くうちに踊りの興奮から覚め、日頃の用心深さを取り戻したお爺さんは、ここで嬉しそうにしたらまずい、と思った。なぜなら、自分が瘤を大事と思っていないことを、どうやら身体のパーツを自在に取り外しできるらしい鬼に知られたら、別の、本当に取られたら困る、目や鼻や口を取られるおそれがある、と思ったからである。そこでお爺さんは、心の底から困る、という体で言った。


「あー、すんません。この瘤だけは困るんです。そんなことしなくても私は来ますよ。だって踊りたいんですもん。でも、どうしても信用できない、って言うんだったら、目か鼻にしていただけないでしょうか。この瘤は私が若い頃からずっと大事にしてきた瘤なんです。それを、踊りが見たいから取る、って、それはあんまり、っていうか、はっきり言ってムチャクチャな論法じゃないですか」
 
お爺さんが縷々、訴えるのを聞いて嬉しそうにリーダーが言った。

「ここまで言うんだからマジじゃね? やっぱ、瘤、いこうよ、瘤」
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何人かの若い鬼がお爺さんに駆け寄り、後ろに立った者が躯を押さえつけ、前に立った者が手を伸ばして瘤をねじ切って取った。
 
お爺さんは覚悟していたが不思議と痛みがなかった。

「じゃあ、絶対、来てね。連絡するから」
 
言い残し鬼たちは帰っていった。チュンチュラ、と鳥が鳴いた。気がつけば暁方であった。
 

夢のような出来事だった。もしかしてマジで夢? そう思ったお爺さんは右の頬に手を当てた。そこに瘤はなく、拭い去ったようにツルツルであった。このことを誰よりも早く妻に知らせたい、と思ったお爺さんは伐採した薪を木の洞に残したまま中腹の家に飛んで帰った。
 
お爺さんの顔を見て驚愕した妻は、いったいなにがあったのです? と問い糾した。お爺さんは自分が体験した不思議な出来事の一部始終を話した。妻はこれを聞いて、「驚くべきことですね」とだけ言った。私はあなたの瘤をこそ愛していました。と言いたい気持ちを押しとどめて。
 
そんなことでお爺さんの瘤がなくなった。それを見て、いいなー、と思った人がいた。
 
お爺さんの家の隣に住むお爺さんである。嘘のような偶然なのだけれども、事実は小説よりも奇なり、この隣に住むお爺さんの左の頬にはお爺さんの瘤とまったく同様の瘤があった。そしてお爺さんと同じように瘤があることによって迫害・差別されていた。
 

なので、ある日以降、お爺さんの頬より瘤が拭い去ったようになくなり、すっかり快活な人間になって就職活動などしているのを見て、自分も同じくなくしたい、と思ったのである。そこで何日か後に隣のお爺さんはお爺さんの家に行った。

「すんません」

「はいはい、ただいま。ああ、どうもどうもどうも。どうしたんですか。改まって」

「実はお伺いしたいことがござりまして罷り越したようなこってございましてございます」

「へりくだり過ぎてなにを言うてるかわからないんですけど、どうしたんですか」

「いや、あのすみません。それでは単刀直入に申し上げます。実はそのお、ま、このお、瘤のことなんですけどね、どこで手術したんですか」

「はあ?」

「いや、だから、とぼけんでもいいじゃないですか。教えてくださいよ。僕も瘤を取りたいんですよ」

「あ、なるほどこれですか。これはお医者さんに取ってもらったんじゃないんです。実は……」
 
こうこうこうこうこういうことがあって……、とお爺さんは自らの奇怪な体験を隣のお爺さんに話した。普通の人間だったら、そんな恐ろしい体験は絶対にしたくない、と思うのだけれども、隣のお爺さんは瘤を取りたかった。取りたくて取りたくて仕方なかった。なので、自分も同じように奇怪な鬼と遭遇し、同じように踊り、同じように瘤を取ってもらいたい、と願い、事の次第・子細をお爺さんから聞き出した。
 
そして夕方になるのを待ち、お爺さんの言っていた洞のある大木が生えている広場に出掛けていき、木の洞に這い込んで鬼の来るのを待った。したところ。
 

暫くすると本当に鬼が来て、隣のお爺さんは座ったまま小便を垂れ流した。話に聞いていた以上に鬼どもの姿形が奇怪で恐ろしげであったからである。
 
息を潜めて眺めていると鬼たちは、これも話に聞いていたように宴会を始めた。早くも踊り始める者もあった。けれどもリーダーはそわそわして、あたりを見回し、「あれ? お爺さんどこ? お爺さん、来てないの?」とお爺さんばかり気にしている。
 
隣のお爺さんは、とても出て行けるものではない。こんなところに出て行くなんて死にに行くようなものだ、と、そう思って木の洞のなかで手で頭を隠し、躯を屈めて隠れていた。そのとき、お爺さんの左の肘に触れるものがあった。
 
瘤であった。お爺さんは、この瘤がある限り、俺は一生、暗闇で震えているしかない。膝を曲げ、腰を曲げ、両の手で頭を覆い隠し、泥と小便にまみれて震えているしかない。おまえはそれでいいのか? 本当にいいのか? あのお爺さんのように快活な人間になりたくないのか? なろうとは思わないのか?
 
そう思ったお爺さんは洞から這いだし、ゆっくりと立ち上がった。ゆっくりと立ち上がって鬼たちの方に向かってよろよろ歩いて行った。

「あ、お爺さんだ。リーダー、お爺さんが来ました」

「マジい? あ、ほんとだ。ほんとに来てくれたんだね。ありがとう。じゃあ、とりあえず踊ってよ。あれからずっと見たいと思ってたんだよ」
 
言われてお爺さんは真摯に踊った。けれどもそれは、先般、踊ったお爺さんの踊りとは比べようもなく拙劣な踊りであった。
 
というのは当たり前の話で、前のお爺さんは、踊りたい、と心の底から思って踊った。けれどもこのお爺さんは踊りは二の次、三の次で、瘤を取りたい、と思って踊っており、そうしたものは観客にすぐに伝わるものである。けれども、自分は真面目にやっている、真剣にやっている、と信じている隣のお爺さんにはそれがわからず、盛り上がりに欠けた一本調子の、おもしろくもなんともない独善的な踊りを延々と踊り続けた。
 
そして、前のお爺さんと同じレベルの芸を期待していた鬼たちは白けきっていた。特にリーダーの落胆ぶりは甚だしく、「ぜんぜん、駄目じゃん」と言って首を揉んだり、顔をしかめて頭をこするなどして、まったく踊りを見なかった。
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もちろん、別人なのだから能力が異なるのは当たり前なのだけれども鬼から見れば人間のお爺さんは、みな同じ人に見えた。
 
にもかかわらず、自分の瘤のことばかり考えていて、そうした観客の発する気配を察することのできないお爺さんは踊りをやめず、痺れを切らしたリーダーはついに、もう、いいよ、と言った。


「もう、いいよ。見てらんない。なんか、小便臭いし。瘤、返して帰ってもらってよ」

「了解」
 
やはりお爺さんの踊りに辟易していた、末席にいた鬼が袋からお爺さんの瘤を取り出し、踊るお爺さんめがけて投げた。
 
ぶん。音がして瘤が飛んだ。
 
なんらの情趣も情感も感じられない、腰痛持ちが田植えをしているような所作から、ウントコウントコ、ドッコイショ、と、躯を伸ばし、両の手を天に向けてヒラヒラさせ、爪先だって回転しようとしていたお爺さんは、突然、打撃されたような衝撃を右頬に感じ、その場に転倒した。
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                 あ~~あ。。。

ペッペッペッ。土を吐いて立ち上がったお爺さんのその左右の頬に醜い瘤が付着していた。あれほど嫌だった、これまでさんざんお爺さんを苦しめてきた瘤が二倍になってしまったのである。その顔は、「だからやめとけ、つったじゃん」と言ってないけれども言いたくなるような滑稽で無様な顔であった。
 
あいつにできたのだから自分もできるはずと信じ込んで行動すると、やはり手ひどい失敗をするらしい。そのあたりに気をつけて生きたいものだ。



ぶっちゃけ…どないですか??ハンパなく《PUNK》でおまショ? いひいひ♪

けっして リクちゃまが書いたのでわござんせん(^^;

だが・・・《ハナシの基本ライン》からは 1ミリもはずレてはおりません はい。

 たとえば、「芋粥」の元ネタになった説話(『今昔物語』にも同じ話あり)の、次のような一節。

「え? 芋粥を飽きるほど食いてぇ? それマジ?」

「マジっす」

「よりによって芋粥かよ。滓(カス)みてぇな奴だな。あ、わりぃ、わりぃ。ごめんな。お客さん、滓とか言っちって」


「藤大納言忠家、物言ふ女放屁の事」は次のようになっています。
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「ぶうっ。というその場の雰囲気にまったくそぐわない異様な音がして、異様な臭が漂った。そう、大納言の強い力に全力で抵抗したその時、女は放屁をしてしまったのである。

女は、こういう時はなんと言って取り繕えばよいのだろうか。と考え、次の瞬間、どう言っても取り繕えない、と判断、その場にそのまま突っ伏して動かなくなった。(中略)

その時点で大納言はある決意をしていた。出家である。(中略)

『雰囲気出して、いざこれからやろうというときに屁ぇこかれるなんて。もう、何も信じられない。これから女とやろうとする度にあのサウンドが頭に響いてやれない。だったらもう出家しかないでしょう。はっきり言って』
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         あんさん チト早まってはあきまへんて・・・

だが大納言忠家は』スグにこうも考えた。。。でも…アレっすよネ??今の大納言の立場捨てて 出家なんかしちゃったなら、今の肩書や仕事オジャンなんですよネ??

なんか…それって 釣り合わなくない??大納言のボクがですヨ…おんなが屁ぇこいたって理由で 出家するって果たしてどぉなのヨ??

それマジおかしくないですかぁ?? いいや!あれは《なかったことにして》忘れちゃお~~っと♪
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    平安の世から、まぁ~人間なんてのは ンなモンだわサ♪


・・・うむうむ・・・このよな文をば読んで…『フザけんなっっ!!』って逆上する(ココロの余裕足りない)御仁も居るとは思いますが・・・

でもネ・・・冷静になって 考えてみません?? この「宇治拾遺物語」ってのはだ・・・【 本来 こういったタッチで描かれていたのだ 】ってこと。


たぶん 町田センセも、そのことに着眼して、このご本全体を 若者言葉による 軽薄なタッチ満載で狙って 描いたのでありましょうと ええ。

この「宇治拾遺物語」は、けっして!!過去作品への 冒涜なんかじゃございません はい。

おそらくは・・・町田センセも、古い 古典の文学が、高尚な研究対象としてのモノと、そでなけりゃ、お子ちゃま対象の おとぎ話・・・【 その2つ!しかない! 】って 今の状況を憂いているのだと。
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       高尚も下賤も「本は本」愛されてナンボでおますだヨ

公開されます 映画『PUNK侍』もそうですが、わたい的には 町田センセが けっして、奇をてらって書いたのだとは思えませんで・・・


むしろ、今回の「宇治拾遺物語」の切り口をブチかますが為に、芥川賞の実績が必要であったのだろうって。ぶcchけモノホンの「PUNK精神」でおますだヨ♪

むしろ・・・間違った 整理棚にズ~っと置かれたままで、キュークツな思いをしていたでしょう、過去の 大衆文学作品について、

ハナシ自体としての 本来有していた『多くのヒトに楽しんでもらいたい』って サイショにこれらのハナシを上梓したヒト、その意思に 町田センセは【 息吹を吹き込んだ 】それなんであろうと♪

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      フザケる時ゃぁ『徹底して《マジメにフザケる》』のサ♪


プロフィール

港のリク

Author:港のリク
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港で働く ジツはとっても気の荒い(?)アンちゃん・・・ですが、産まれついてのホルモン分解異常の関係で♂なのにEカップの胸の持ち主 という混沌としているわたしです。

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